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金大中拉致事件
日本の現代史を勉強中です。 金大中氏が日本滞在中に韓国官憲に拉致されました。 このとき原状回復しませんでしたが、なぜですか?
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<金大中事件 主権侵害のとき原状回復は道理です(相手国が応じないときは国交断絶しても要求する)。 このよにしなかった理由は何ですか?> 当時の自民党・政府首脳は、その理由を墓穴まで持って行ってしまいましたから、確かなことは不明です。 当時の日本政府の体質は ・密約があっても公式には否定し続ける。 アメリカの核兵器持ち込み密約疑惑 ・金で国益を曲げる。 ロッキード事件 ・財界からの政治献金で、政策が決まる。 田中角栄の金庫番、金丸信の逮捕 などから見て、当時「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長をしていた韓国に対する、日本側の投資利権が絡んでいるのは間違いないでしょう。 韓国の経済成長で、日本側の大企業が潤っており、相当額の投資も行われていました。国交断絶ということになれば、日本大企業が大損するので、財界から適当にお茶を濁した幕引きを求められたと考えます。
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- sudacyu
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韓国と日本の間に、密約が交わされたという説が濃厚です。 密約内容については、諸説あってはっきりしませんが、現状回復しないということは、結果から見て明らかでしょう。 ウイキの記載も密約内容については、かなり怪しいように感じます。 金大中事件 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6 ≪全くこの質問と無関係ですが≫ 質問者さんの「竹島を取り返さない理由」の質問に対する私の回答に対して、追加質問があったので付け加えます。 1.どれくらいの期間座視すると、相手の実効支配になって、実力行使できなくなりますか? 期間ではなく、実効支配が有効となっているかどうかという点が重視されます。 竹島は、第二次世界大戦の敗戦によって日本の海軍力が崩壊したため、事実上、日本の実効支配が行われない空白地帯となっていました。 2.韓国占拠当時は、本当に日本より韓国が強かったのですか? 韓国による海洋主権宣言は(=李ライン設定)、1952年1月に行われました。 それに対して、日本がアメリカから艦船を譲り受けて、海上警備隊(海上自衛隊の前身)を創設するのは1952年4月26日です。 1951年10月には、日米で海上警備隊創設への具体的な動きが始まっていますから、李ラインの設定は、日本が竹島の再実効支配を始める前に、駆け込みで行われた公算が大です。 李ライン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3 海上警備隊 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E8%AD%A6%E5%82%99%E9%9A%8A
補足
1.金大中事件 主権侵害のとき原状回復は道理です(相手国が応じないときは国交断絶しても要求する)。 このよにしなかった理由は何ですか? 密約あったとしても何故原状回復させなかったか? 国交断絶困るのは韓国側。 2.竹島実効支配、日本海軍力わかりました。 韓国抜け目ない。 ありがとうございます。
お礼
>国交断絶ということになれば、日本大企業が大損するので、財界から >適当にお茶を濁した幕引きを求められたと考えます。 「適当」は悪い意味の適当ですね。 よくわかりました。 毅然とした態度より経済金銭優先が政府国民の体質考え。 国家主権侵されても金銭大切。 ありがとうございます。