カントは「知る」ということはどういうことか、考えました。
たとえばひとつの曲を聴いているところを想像してみてください。音というのはそれ自体としては、ばらばらなものです。それをひとつのメロディとしてわたしたちが把握するためには、
1.音のインプットをつぎつぎとおこなう。
2.このインプットされた音にそっくりなイメージ(哲学的には「表象」といいます)を想像力のなかに持つ
3.想像力のなかにたくわえられた表象を、つなぎあわせ、フレーズとしてまとめ、全体へとつなぎあわせる
4.こうした連鎖を総体として把握する
このプロセスをすべてやりとげたときに、わたしたちはひとつの曲を聴いた、と感じるのです。それでも、わたしたちの意識にあらわれるのは、このなかで4だけです。けれども、4が可能になるためには1~3がすでに起こっていなければなりません。
音楽ばかりではありません。人の話はそれ自体としては音の連続でしかありません。文字にしても同じ。絵は絵の具の塗り重ねです。
わたしたちは外部世界から受けるさまざまな刺激を取り込み、自分の内で表象としてたくわえ、それを時間と空間というかたちでまとめ、整理し直して認識しているのです。カントはこのプロセスをおっそろしく厳密に分析していきました。
それが『純粋理性批判』です。
もうひとつカントは重要な本を書いています。
『実践理性批判』というのは、人はいかに行動すべきか、正しい行動とはどんなものか、そうして、人間の自由というのはどういうことかが書いてある本です。「真に自由に行動する」というのは、勝手気ままに行動することではなく、自分のやったことは自分に責任があると考えることである、ということが書いてあります。
ほかにも、『永久平和のために』という本があります。これは『純粋理性批判』などとはずいぶんちがうものですが、最近新訳が出て、ずいぶん読みやすくなっていると思います。何かひとつカントを読もうとお考えでしたら、この本をおすすめします。