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持統天皇が火葬されたのはなぜですか?

持統天皇ははじめて火葬された天皇ですが なぜ火葬されたのでしょうか。 また火葬された背景などご存知でしたら教えて下さい。 神だと考えられていた天皇の遺体を焼くなんて とんでもないことのようにも思えるのですが。

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noname#149195
noname#149195
回答No.3

>薄葬令の影響もあるのかもしれませんね。 持統天皇が自らを火葬にと遺詔したのは、すでにお読みになっているかもしれませんが新谷尚紀著『「お葬式」の日本史』によると、持統天皇は中継ぎとして即位したことと、儒教思想の徳治主義による華美を排する薄葬思想によるのであり、仏教にのっとったものではないとしています。 >持統天皇以降、火葬が一般的になったとしたら 持統天皇から四代続いて火葬でしたが、次の聖武天皇は敬虔な仏教徒であるにも拘らず火葬に付されていません。 ふたたび火葬が行われたのは、やはり徳治主義の時代である淳和上皇の時まで下ります。 >なぜ仏教では火葬することをよしとしたんでしょうか。 仏教が火葬をするのは釈迦が火葬されたのとガンジス川に遺灰を流しやすいからですが、釈迦が火葬になったのは「全ては“空”であるから自分の死後は火葬にせよ」とする釈迦の遺志に従ったからではなかったでしょうか。

noname#173280
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 『「お葬式」の日本史』は読んでいません。 面白そうですね。読んでみたいです。 新谷尚紀氏によれば、薄葬思想によって火葬されたとするのですね。 聖武天皇~淳和上皇までの間は火葬は行われなかったのですか。 淳和上皇の遺骨ってたしか散骨されたんですよね。 なぜ持統天皇から四代続いて火葬だったのに 聖武天皇代になって火葬されなくなったのでしょうか。 興味はつきませんね。 「全ては“空”であるから自分の死後は火葬にせよ」 うーむ、奥の深い言葉ですね。 その一方で、56億7000万年後に弥勒菩薩があらわれるとき その聖業に参加するべく復活を望み 即身成仏になろうとした人々もいました。 将来蘇るためには魂の入れ物である肉体が必要だと考えられたようですね。 ということは持統天皇は復活を望まなかったということかなあ、 なんぞと思ったりします。

その他の回答 (2)

  • ssytmg4
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回答No.2

やはり、仏教の影響が大きいと思われます。 僧の道昭は、白雉四(653)から唐で玄奘三蔵に師事して禅定(座禅)を学び、10年近い歳月を過ごした後帰国した。 死後、遺言に従って荼毘(だび)に付された。『続日本紀』は「天下の火葬はこれから始まった」と伝える。 持統天皇の火葬は道昭の死の3年後。 菅谷文則・滋賀県立大学教授は、「道昭は唐で見た火葬の様子を持統天皇に話していたのだろう。最高権力者である天皇が国内最先端の火葬を採用したことには大きな意味があったはず」と話しています。 ご参考に。    http://www.nara-np.co.jp/special/takamatu/vol_02b_02.html

noname#173280
質問者

お礼

やはり仏教の影響なのですか。 仏教ではなぜ火葬をよしとしたのでしょうね。 そのあたりが気になります。 薄葬令の影響もあるのかもしれませんね。 確かに、天皇自ら火葬されたということはたいへん大きな意味があったと思います。 ご紹介いただいたサイト、面白かったです。 持統天皇以降、火葬が一般的になったとしたら 高松塚古墳やキトラ古墳は持統天皇以前の墓だということになりますね。 とても参考になりました。ありがとうございます♪

  • sijya
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回答No.1

うろ覚えなのであまり自信がないのですが・・ たしか、仏教=火葬 という考え方だったんだと 思います。しかし、当時の人は火葬にいまだ抵抗があった。 仏教に熱心だった持統天皇が率先して?それを させたということだったと思います。

noname#173280
質問者

お礼

やっぱり当時の人は火葬に抵抗があったんですよね。 灰になってしまうわけですから。 なるほど、仏教=火葬なので、  仏教に熱心だった持統天皇が自ら火葬されたと。 すると土葬するのは神道的なんでしょうか。 なぜ仏教では火葬することをよしとしたんでしょうか。 そのあたりも気になりますね~ とても参考になりました。ありがとうございます♪