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日本史、世界史における捏造事件を教えて下さい
皆様ご承知とは存じますが、そう遠くない前に、縄文時代など古代日本史における捏造が、とある専門家の手によって行われました。 何も日本史のみならず、世界史においても捏造の介入の可能性があり得るのかもしれません。 また数十年前でしたでしょうか、ある古代文明の大展示会がデパートにて開催されましたが、何とフェイクが大量に紛れていたことが判明し、それが発端で引責事件にまで発展した事件もありました。 その企画会社の社長の娘がたまたまかつてのクラスメートだったので、いまだにショックで忘れられない記憶として残っております。 美術品をはじめ、歴史に関わる事象を扱うことの複雑さと倫理というものにちょっぴり触れた気分だったと思います。 古代史絡みはロマン溢れる魅惑のジャンルながら、なかなか事実認定や断定をするのが難しいのかもしれません。 ですが、一素人として考古学や歴史を楽しむ分にはいざ知らず、故意の捏造は決して褒められたものではありません。 ただ、いわゆる「正史」とは違うアウトサイダー的な側面と申しますか、「捏造事件」そのものも「歴史」とみなしうると考えるならば、それなりに過去の事件は興味深いようにも思われます。 そもそもいわゆる通説となっている「正史」、ならびにそのバイアスに囚われた見方による副次的な視点を遠ざけると何か面白いものが見えてくるような気もするのです。 もちろん古今東西によって「捏造の動機」すら大いに異なるかと思われます。 そこでこのたびは、研究の末ではなく、捏造が発覚、もしくは洒落で世間を”ひっかけた”というようなお話がありましたら、古今東西を問わずご教授いただきたいと思います。 何も大それた歴史的事件に限らず、骨董品の真贋話でも、絵画のフェイクでも、中世の文献の捏造でも、何でも構いません。 もし御存じの方がいらっしゃいましたら、よろしくお願い申し上げます。
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お礼
krya1998様、重ねてのご回答を本当にありがとうございます。 >真実に生きるから真偽の判断ができるのだということです。 >真偽を見分ける、批判力と眼光の涵養はまともに、正気でいきていくことによりなされる。 >ということについてのご認識がご経験になっておられますか? とても「わたくしは真実に生きている、正気で生きている」とは公言憚られますが、いつもわたくしなりに実直に真っ直ぐに生きているのだと思います。 といいますか、それくらいしか何も成しえません。 それでも他人様から見たら、わたくしは真っ直ぐどころか曲がっているのかもしれませんが…。 krya1998様の仰ること、良くわかります。 大切に受け止めさせていただきますね。 親身なご教示、痛み入ります。