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天草四郎について

天草四郎はどのような最期を遂げたのでしょうか?火の中で自害したとききますが、その後母親が痘痕のある少年の首を見て泣いたという話しに矛盾を感じるので、もし詳しくご存知の方、ご回答お願います。 またキリシタン大名の中には教えに基づき切腹を阻んだ方がいると聞きますが自害する事は教えに背く事なのですか?

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  • ベストアンサー
  • takuranke
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回答No.1

はっきりとはわかっていません、 原城総攻撃のときに燃える城の中で自害をしたそうです。 ですが、キリシタンはカトリックなので自殺は赦されません。 ましてや火中に飛び込み自殺などはもってのほかです。 現在ではというか1940年代あたりに火葬は教義に反しないというローマ法王庁の見解が出るまでは、火葬で葬られると肉体が喪失し「復活」や「魂の不滅」の教義に反するという考えがありました(キリストの復活に基づいた考え。大雑把な説明ですが) 首実検の話は、幕府側には四郎の顔を知っているものがおらず、近い年齢で立派な服を着ていた人の首を持ち帰ったという説もあります。 ただ、確実に死んだということにしたかったので、母親が首を見て悲嘆して泣き崩れたという話を流布させた可能性があります。 四郎は生き延びて国外に行ったという話もあります。

assa012
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 キリスト教についての知識、とても参考になりました。 自害についても、母親の話しについても一説に過ぎないのですね。国外に脱出説まであるとは…。

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その他の回答 (1)

回答No.2

キリスト教は自殺(自害)を禁じています。 なので天草四郎も炎の中で自害説より、幕府軍は原城立て籠もりの反乱軍を皆殺しにしているので熊本藩士陣野左衛門に斬首されたのが現実的と言えば現実的です。 ご質問の火の中の自害と、反乱軍皆殺し後の首実検の話がだぶっていますよ。

assa012
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 熊本藩士に討たれたという説もあるのですね。参考になりました。

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