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世界史、日本史のあまり知られていない興味深い事件

歴史カテに投稿したのですが、回答がつかなかったのでこちらに…。 もしあれば教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • localtombi
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回答No.4

「奇跡の撤退 キスカ」です。 キスカ島というのは、日本の北太平洋にあるアリューシャン列島にある島ですが、第二次大戦中にこの島を守っていた守備隊6000名もの日本兵を、島を包囲していた連合軍に全く気づかれずに、無傷で全員を撤退させた出来事(ケ号作戦)があります。 同列島のアッツ島にも守備隊がいましたがここが全滅し、東側のアムチトカ島には米軍の飛行場があることから、両側から米軍に挟まれた形のキスカは、アメリカ軍に制空権を握られて完全に孤立しました。 さてこの「ケ号作戦」は、キスカ周辺に濃霧がかかる日を選んで決行されました。 霧があるうちは、目視攻撃による米軍の爆撃がないからです。 ですが、直前で霧が晴れて作戦は一旦頓挫します。 やがて霧が出るという天気予報により、救援艦隊は密かにキスカ湾に進入し、55分という異例のスピードで全兵員を収容・撤収しました。 こうして、戦史上かつて例がない1人の犠牲者も出さずに無傷の撤退が完了しました。 その後米艦隊は、艦艇100隻余り、兵力約3万4000名の上陸部隊を動員して、艦砲射撃の後にキスカ島に上陸します。 そして米軍が発見したのは、数匹の犬だけだったと言われます。

krrkr
質問者

お礼

このエピソード、すごいですね。 回答者さんの情景描写がうまいのもあり、なんだかすごい映画をみたような気分になりました。 ありがとうございます!

その他の回答 (10)

回答No.11

ヨシュアはエホバの神からカナンの地を与えられ、ヨシュアはアイの住民をことごとく滅びつくすまで・・・という大虐殺。エホバの神は私を信仰しない人間は大人、幼児に関わらず全ての生き物を殺し、その街を焼き払い、その街を復興する全ての意図をつぶしなさい。 と命令した。エホバの神を信仰するする人々はこれを至上の信仰としている。 というのが本当の教義。

krrkr
質問者

お礼

ひえっ な、なんというか、うーん…宗教ってむずかしいですね。 ありがとうございました!

回答No.10

日本の(芸能史)ですが… 葉加瀬太郎は実は婿入りである 本名は「高田太郎」です

krrkr
質問者

お礼

ええー!そうなんですか! ありがとうございます!

  • localtombi
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回答No.9

もうひとつ・・・ ベルリンの壁が崩壊するきっかけとなった出来事。 「ヨーロッパ・ピクニック計画」です。 http://www.youtube.com/watch?v=k8hzrGyvKGA 詳細はこちらを見ていただくとして・・・ ハンガリー政府がオーストリア国境の鉄条網を撤去した事を受けて企画されたイベントで、主催者はハンガリーにいる東ドイツ人達に対して、“開催地のショプロンで行われるピクニックに行けば西に出られる”という情報を流しました。 そして集まった人は徒歩でハンガリー国境を越え、普通の政治集会的なイベントであったはずのピクニックが、国境を越える脱出劇へと変わったことで、結果的には20万人もの東ドイツ人が西側に脱出し、その影響を受けてその3ヵ月後にベルリンの壁は崩壊しました。

krrkr
質問者

お礼

なんだか歴史ってすごいですね…。 その大きな流れ、偶然なのに必然であったようにも思えます ありがとうございます!

回答No.8

ベルリンの壁崩壊 ドイツの情報大臣の勘違いによって崩壊してしまった 「史上最もすばらしい勘違い」と言われている

krrkr
質問者

お礼

>ドイツの情報大臣の勘違いによって崩壊してしまった ベルリンの壁崩壊自体は私も何度も映像でみましたが、このきっかけははじめて知りました! ありがとうございます

回答No.7

よく取り上げられる話ですけど・・・ エルトゥールル号遭難事件と、それからおよそ100年後のイランイラク戦争時のイラクに居た日本人の脱出にまつわる、日本とトルコの友情の物語。

krrkr
質問者

お礼

日本とトルコって、そんなエピソードがあったんですね…! ありがとうございました!

noname#209171
noname#209171
回答No.6

旧ソ連崩壊の話 ゴルバチョフが党書記長の座に就いたのは1985年のことですが、彼は直後に労働規律を回復するためとして禁酒令を施行してしまったのです。そのため国を挙げての大々的な反アルコールキャンペーンが展開されました。 党に忠誠を誓っていた人間は禁酒令に従いましたが、飲まずにはいられない労働者たちはそうはいかなかったそうです。 酒屋の開店は午後二時からに制限されて、ウオッカが入手しづらくなると、それまで一本づつ買っていた者がみんなまとめ買いをするために午後二時にもなると酒屋の前はどこでも職場を抜け出してきた労働者たちの長い列ができたのです。 酒飲みが多くて職場が乱れて困るという理由から、労働規律を回復するのが目的だった・・・・・・・はずなのですがこれでは何のために禁酒令を施行したのか分かりませんね。だって逆効果ですもの!。 とうとうゴルバチョフをぶん殴ってやるという勇ましい連中がクレムリンに押し寄せました!。 旧ソ連が崩壊したのは民衆が禁酒令に反発したせいです。(ロシア人はウオッカなしでは生きられないとも言われています。) そのためゴルバチョフが失脚 → 大酒飲みのエリツィンが大統領に就任となります。

krrkr
質問者

お礼

悪法高き禁酒法…ですね! 確かに、娯楽を禁止されたら私も仕事するきなくなっちゃいます…。 ありがとうございました!

回答No.5

バイカル湖の悲劇 で、検索してみてください

krrkr
質問者

お礼

25万人…規模が違いますね…。 でもその前にも、100万人が行進中に亡くなってるんですね。 数は途方もないですが、一人ひとりのことを考えると涙がでてきます。 ありがとうございました

noname#204360
noname#204360
回答No.3

江戸時代の鎖国中に、遭難してアメリカに渡った日本とくれば 誰しも『ジョン・万次郎』と答えると思います 所が、そのジョン・万次郎よりも早くアメリカ(正確にはハワイ)に辿り着いた日本人が居ます その人物の名前は、米田屋次郎吉(+他の乗組員数名) ↓ http://www.aimono.com/goods/zirokiti.html この方は、北前船で出港したものの、遭難しアメリカの捕鯨船に救助され その後、ハワイ、カムチャッカ、オホーツク、アラスカへと渡り 5年後に帰国しています

krrkr
質問者

お礼

今ですら時間がかかるのに、その時代まさしく大冒険ですね…。 運の強さに感嘆します(遭難してるから悪い…のか?) ありがとうございます!

  • 1paku
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回答No.2

ペリーの黒船騒動前にも、たとえばロシアの使節が来て、日本に開国を迫っていたこと。 アメリカの開国要求の大きな理由が、捕鯨船団の補給基地としての利便。当時のアメリカ、捕鯨が盛ん、しかも肉ではなく鯨油だけが目的。いま、日本に鯨獲るなって言ってる国なのに。 ペリー艦隊の二度目の来日。アメリカに帰国して、改めて太平洋を横断してきたかとおもいや、香港あたりで補給してたと。 黒船の脅威に対抗すべく、徳川幕府も黒船を購入して、海軍設立。その最初のプランで予定していた黒船の数は、当時の世界中に存在する数を大きく上回っていた。 ペリーのはったりを信じたわけね。

krrkr
質問者

お礼

>黒船の脅威に対抗すべく、徳川幕府も黒船を購入して、海軍設立。 他のもはじめてしりましたが、これが一番びっくりしました!歴史の教科書には、黒船に驚いた…みたいなことしかかいてないので(笑) ありがとうございます

回答No.1

タイタニック号すり替え説 明治天皇すり替え説

krrkr
質問者

お礼

すり替え!?そんな疑惑があるのですか! ありがとうございます

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