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【成功】するためには、

・家族を養わなきゃならないのに鬱病で仕事ができなくなって・・・ ・破産寸前で借金に追いたてられ自殺を考えて・・・ ・投資、最初はうまくいかなくて大損害を抱えて途方にくれ・・・ ・起業、何度も倒産を経験して・・・ 【成功】するためには、 こんな壮絶な体験をしなきゃダメなんでしょうか? 行動は言葉にすれば同じような事をしているものだとして、 (座って何も考えず無為に過ごしているだけでは無理ですから) 例えば・・・何らかの方法で勉強したり、考え方を見直したり、 行動あるのみで努力したり、 人脈をつくって協力者を得たり or自分を信じて孤独なランナーとして走る決意をしたりetc. 同じようなエネルギーをはらった上で、 ストレートにすんなり【成功】のラインに乗ってもいいと思いますか? それとも冒頭に書いたような壮絶な体験をしなければならないですか? (最初の2つの例は特殊なケースだとしても、 後半2つの例は通過儀礼、みたいに言われているように思います・・・ というか、質問者本人は最初の2つの苦難を十分に体験したので、 後半2つの例はできるだけあっさりと通過したいのですが^^;) 結局は本人次第だと考えた上で、悲観論や一般論でない、 個人個人の方々の経験談や、哲学をお伺いしたいと思います。 貴重なご意見を、 よろしくお願いします。m(_ _)m

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回答No.1

こんにちは。個人的な考えを書かせていただきます。 「成功」という概念は個人個人で捉え方や意味が異なりますが、社会意識の中で私たちは集合的に「成功=お金」や「成功=幸せ」のような図式を教えられます。つまり、そこには「正しくなければならない」という集合的な意識があるように感じています。究極的な所では、成功と失敗という図式から離れる必要があると私は思っています。 例えば、例で挙げていただいた成功の前に挫折的な事が起こるという話は、よくある社会的なパターンのように感じます。これは、人は自分が欲しいものが目の前にあっても、それを受け取ろうとせずに、昔のパターンで行動する、つまりは新しい環境に移動するには慣れ親しんだ環境から離れる必要があるため恐れを持ちます。幼少期の家庭環境にも大きく影響しているようですが、両親から認められるため、両親からあえて怒られるような態度を取ったり、両親が持っている悲しみを一緒に体験しようとしたり、様々な戦略を作ります。この戦略のパターンが習慣化された行動を引き起こし、無意識的にも意識的にも新しい事を行う際に恐れを感じます。この戦略の中には人によっては成功するためには何かを失わなければならないという価値観も含まれているように感じます。 でも長年経過し、抑圧された感情や創造性が表に出ようとする際に、私たちはいわゆる「大きな」体験を起して、次のステップへと進むという傾向があるように私は感じます。この枠組みの中では、成功=親から認められること、失敗=親から拒絶されること、になるかと思っています。つまり、成功と失敗という枠組みの中にいる内は、浮き沈みのある人生構造になるように私は感じています。 この意味で、自分の中にある成功と失敗という枠組みを離れることができれば、全てがOKの状態、つまり、他者を認め自分自身を最大限に表現できる状態になれます。自分の創造性を自然に発揮でき、自分にしか表現できないことを世界に対して表現できるようになれるでしょう。完全な満足の状態です。 いわゆる「成功者」と呼ばれている人の中には努力なしで、ただ自分自身を表現していただけという人がいます。自分を完全に表現できていれば、そのエネルギーに引き寄せられて人々が集まってきます。お金の面を見れば、自分自身の本質を表現できれば、お金も自然と付いて来る事になります。 結局のところ、成功と失敗の枠組みから離れるには「私は誰か」という究極な面にぶつかることになります。もしこの答えを見つけて、自分にしか出来ない事を表現できれば、成功と失敗という概念が消えて、あるがままの自分を受け入れる事ができます。 以上ですが、私の個人的な体験から書かせていただきました。個人的な考え方ですが、何かの参考になれば幸いです。

jamajestic
質問者

お礼

求めていた以上のご回答ありがとうございました! 深く共感します。 “成功”するためには「正しくなければならない」と思い込み、 だけど、図式化された「正しくなければならない」は、 「他者を認め自分自身を最大限に表現できる状態」から遠ざかっていくだけで、 それは結局、求めているはずの成功を遠ざける・・・ 「世間」で言う「成功」するには、個性を殺し嫌なことをしなければならない。 表現する「自由」や時間的自由が欲しければ、金銭的成功は諦めなければならない。 そう思い込まされていて、 トライ&エラー&エラーばっかりで(笑) いろいろ悩みましたが、 全ての答えは「深い意味で自分を知り、自分らしさを表現すること」 にある事を学びつつあり・・・ 内面の自己変革をし、現実に投射する段階にさしかかっていて、 それに当たって乗り越えるべきや難題っぽい局面があったので、 今回の質問に至りました。 Crystalize さんともっとお話してみたい気になりました。(*´∇`*) うまくレスできたかわかりませんが、 自分の選ぶ道に自信が持てました。感謝です!

その他の回答 (3)

noname#100496
noname#100496
回答No.4

この世界を仏教では、仮の世界、シュミレーションの世界、諸行無常と教えます。不調和世界の脳と、調和世界の自然が、出会うためにつくられました。不調和と調和という、異質の、正反対の、世界がぶつかる世界です。だから世の中は、陰陽の二元世界です。成功半分、失敗半分、良いこと悪い事半分、善悪半分、繁栄滅亡半分、だから浮き沈みの無い、中庸がいいです。

jamajestic
質問者

お礼

なるほどですね~ 識見深いコメントを有り難うございます( *´艸`) ですが、いきなり中庸を選んだのでは、 不調和世界と調和世界がぶつかりあうシミュレーションの目的が達成されないのでは? 短い文章なので、 ちゃんと文意を読み取れていないかもと思いますが・・・m(_ _)m

  • booter
  • ベストアンサー率34% (269/769)
回答No.3

苦労しなくても成功していいです。 モノマネタレントのコージー冨田さんがいい例です。 コージー冨田 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BC%E5%86%A8%E7%94%B0 無名時代は新宿のものまねパブ「そっくり館キサラ」で働いていた事があり、当時結構ギャラも良く下積時代の芸人にありがちな貧乏での苦労をした事が無いと「徹子の部屋」で発言している。

jamajestic
質問者

お礼

そういうお話も求めていたんです! 有り難うございました(*´∇`*)

noname#101110
noname#101110
回答No.2

私的には「成功」という概念を若いうちに思い切り縮小したのが良かったと思います。もっとも、それ以前の、社会に出る前、そして以来数年は本気でかなり上位の「成功」を目指していた時もあるのですが、あるきっかけから現実に目覚めて軌道を修正し、以来地道に、いまある自分を出来る限り壊さずに、石の橋を叩きながら現実路線をひた走ってきました。 もちろん大病に罹って、あるいは予期せぬ事故にかかわってそれらの現実路線もままならぬようになることはありえたとは思います。そのためにも民間の生命保険にもいくつか入りました。幸いそういう不幸なことは大筋においてなく、それは現在少ないながらも自身の公的保険の補填をしています。 ・投資、最初はうまくいかなくて大損害を抱えて途方にくれ・・・ ・起業、何度も倒産を経験して・・・ 一旦はその賭場口に立ったものの結局、極力それらの道を回避して小さい「成功」掴んだ(と自分では思っている、そして満足している)一個人の述懐です。

jamajestic
質問者

お礼

個人的な経験談もすっごくためになります。 貴重なお話、ありがとうございます☆m(_ _)m 人間が心から【成功】や【幸せ】だと感じるその形が、 人それぞれ違うだけなので・・・ 私はこの質問では社会や金銭的にも大きめの【成功】を定義しましたが、 自分の決めた成功を通して幸せや満足を感じるのが、種類や大きさよりも 何よりだと考えます。 自分で決めた道を歩み、そう言えるamazo007さんはご立派だと思います!

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