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眩しみぬ

古文で「眩しみぬ」といういい方は正しいのでしょうか。 文法的にはどう考えればいいのでしょう。 出来れば品詞分解を教えて下さい。

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回答No.5

 No.2です。補足ありがとうございます。  お示しくださった   『受胎して象のあくびを眩しみぬ』   『一歩二歩寄りて白梅まぶしみぬ』 を検索してみましたが、どちらも作者のお名前からすると現代の方のようですね。古典俳句ではなく現代俳句と考えてよいでしょう。  これらの例句の用例についてお尋ねなのならば、やはり「まぶしむ」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の可能性が高いと思います。  (No.2では書き忘れましたが、完了の「ぬ」は連用形接続ですので、「まぶしみ」は連用形です。No.4様がお書きの通りです。また、現代語訳も他者の様子を表すときに用いられることが多い「がる」を使うより、No.4様の「まぶしく思った」という訳の方が適切なように思います。)  また、これもNo.4様の回答と重複しますが、 形容詞  → 動詞 というパターンで  悲しい → 悲しむ  楽しい → 楽しむ  苦しい → 苦しむ と同様に、形容詞を基に「~と感じる」という意味の動詞として、  まぶしい → まぶしむ という動詞が作られ、それが活用して連用形の「まぶしみ」となったと考えられます。  古語の「うつくし」(現代語の「かわらしい」に当たる語。『枕草子』の「うつくしきもの」の段で有名)も「うつくしむ」いう形で動詞として使われます。  先にも書いたように「ぬ」は活用語の連用形に付きますので、  悲しむ + ぬ → 悲しみ・ぬ  楽しむ + ぬ → 楽しみ・ぬ  苦しむ + ぬ → 苦しみ・ぬ となるのと同じことです。  なお、yahoo!辞書の『大辞林』・『大辞泉』で「で終わる」(後方一致)「~見る」という言い方を検索してみましたが、やはり、  悲し見る  楽し見る  苦し見る のような、シク形容詞+見るの形は見いだせませんでした。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%A6%8B%E3%82%8B&stype=3&dtype=0 もちろん造語の可能性はありますが、同じ造語としても「楽しい→楽しむ」等の同様のパターンが多い動詞の「まぶしむ」として作られたと考える方が自然です。  現代でも短歌・俳句は文語(古語)を用いて作られることが多く、現代語で発想した内容を、古語には元々ない、それらしい言い方を作り出して表現することはよくあることです。(「咲いていた」を「咲きいたり」とするなど。)

huunin
質問者

お礼

造語ではないかという思いがかなりありましたが、そのこだわりをも解きほぐして下さるような、丁寧なご回答をありがとうございました。 初めてのOKwave利用で、質問はしたものの、締切り方などがよくわかりませず、お礼を申し上げるのが遅くなりました。 失礼をお許し下さい。

その他の回答 (4)

  • kitasan2
  • ベストアンサー率41% (67/160)
回答No.4

 NO.2さんのおっしゃる四段動詞「眩しむ」連用形「眩しみ」+完了の助動詞終止形「ぬ」の可能性が濃厚ですね。「眩しむ」は、「悲しむ」「懐かしむ」「楽しむ」「慈しむ」などのように感情を表す形容詞シク活用の基本形に「む」を付けて「~しく思う」という意味の動詞を作る形をまねた造語と考えられます。訳は「まぶしく思った」となります。  あるいは、NO.3さんのおっしゃるように「眩し見ぬ」の可能性も考えられます。その場合は、やはり造語と考えられますが上一段動詞「眩し見る」(「眩しく見る」を五音につづめた)の連用形「眩し見」+完了の助動詞終止形「ぬ」となり、訳は「まぶしく見た」となります。ただし、こちらの方は、造語に少し無理があるような気がします。

huunin
質問者

お礼

恥ずかしながら、齢のせいか、思い込みも強いようで、動詞という発想はありませんでした。 早々とご教示下さいましてありがとうございます。 OKwaveに不慣れなため、お礼を申し上げるのが遅れました失礼をお詫びいたします。

回答No.3

まさか「眩し見ぬ」ってオチ?

huunin
質問者

お礼

意外とそうかも知れないと思いつつ、早いご回答に心強い思いをいたしました。 ありがとうございました。

回答No.2

 マ行四段活用動詞「眩(まぶ)しむ」+完了の助動詞「ぬ」の終止形という可能性が考えられるのではないでしょうか。「(光を)まぶしがった」で意味は通じませんか。  ただし、日本国語大辞典(第二版)には「まぶしむ」という動詞は掲載されていませんでした。  したがって正しいかどうかは分かりません。ともかく、一般的な表現ではないでしょう。  現代短歌などで、音数を五音(もしくは七音)に合わせるために、古語らしい言い方を作りだして「まぶしがりぬ(←6音では使いにくい)」の代わりに使った可能性も考えられます。  どんなところで使われていましたか?

huunin
質問者

お礼

上欄で申し上げましたように、解り易く丁寧なご回答を戴きまして感謝しています。 本当にありがとうございました。

huunin
質問者

補足

早速のご回答を有り難うございます。 ネット上で拝借した類似の事例ですが『受胎して象のあくびを眩しみぬ』 『一歩二歩寄りて白梅まぶしみぬ』などの俳句があります。 なんとなくおっしゃりたいことは解るような気もするのですが、「眩しい」「ぬ(完了の助動詞」位しか想像できず、切迫する事情も手伝い、お尋ねした次第です。

noname#115911
noname#115911
回答No.1

「眩る」は「くる」と読むラ行下二段活用動詞。 少なくともこの「眩しみぬ」という表現はおかしいとは言えます。 ただ、前後の文脈が分らないので、「しみぬ」で何を言わんとしているか判断できかねます。「しみ」がもし使役を表わす助動詞「しむ」だとすれば「眩れしめぬ」となりますが、先の質問文は平仮名で書くと「くるしみぬ」、これは本当に「眩」という字が使われているのでしょうか。読みからは普通に「苦しみぬ」のことではないかと思ってしまいますが。質問にもう少し補足をいただければ回答がしやすいです。

huunin
質問者

お礼

急ぐあまりに説明不足の質問になってしまいましたにも関わりませず、早速のご回答をありがとうございました。 お礼を申し上げるのが遅くなりまして申し訳ありません。

huunin
質問者

補足

早速のご回答を有り難うございます。急ぐあまりにものが見えなくなっていました。説明不足で申し訳ありません。 kogotokaubeweさんへの補足と同様になりますが、 句の中で言っていることは勿論違いますが、ネット上で拝借した類似の事例に『受胎して象のあくびを眩しみぬ』 『一歩二歩寄りて白梅まぶしみぬ』などの俳句があります。 『眩しみぬ』の位置も五七五の下五です。 作者の言わんとするところは解るような気もするのですが、それ以前にそんな使い方が出来るのかどうかが非常に気になります。 「眩しい」「ぬ(完了の助動詞」位しか想像できず、切迫する事情も手伝い、お尋ねした次第です。 よろしくお願いします。