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「あり得るだろうか?」の答えは「あり得る」ですか?
昔、テレビのクイズ番組の最終回で、自番組の出題と解答の傾向を検証していました。 そのなかで、問題の最後が「…あり得るだろうか?」で終わっているとき、 その答えはほぼ100%「あり得る」であったそうです。 面白い。非常に面白い。 友人と一緒に見てたのですが、しばらくの間、 「あり得るだろうか???」「あり得る!!!」 というのが合言葉になっていたほどです。 そして現在、こちらのような質問サイトにおいて、 自分が「…は、あり得るのでしょうか?」などと投稿していることを発見したとき、 「あれっ?これって??」 もし、帰納的に考えて、 「あり得るだろうか?」の答えが、「あり得る」であるならば、 自ら「あり得るでしょうか?」と訊いてる時点で、 答えはほぼ「あり得る」に決まってしまっているのではないでしょうか? 「哲学」カテゴリは適当でないかもしれません。ご容赦を。
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ありうるだろうか?ですが、質問者が聞きたいのは、ありうるかどうかなどではないのですよ。 その質問A(勝手に仮定)は可能性として「0%」か「そうではないのか」が質問者の本意なのです。 大抵は「そうではない」の方の回答をして欲しくて、質問をしています。 考えれば簡単です。 わざわざ0%を証明する回答なんて難しいことこの上ないからです。 例えば「~な関係の彼に告白して成功しますか?(成功はありえますか?)」という質問 ここで、「無理ですね、成功の確率は0%です。」誰が答えられるでしょうか? なぜ、アンタにそんなことがわかるんだ!と誰もが思うでしょう。 つまり、質問者は最初から回答者に「確率はあるよ、がんばって」と答えてほしいのです。 なぜなら、弱い意志を後押しする力が欲しいから。 人は弱いですからね。 誰かのこれっぽっちしか力のない回答を、自らの妄想で大きくして、ひ弱な自分を押すんです。
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- heartmind
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>よろしければ、教えて下さいm(_ _)m でも、わたしあまり頭よくありませんからね。 えーと、違うかもしれないけど 「今、考えている私が、私でない可能性がありえるだろうか?」 なんていうのはどうでしょうか? 違うかもしれないので、どうぞ反対意見をどしどし待っています。
お礼
ご返答いただきありがとうございます。 >「今、考えている私が、私でない可能性がありえるだろうか?」 なるほど… コギト・エルゴ・スムに近いですが、ちょっと違いますよね。 これは、難問かも… 一見したときには、 やはり「あり得る」が妥当と感じました。 たとえば、自分の思考が他者に操られている場合、 「考えている私」が「私でない」と言えそうな気がしたわけです。 しかしこの時、「考える私」というのは結局「操られた私」と同じなのではないか、 とも考えられる…。 であれば、「考えている私は」は「私」と同一なのでは…? う、うー……む…。 あのぉ…上のたとえ、お分かりいただけますでしょうか? このしっちゃかめっちゃかな文章じゃ、分かりませんよねぇ…きっと。 実はもう、私自身、自分が何を言いたいのかよく分からなくなってきました(笑) これはどうも、まず、 そもそも「私」とは何か? を明らかにしなければいけない、と思えます。 しかし、それがまた難しい… …うーん… どうやら私には答えが出せそうにありません。 すみません。こちらから返答を催促しておきながら、 「分からん…さっぱり分からん」という結果になってしまいました。 本当に申し訳ないm(_ _)m
- heartmind
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「あり得るだろうか?」の答えが、必ずしも「あり得る」ではないと思います。 確かにそうではない可能性が100パーセントだと、証明できなければなりませんが、えーと普遍的な具体例なら思いつくけど、でもつきつめるとなると、やっぱり違うかなあ、どうなのかなあ? だれか頭のいい人教えてください。
お礼
回答ありがとうございます! この質問は、締め切ろうかどうしようか迷ってたのですが、 締め切らずにいた甲斐がありました。 >えーと普遍的な具体例なら思いつく よろしければ、教えて下さいm(_ _)m
No.2 です。 TVのクイズ番組から離れて、(言葉の)論理問題として考えるということですね。 あり得るか、どうか?という2者択一で切るのでなく、これには、現実としては分からない、解決不能であるという選択も必要だと思います。 ボルトの問題では、現在はどうか、未来も含めてどう考えるかによって変わってくるでしょう。 つまり、100m走で9.5sec.が切れるかどうか?という設問。 現在でいえば、分からない。 未来を含めると、もちろん可能だ、ということでしょうね。 9.5sec. など目じゃないでしょう。 かなり大雑把に言っていますが、考え方です。 殆どのこの種の問題がこういった構造なのではないでしょうか。 可能性大から小へ、そして不可能性の壁へ向かって限りなく近づいていく漸近線。 壁は高いけれど、時間軸を限りなく長く取れば、理論的には必ずそれに接する時が来るはずです。ま、それはボルトが100mを0秒で走る時、無限大のかなただということでしょうが。
お礼
回答ありがとうございます。何度もお手を煩わせてしまい申し訳ありません。 さて、言われてみれば、可能性を問う質問において「解決不能」の選択肢まで提示されてるケースはあまり見かけませんね。 質問を読んで「これは解決不能だな」と判断される方が居たとしても、その選択肢が明示されていないため、「分かりません」とは回答し難いのでしょう。 結果、「あり得る」の回答が相対的に多くなる。 加えて、おっしゃられたような将来的可能性を考慮する方は、「あり得る」と答える。 ますます「あり得る」の割合が大きくなる。といった流れでしょうか。 おっしゃられた「100m走0秒」の可能性、これも確かに否定できない。 私が考えたのは、「身長が100mを超える人間が出現したら、スタートと同時にゴールできる」です。 ちょっとズルい感じはしますが(いや、実際反則かも(笑)) 話は変わりますが、#2の補足はご覧頂けましたでしょうか? 「お話」とすべき所の「お」を、修正を行った際に消してしまいまして、 結果的にひどく偉そうな印象の文になってしまいました。本当にすみませんでした。 どうかお気を悪くなさらぬようm(_ _)m
クイズの正解不正解 ○ × の設定は、一問一問がそれぞれ常識ではほぼ半々とされているでしょう。 どちらかに偏っている問題設定は興味を損ないます。それが数多く集まれば数理的に更に50%にちかづいていくと思います。 設問の「あり得るか?○ あり得ないか? ×」も本来は半々で設定されているはずです。しかし実際には ○ に偏っている。 これは設問での恣意的な操作が原因なのではないでしょうか。 設問では限りなくあり得ない(が実際にはある)ものを多く探して出し、これを常識では考えられないものとして50% 常識ではあり得るもの50% と設定します。 この結果として >その答えはほぼ100%「あり得る」であったそうです。 ということになったのでしょう。 TV局が好むサプライズ好み傾向の結果と見て良いのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。 テレビ局の都合ではないかとの話でしょうか。 質問の書き方が悪かったので恐縮ですが、私には、クイズ番組など以外、 例えばこちらのような質問サイトにおいても、同様の傾向があるように思えるのです。 ただ、頂いた回答を読みますと、テレビ番組とその他では事情が異なる気がしてきました。 テレビ番組の場合、おっしゃられるように局側の思惑も大きく影響するのかもしれません。 宜しければ、#1さん、#3さんへのお礼コメントもご参照下さい。
補足
すみません。脱字訂正です。 お礼欄二行目(三行目かな?)、 「との話でしょうか」→「とのお話でしょうか」 「お」が抜けてしまいましたm(_ _)m
- QES
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「あり得るだろうか?」「あり得る」は 「可能性はあるだろうか」「可能性はある」と言う意味ですよね。 つまり可能性が0.1パーセントでもあれば「あり得る」であり、逆に言えば可能性が0であることを実証できなければ「あり得ない」とは言えません。 ボルトが100mを9秒58の世界新記録を出しましたが、「9秒を切る人間の存在はあり得るだろうか」という質問には、60億人すべての能力を否定できない以上やはり「あり得る(可能性はある)」と答えざるを得ません。 ただし可能性だけで終われば番組にならないわけで、それを探し出し実証してはじめてTV番組として成立します。 つまりテレビ番組は、YESかNOかを問うているのでなく、この非常に稀有な例を見事に探し出してきました。 それを紹介しますからご期待くださいという意味です。
お礼
回答ありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。 逆の視点から考えると分かり易いとのご指摘ですよね。 …スミマセン。実は、質問投稿後、私もその点に気づきました。 つまり、「あり得ない」ことを証明するのが困難なので、「あり得る」という答えが多くなってしまうのではということです。 本題とは直接関係しませんが、ちょっと驚いたことが。 回答頂いた中の、ボルトの件、私も同じことを考えてました。 これについて補足にて少し書かせて下さい。お読みいただかなくても結構です。
補足
回答ありがとうございました。 以下は本題とは関係ない話です。先にお礼欄を見ていただければと思います。 「100m走において人間が9秒をきる可能性」についてですが、 勝手な推測で、「人類の平均身長に関係するのでは?」(平均身長が高くなればひょっとすると…)と考え、自分なりに調べました。 結果、どうもそんな単純な話ではないようです。また、有効な資料がなかなか見つかりません。 もうギブアップ寸前です(泣) 駄文、失礼しました。
お礼
回答ありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。 質問する側の心理も関係するとのご指摘ですよね。非常に興味深い考察です。 思い返してみますと、私自身「…あり得るでしょうか」と質問する時、 「おそらく可能性はあるのだろうが…」と予測しつつ投稿することが多いですね。 稀に「あり得ません」との回答を頂くこともあるのですが、 その際も「なぜそんな事が言えるのだろうか?」と訊き直したくなってしまいます。(我ながら、タチの悪い質問者です(汗)) 少しまとめてみますと、まず、#1さんも言われている、 (1)あり得ないことを証明するのは非常に難しい。(数学では当てはまらないかもしれませんが) という事と、おっしゃられた、 (2)質問者は「あり得る」という答えを期待しつつ「あり得るだろうか?」の質問を行う。 (多くは、元々可能性が予測できる類のものであったり、「あり得る」との答えが得易いような質問内容にしてあったりする) という二つの理由から、世に広がる「あり得るだろうか?」の答えが「あり得る」とならざるを得ないのでしょう。 より正確な答えを得たいならば、 「…があり得ないことを論理的に(あるいは数学的に)証明して下さい」 とでも言えば良いのかもしれません。 まあ、こんなまわりくどい質問の仕方では、答える気も失せてしまい、結局ちっとも回答が集まらなかった、 なんて事もあり得るでしょうか? …もちろん、あり得る!(笑)