- 締切済み
「水を飲まない馬」のたとえは正しい?
校長先生か教育関係の方が、集会で 勉強をしない生徒のことを 馬を水飲み場へ連れていっても 水を飲むのは馬自身 水を飲もうとしない馬はどうしようもできない というたとえ話をして 自分から勉強をしない生徒は成績が悪くても仕方ない というふうに話をもっていく人がいました。 これってどうなんでしょう? 何か言われっぱなしで悔しい気がします。 何か有効な反論はあるのでしょうか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- bullfrog
- ベストアンサー率22% (302/1370)
回答No.2
教育関係者ですが、この諺?を使ったことがあります。 僕の解釈としては、「子どもの意欲がない状態では環境が良くても成果が上がらない。だから、まずは意欲を高める方策を考えなければならない。意欲が高まれば、子ども自発的に学ぶはずだ」というわけで、「教育関係者は意欲を高めるところにまず工夫をしないとダメだよね」って言う警句として使ったのです 「自分から勉強をしない生徒は成績が悪くても仕方ない」 というのは、そりゃあまぁそうなんだろうと思いますが、 「じゃあ、勉強させるにはどうしたらいいのかを考えてみようや」 って思います。
noname#220293
回答No.1
>何か有効な反論はあるのでしょうか? そうですかあ、反論ですかあ。 それじゃあ、こういうのはどうでしょうか。 水飲み場へ連れて行く前に、( 飲まない馬だってことを )気がついて欲しいですね。 まあ、通常、学校の先生も塾の先生も、気がついているのです。 だから本当は、飲ませ方なのです。 これができるのが、プロの教師であるし、プロの塾教師・指導者です。 個人塾の者が回答しました。
質問者
お礼
回答ありがとうございます。 プロの指導者の力は大きいですね。
お礼
回答ありがとうございます。 教える側は決めつけちゃいけないと思います。 >勉強させるにはどうしたらいいのかを考えてみよう と関わり続けることで「水を呑もうとしない馬」も救われる部分があるのでしょうね。