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日本史、世界史における捏造事件を教えて下さい

皆様ご承知とは存じますが、そう遠くない前に、縄文時代など古代日本史における捏造が、とある専門家の手によって行われました。 何も日本史のみならず、世界史においても捏造の介入の可能性があり得るのかもしれません。 また数十年前でしたでしょうか、ある古代文明の大展示会がデパートにて開催されましたが、何とフェイクが大量に紛れていたことが判明し、それが発端で引責事件にまで発展した事件もありました。 その企画会社の社長の娘がたまたまかつてのクラスメートだったので、いまだにショックで忘れられない記憶として残っております。 美術品をはじめ、歴史に関わる事象を扱うことの複雑さと倫理というものにちょっぴり触れた気分だったと思います。 古代史絡みはロマン溢れる魅惑のジャンルながら、なかなか事実認定や断定をするのが難しいのかもしれません。 ですが、一素人として考古学や歴史を楽しむ分にはいざ知らず、故意の捏造は決して褒められたものではありません。 ただ、いわゆる「正史」とは違うアウトサイダー的な側面と申しますか、「捏造事件」そのものも「歴史」とみなしうると考えるならば、それなりに過去の事件は興味深いようにも思われます。 そもそもいわゆる通説となっている「正史」、ならびにそのバイアスに囚われた見方による副次的な視点を遠ざけると何か面白いものが見えてくるような気もするのです。 もちろん古今東西によって「捏造の動機」すら大いに異なるかと思われます。 そこでこのたびは、研究の末ではなく、捏造が発覚、もしくは洒落で世間を”ひっかけた”というようなお話がありましたら、古今東西を問わずご教授いただきたいと思います。 何も大それた歴史的事件に限らず、骨董品の真贋話でも、絵画のフェイクでも、中世の文献の捏造でも、何でも構いません。 もし御存じの方がいらっしゃいましたら、よろしくお願い申し上げます。

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回答No.21

 回答番号:No.20 あぁ、どうも誤解されておられたかも知れませんね、てょいと今になって、ご文章から気付きました。  真実に生きるから真偽の判断ができるのだということです。  真偽を見分ける、批判力と眼光の涵養はまともに、正気でいきていくことによりなされる。  ということについてのご認識がご経験になっておられますか?  このようにあざなえる縄のような真偽の状態の世に中と歴史です。  その真偽は自己の冷静な意識で判断するのです。  芥川の藪の中ですか。世の中はあんなものです。  その真偽の判断は自己の冷静な正気性です。  これは夫々の人が自分で体験することです。  論証や理論では在りません。  盟神探湯とは容疑者に課すというのが歴史の勉強でした。  それもあるかもしれませんが、正しく伝わらなかった教えの一つですね。  間にいい加減な人が介在した嘘の伝承でしょう。  これはむしろ判断者の側に課すものでしょうね。  対象に盟神探湯を課して何に為りますか?  馬鹿らしいと思いませんか。  そして人は常に判断者として生きているのではないでしょうか?  昔の賢者の言葉を、理解できない人が介在して現代に伝わるいい例ですね。聖書もそうなんです。そして改竄されてきて。  挙句にみんな翻弄されてきている。  哲学や思想というのはそういう閑な理屈やが関ってきているのですね。

noname#96756
質問者

お礼

krya1998様、重ねてのご回答を本当にありがとうございます。 >真実に生きるから真偽の判断ができるのだということです。 >真偽を見分ける、批判力と眼光の涵養はまともに、正気でいきていくことによりなされる。 >ということについてのご認識がご経験になっておられますか? とても「わたくしは真実に生きている、正気で生きている」とは公言憚られますが、いつもわたくしなりに実直に真っ直ぐに生きているのだと思います。 といいますか、それくらいしか何も成しえません。 それでも他人様から見たら、わたくしは真っ直ぐどころか曲がっているのかもしれませんが…。 krya1998様の仰ること、良くわかります。 大切に受け止めさせていただきますね。 親身なご教示、痛み入ります。

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  • wankodan
  • ベストアンサー率44% (90/203)
回答No.1

元(後に取り消された)人間国宝に加藤唐九郎さんという陶芸家がいました この方大変オチャメでして自分の作った陶器の破片を 鎌倉時代の破片だと偽って解説しその後、その破片と同じ様式の壺が 出土されたと発表したんですね でまあ人間国宝の言うことだからと役人関係者がだまされてなんとその壺が 国の重要文化財に指定されてしまいました(永仁の壺事件) まあ結局ばれて人間国宝も取り消されてしまったのですが 後年、俺は国宝を作ったと話していたとか・・・

noname#96756
質問者

お礼

wankodan様、ご回答をありがとうございます。 大変勉強になりました。 「永仁の壺事件」は何とも痛快なお話ですね。 鎌倉時代の破片ですか。 少し調べてみたところ、事件に大きく関わった小山富士夫氏による「六古窯」という言葉の孕むニュアンスが、どうやら「鍵」のように思えてきました。 平安後期以降に生まれた地方の自律的な古い窯の意味合いで「愛知県の常滑焼、瀬戸焼」「福井県の越前焼」「滋賀県の信楽焼」「兵庫県の丹波焼」「岡山県の備前焼」を指すようです(別途須恵器系として石川県の珠洲焼など隠れた名窯がありますが)。 そして当時は発掘調査により数多くの、そしてその殆どが鎌倉~室町時代に廃れてしまったであろう地方陶窯の存在が、徐々に明らかになりつつあったとのこと。 「永仁の壺事件」はそんな時代に大変適った「捏造事件」だったのではないでしょうか。 人間国宝を取り消されても、加藤氏ご本人としては「鎌倉時代のそれをも超えた」との並々ならぬ自負心があったのでしょう。 「後年、俺は国宝を作ったと話していたとか・・・」とは、いやはや、大したものです(笑)