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表現の自由と、殺人について。

本当に、ふと思った小さな疑問です。 人には「表現の自由」っていうのが認められていますよね? なら、自分の「憎しみ」を表現するために、人を殺す。 こういう考え方ってどうなのでしょうか? 遺族とかもかかわって、公共の福祉とかでだめ… 殺される方にも、ちゃんと生きる権利もあるし、殺す人もそれを奪う権利は…ないですよねぇ。 それは分かっているんですけど…。 この質問を読んで、思ったこと、教えてください。 あ、私には殺したい人はいないし、人を殺すことは犯罪だし、絶対にやってはいけないことだと思っています。命は重い。 それだけ、誤解しないでください。

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  • gldfish
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回答No.3

どんな「法的な自由」にも制限がありますよ。逆に本当に「完全自由」だとヤバいです。 「特定の個人・団体が不利益を被らない範囲内」という事で自由は設定されるべきですし、また実際のところ大抵はそう意識して設定されていますね。(完璧かどうかは別として。) 「憎しみを表現する」という観点でも当然法的制限はありますね。憎しみによる誹謗中傷、あるいは傷害、殺人なんかも例外ではないですね。

ivviv
質問者

お礼

確かに、完全自由だと大変なことになりますよね。 制限がある今でも、犯罪はたくさんおこっていますから…。 観点を替えることでも制限がかかってくるのですね。 ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • gohtraw
  • ベストアンサー率54% (1630/2965)
回答No.4

 「表現の自由」の「表現」というのは、言葉や映像、音、身振りなどを手段とするものに限られるのではないでしょうか。これらの手段による場合でもその内容によっては名誉毀損や差別的という非難を受けることがあります。  人を(物理的に)傷つける、あるいは命を奪う行為を「表現」と呼び、それを「自由」と考えるのは拡大解釈が過ぎると感じます。

ivviv
質問者

お礼

なるほど! 手段や場合でもいろいろあるし、 この考えでは拡大解釈がすぎるのですね。 真剣に答えてくださりありがとうございます。

  • Lupinus2
  • ベストアンサー率26% (1802/6710)
回答No.2

表現の自由は、最も優先されるべき権利ではありません。 ある程度の規制の中での権利です。 ワイセツとされるものなど、公開できない物だって多いです。 人前で全裸にすらなれない程度の「自由」です。 人の命の方がはるかに優先すべき権利かと思いますけど。 比べ物になりません。

ivviv
質問者

お礼

もっとも優先されるべきではない。なるほど。 そうですよね。人の命の方が… しっかりと、何を優先すべきなのか、考えなくてはいけませんね。 ありがとうございます。

noname#95571
noname#95571
回答No.1

こんにちは。 人権は公共の福祉により制限されるのです。 なのでダメ。ということでお願いします。

ivviv
質問者

お礼

やはり、公共の福祉なのですね。わかりやすいです。 簡潔に回答してくださって、ありがとうございます。