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他者の所有について
- 他者の所有についての命題「1方が他方の心身を犯すに当たって、社会通念が虚無化すれば罪そのものもなくなる」とは、一方が他方の存在そのものを所有することは、本人の許可なしにあり得ないという肯定的な立場を取っています。
- しかし、この命題に肯定的なアプローチを取るためには、社会の干渉なく一方が他方の存在そのものを所有することが許される可能性を考える必要があります。
- 具体的なアプローチ方法は人によって異なりますが、個人の自由や人権の尊重、相互の合意などを重視する視点から考えることができます。
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>確かに頷けますがこれで証明としても構わないのでしょうか? 否定することが出来なければ正解でいいのではないでしょうか。 >「洗脳」の可能性は如何でしょうか? 方法論としては洗脳はあるでしょう。 しかしそもそも、洗脳なんて面倒なことをせずに殺してしまえばいいのではないですか? 洗脳という技術的な話はここではあまり意味を持たないと思えます。 魂、体、精神を完全に制御可能な”洗脳”は現代の技術では不可能ではないでしょうか。 そもそも、罪を消すために洗脳するなんて何か本末転倒のような気がします。
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- shift-2007
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「1方が他方の心身を犯すに当たって、社会通念が虚無化すれば罪そのものもなくなる」 この命題のおかしいところは、「心身を犯す」というところです。 sexとレイプは行為自体は同じでも意味が違います。 つまり、「心身を犯す」という言葉には「犯す」という「罪」が含まれています。 すると社会通念が虚無化すれば罪が消えると言いながら、犯すという罪を行おうとしているように見えます。 これは矛盾していると思うのです。
補足
御意見有り難う御座います、 言葉の使い方にまたもや問題があったのですね、 日本語は難しいですね、謝罪します。 「陵辱」に御詫びのうえ訂正させて頂ければと思います。 この言葉も決して罪意識を含まないわけではないので「言葉のニュアンス」から罪意識を省いて御読み頂ければと思うのですが、 宜しくお願い致します。 しかしながら、申されていることは決して本流の話ではない と、思えるのですが如何でしょうか? 私が伝えたかった「心身を犯す」とは 「他方が1方の意に関せずその心身を自由に○○する」 (※ 困った事に○○にはまる適切な語彙がとっさに出てきませんでした、 犯す・陵辱する・貪る・我が物顔に扱うなどが候補ですが、放置することもありますし、 罪意識も含まれる場合が多くどれも適切とは言えません、 強いて言うなら「扱う」でしょうか?) と、色々と語を挙げていく上で逆に気付いたのですが、 殆どの語に罪の意味が内在しそうです、 社会通念に関わらすそれらの語に罪が存在する可能性はないのでしょうか? 逆にこれこそが緩やかな証明には為らないでしょうか? 余りに曖昧で、決定的な明快な証明とは言えないですが。 違う言い方もあります 「一方が他方の心身を犯すに当たって、"犯す"という行為・言葉に内在する罪は社会通念の霧散化に伴い消失するのか?」 です。 これなら如何でしょうか? 私的にはこの言い回しは既に"罪"の存在を より明示的に規定しているので使いたくなかったのですが。
- bananasand
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社会通念という曖昧で抽象的概念が命題を構成している以上、如何に指南しても反論されます。完璧な解はありません。 社会はどこに存在するのか・・・一方側からみると「一方と他方」以外の第三者の集団側でしょうか。それでも、「一方」は社会の一員ですね。「他方」ももちろん一員なのでしょうね。 ま、そもそも社会の最小の規模を「一方と他方」のみでも成立する 立場をとるならこの命題の社会通念の虚無化は絵空事であり 好きなように論理構成すれば良いことになります。 とするとこれは、仮想からスタートするいわゆるパラドクスであって、 スタート後はいかようにも論理破綻なく解に導けるでしょうけど いずれの解も土台が崩れて崩壊しますね。無矛盾の解はないということです。 一方が人間で他方が養豚場の豚なら話しは簡単ですけどね。この命題の半分はそういうことなんですよ。
お礼
御回答有り難う御座います。 >それでも、「一方」は社会の一員ですね。「他方」ももちろん一員なのでしょうね。 同感です。 2者間に交流が有る無いに関わらず 事実としてそこに複数者が存在し 遠縁にしろ関わりが存在したなら 意思の疎通の有無にかかわら すそこに社会が発生すると私は考えます。 その関わりは希薄な因果関係の物理法則でも構わないでしょう。 ところで、 ニフティー辞書を参照したいと思います。 「社会通念」 社会一般に行われている考え方。 「常識」 ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。 詰まり知識や認識を共有しかねる社会集団範囲には社会通念も常識の存在し得ないですよね? 時間軸や空間軸を遙かに超えた場合、 現時点では我々は意思疎通の範囲外に陥ります。 社会通念が霧散(又は消失・又は元から存在しない)場合罪もなくなるとした場合、 これらの意思疎通不可能な場所から来た人に何をされても 罪を貴方は問わずにいられるのですか? 仮想敵国的で以下の表現は私自身いやなのですが、 北○鮮にミサイル攻撃を実際に受けて、 貴方自身や貴方の財産、所有するもの、貴方の周り、 特に貴方の愛するもの達に死傷者が出た後に、 「彼らや○ム氏に我々の常識や社会通念は通用しないから 彼らに罪を問うのは間違っている」 と、貴方は考えるのですか?
- shift-2007
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>何ら取り立ててアクションを伴うことなくとも、既に所有が内在、詰まり存在している状態。 具体例をあげていただけるとイメージしやすいのですが。 命題2,4に共通して思うのですが、 私たちは何かを所有することが可能でしょうか。 実生活上の事ではなく哲学的な視点で見た場合です。 所有しているとは何を意味しているでしょうか。 一般的には所有しているという状態はその対象物を自由にできるという事だと思います。 しかし、自分の体でさえ自分の自由にはなりません。 所有権とは社会的概念によって約束されたものですので、社会というフィールド上でしか有効ではありません。 所有とは約束事ではないでしょうか。 所有する元のされる物との。 それを保証するのが法律であったり、社会通念であると思います。 故に質問にある「社会通念が虚無化」すると「所有」という概念が存在できなくなると思うのです。 「法律がなければ法律を犯したという意味での犯罪者はいない」 ひどく簡単な理屈だと思うのです。 哲学的命題に対するアプローチとして正しいかどうかは分かりませんが。 ps. >「何らか」と、言う表現です 私にはどれも同じのように思います。 花から花粉を取り出して、花粉は花への依存性がなく花から隔離されても不変である。 と言えるでしょうか。 花がなかったら花粉は存在(誕生)できるでしょうか。 >「何らかは確かに何かを思考している」 思考という行為は人類が何十万年という歴史の結果によって獲得した能力ではないでしょうか。 故にその「何らか」も社会(人類の歴史)から生まれた物です。 子供はどう頑張っても親を否定することはできないと思います。
お礼
>具体例をあげていただけるとイメージしやすいのですが。 例えて言うなら貴方の四肢や思考が挙げられると思います。 これは生まれながらに他者のものなのですか? 貴方のものじゃないのですか? もし、社会通念上他者の所有物と定められていたりしても それは本来あるべき姿を無用に社会通念がねじ曲げているだけだと 私は考えます。 貴方はどのように感じますか? 欧米列強がアメリカ大陸に進出したとき、 先住者であるその土地の本来の所有者達との意思疎通はほぼ行えなかったと思えます。 言葉が通じないばかりか、侵入者に対し攻撃的であった可能性も考えられます。 もう一度Nifty辞書を引用しますと 「通念」 一般に共通した考え。 と、あります。 社会性もちがう上、交流も信仰も違う2派に共通する常識があったでしょうか? 私は社会通念どころか通念すらなかったと思えてなりません。 もっと言えば宇宙人が突如飛来して、何らかの目的があるのか、 地表のあらゆるものを吸い上げ始めたらどうでしょうか? 貴方は貴方自身の恋人や親しくしているものの存在を、 その命を奪われて、 「彼らには社会通念が我々との間に存在しないから、そもそも彼らに罪はない、罪なき者に攻撃を与えるこそこそ罪だ」 などと言えるでしょうか? 私は侵略は侵略、略奪は略奪だと思います。 でなければ「お前の持っている常識は私の常識ではない」と言い放てば恰も免罪符を得たかのように 社会通念が霧散したことと為りかねず罪が罪でなくなりかねません。 こんな事態は許し難くないですか? その「略奪を承伏しかねる」と、言う認識こそが 陵辱と社会通念の依存性にかんする関連性のなさの証明になり得ると思うのですが、如何でしょうか?
- shift-2007
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たくさんの事を書くとまとまらなくなるので一つだけ。 >所有されている側には蹂躙に対する基本的な拒否権が消えます そうなるでしょうか。 もちろん所有権は主張できますが、所有者の意志によって対象の全てを管理下に置くことは不可能ではないでしょうか。 私の体は私の所有物ですが、私は永遠に生きることはできません。 所有権の主張とその対象の完全支配を行えるのは神だけではないでしょうか。 そもそも所有という約束事は社会通念上の概念ですし。 ps. >この命題肯定は社会への依存性がなく社会から隔離されても不変 もし、この世にたった一人で生まれた来た人がいたとして、 はたしてその人は”我”つまり”私”という概念をもちえるでしょうか。 他人が居ない世界で「私」を名乗ることができるでしょうか。 他人が居るから私が居るんじゃないでしょうか。 故に「我思う、故に我あり」は社会に依存していると思います。 社会から生まれた物を社会から切り離そうとしても無理だと思います。 その物の存在が社会なくしてはありえないのだから。
お礼
次です、 >この世にたった一人で生ま… この点に関しては私は確かに非を認める責任があります。 仰る通り「我」「私」は人称数(?)を含みます、 1人称ですね。 御詫びの上修正させて頂ければと思います。 では、これでは如何でしょうか? 「何らか」と、言う表現です、 先にもう1度ニフティ辞書を参照させて下さい、 「意識」 この項に関しニフティ辞書では4つの解釈を挙げていますが、 その1番目にはこうあります。 (ア)物事に気づくこと。また、その心。感知。知覚。 「―を集中する」「人の目を―する」 (イ)(混濁・無意識などに対して)はっきりした自律的な心の働きがあること。自覚。覚醒。見当識。 「―を失う」「―が残っている」 話を戻して修正を適応します、 すると… この何らかは確かに何かを思考している。 この場合、この思考を支える存在、及び意志の存在を否定可能か? です。 如何でしょうか? >束事は社会通念上の概念… 仰ることは分かりますが、その仰ることは既に 「社会通念が虚無化した場合、即座に所有権も消失している」 と、言う意味であると思います。 これから正に証明しようとしているターゲット、 未検証な事柄を挙げて、 それに違反しているから検証ターゲットの命題は否定されるというのは、 「社会通念が虚無化した場合、即座に所有権も消失しているかを証明せよ。」 と、言われて、 「社会通念が虚無化した場合、即座に所有権が消失しているから、所有権も消失している」 じゃあ、その「社会通念が虚無化した場合、即座に所有権が消失している」と、いう部分を証明せよ、 「社会通念が虚無化した場合、即座に所有権が消失しているから、所有権も消失している」のです。 ・ ・ ・ と、言っているようなものだと思います。 なので、 仰る内容は如何なものなのでしょうか?
補足
御意見に感謝です、認識を深められ喜んでいます。 >ちろん所有権は主張でき… 確かに仰る通り、私自身も指摘していますが、 宣言を行っただけでは所有は確定しえない可能性があります。 そこで、 もう1度命題2を提示します。 命題2 「一方が他方を潜在的に所有していることか起こりうる」 この「潜在的に」という部位に御着目頂きたく思います。 ニフティー辞書によると 「表面に表れないで内部に隠れて存在しているさま。」 と、あります。 所有が潜在的に起こっている。とは 何ら取り立ててアクションを伴うことなくとも、 既に所有が内在、詰まり存在している状態。と、認識しますが、 如何でしょうか? 既に命題条件のなかで所有関係の成立を謳っていると思います。 後この点に関しもう1点、 仰る「管理下」というのが、どういう意味定義なのかにもよるかも知れませんが、 多分以下で当たらずとも遠からずだと思います。 では行きます。 まず命題4を定義したいと思います。 命題4。 「所有者がその所有物を逸失し、自己の管理下外においてしまった場合、略奪が発生しなくとも、即座にその所有権を消失する」 押し述べて平らに言うと、 まあ、「自動販売機の前で千円札を風に飛ばされて、ほんの0.1秒見失った」と、こんな感じでしょうか… これも想定内に当たると思います。 肯定すべきでしょうか? 否定すべきでしょうか?
- ratesu
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所有したと宣言すれば所有したことになるので無理。
お礼
御指南有り難う御座います 所有権争いが発生した時 宣言だけでは所有が確定しないことが 起こりうると思いますが だとすれば 宣言だけでは真に確定したと言えず 「もっと他のものが決定付けに必要」 と、なるのではないでしょうか? て、言うかそもそも 宣言は社会に対し 社会通念で行うのではないでしょうか? 更なる御指導を御待ちしております
- shift-2007
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素朴な疑問ですが、 >心身を犯す は社会通念上の概念じゃないでしょうか。 故に社会通念が虚無化した状態で”心身を犯す”というのはそもそも不可能ではないでしょうか。 不可能な事に関して罪があるないは無意味かと。
お礼
ただここで質問文にも掲載した通り 命題2として 「一方が他方を潜在的に所有していることか起こりうる」 と、仮定した場合 所有されている側には 蹂躙に対する基本的な拒否権が消えます 詰まり同意か死かしか選択できないわけですが、 自殺こそ財産の逸失を所有者の意思を無視し 蹂躙し行うこととなり 罪となるでしょう こうなれば 犯すことこそが正しくなってしまうと思います 詰まり社会通念の有無に関わらず 所有関係が認められる場合 罪は確定しなくなってしまいます 逆に 社会通念が霧散すると同時に所有権は消失する と、するか 又は社会通念に関わらず 契約無き潜在的所有の存在を否定できた場合 あとは命題3 「罪と社会通念は依存性がある」を否定すれば 社会通念と罪の相互依存性が否定できるものと思います。 なので まずはこの命題2を否定するために 潜在的所有権の存在を否定する必要にかられると思うのです。 如何でしょうか? 御意見を御待ちしております。
補足
私見で良ければ御答えします まず命題1として 我思う、思う我無きや? を仮定します すると 否 我思う、故に我あり となり 精神や脳や意思、 ひいては身体の存在なくして 思考活動は起こり得ない と、言えることになると思います。 この命題肯定は社会への依存性がなく 社会から隔離されても不変 加えて 少なくともこうして言葉を交わせている以上 複数の意思が存在している 私以外にも少なくとも1体 思考と意思、言葉を紡ぐものがある 自らが社会無くとも存在が確定する以上 もう一つの意思も 社会性に依存してるとは肯定不可能 ではないでしょうか? では、 一方の意思が他方の意思を尊重せず 蹂躙可能となると思います 意思はその器により保持・固定されますよね 器は機械であれ有機物であれ「体」です 冒頭に肯定した通り 意思が確認されれば その器の存在が社会性の有無に関せず証明されます つまりそれは体の存在を意味します ならば 意思を持った一方が他方の意思の器である体を 本人の意思を蹂躙して意のままにする 詰まり犯すことは可能となるのではないでしょうか? 生命の生存性を別とすると 犯し犯される蹂躙関係は 少なくとも2つ以上の意思の存在が確認された時点で成立可能となる この時 確かに複数の意思の存在が確認された時点で 社会性は存在しうる が、しかし その社会内の通念の存在は確定的でなく むしろなくても複数の意思が存在しうる と、いうことが認められる 故に結論として 犯し犯される蹂躙関係は社会通念との依存性が認められない と、なると思います
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お礼
御回答有り難う御座います。 「私が若輩者だから否定し得ない」 と、言う可能性についてはどのように考えればいいでしょうか?