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人の悪口をいうこと
人の悪口を言う、ということ。 この行為についてどう思っていますか? 皆様の意見を教えてください。
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尊敬します=劣位宣言 下らない or 可愛い=優位宣言 劣位は理想概念によって判断されますが、優位は常に意識されていると は限らず、寧ろ無意識下の感覚的な先行条件によってで、正反対の概念になります。 なので勝利宣言の理論(批判、悪口)の行為は思考力以前の趣味判断に よってで、先行条件として恐怖感、違和感などが伴うなら容易ともなる、悪口に理性は重要でない。 心理学ともとれそうな質疑ですが、心理学と哲学は手法が異なってい て、心理学は実験や統計によって一定の秩序や証明を完成させて整理し ていこうとするもの。分かる人だけ分かればいいという特権もある。 哲学の正当性は俗説や常識的な基準を放棄してでも!誰もが感じていて (理解しうる事柄であるのに)既得概念によって見過ごされている「直 観」を伝えるということ。 誰でも理解出来るということが哲学の正当性の証明になります。
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- RingQ
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以前こういう質問をしました。教えて!gooの投稿者達に恨みを持つらしい人のブログを読んだからです。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5086288.html ---「セッ●スゲームの標的にされ酷い目に遭いました。詳細をつづっています」というブログ紹介からのリンクで --- 悪口にも客観的な悪口と主観的な悪口があると思います。客観的なほうはいわゆる毒舌に近いもので、それほど悪口だとは思いません。毒舌には憐憫が混じっていたり、軽蔑が混じっていたり、嫌悪感が混じっていたりしますが、相手の多面性のうちの一面だけをうまくクローズアップするものだと思います。毒舌には高い分析能力が必要だと思います。 しかしながら、悪口というべきものは主観的な悪口です。相手のどの面も把握しているかのような自己過信にもとづき、自分中心の物言いになり、聞いても読んでも不快なものです。自意識が前面に押し出て勝っている心理だと思います。 どんな場合も自分中心の物言いでなければ物事や人の気持ちを決めつけることはできないはずです。悪口を言うとき、人は、自分自身の心や能力を不自由にしていると思います。端的に言うとバカになっているといえます。 でも少しぐらいはそういう不自由なところに身をおいてバカになってしまうこともあるのが人間というものではないでしょうか。不自由きわまりないバカになるのは、ほんの一瞬がいいですね。 悪口を言う自分自身を正当化するためには、必ず悪口を続けることになると思うんですよ。ますます自分中心の物言いにしかなりません。だから、一瞬でやめないと悪循環になると思います。
お礼
>悪口を言う自分自身を正当化するためには、必ず悪口を続けることになると思うんですよ。 そうですよね、相手は自分にとって「悪い人」でなくてはならないんです。言い続ける限りいつまでも。 たとえ相手に落ち度や欠点があったとしても、それは一面にすぎないということは意識していたいものですね。
補足
ご回答ありがとうございました。
心理的安定を求めているんだと思います。心理的安定がなぜ図れるのかというポイントですがおそらく人を傷つける事によって心理的安定を感じる、これが人を傷つける動機ということだと思います。 ・傷つけられた→人を傷つける→自分は傷ついていないんだと錯覚する ・不安がある→批判をする→あたかも自分は不安が無いかの様に錯覚する ・自分の居場所を奪われたくない→人を批判する→自分の居場所を確保したかのように錯覚する ・うらやましいと感じる→人を馬鹿にする→あたかも自分の方が羨まれる存在かのように錯覚する etc
お礼
心理的安定を求める、その通りに思えますね。 自分が優位に立ちたいという願望の表れのようにも感じられます。 ご回答ありがとうございました。
- bananasand
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>程度を問題と考える#2さまは、この行為に対して寛容な考えをお持ちのようですね。 程度を問題にしているのではなくて、背景と内容を問題にしてます。 悪口を広い意味で捉えると批判、否定的論評が含まれるでしょう。 無差別殺人犯をネット上で非難することも悪口でしょうね。 裁判に訴えることも、告発することも悪口の一種ですね。 如何なる他人の行為、言動に対して、誰に何を言うのかによって いわゆる悪口とする行為の性質が変わります。
お礼
>如何なる他人の行為、言動に対して、誰に何を言うのかによって >いわゆる悪口とする行為の性質が変わります。 ここは私の持つ答えと同じです。そしてアドバイスではなく私にとっては質問に対する回答です。 #7さまのお礼にも書きましたが、一口に悪口と言っても色々あると思います。また他2名さまのお礼で「悪口を悪いことと考えた場合」とも書いたように、私自身は悪口を単に悪いこととは考えていません。 「陰口(鬱屈した感情のはけ口レベル、快楽を目的)・批判(自他に建設的な何かを生むもの)・愚痴(省略)と三つに大別しています。 ですので、おっしゃることはよく分かりますし、今回同じ考えをお持ちなのだということが知れてとても嬉しいです。 しかしこういった詳細を書くとおのずと頂く回答の内容が影響されますよね。また限られた範囲のものになってしまいます。それに議論や特定の言動に対する善悪の判定をするものでもありません。ですから詳細は必要ないと思って書きませんでした。 私がこの質問を通して知りたいのは、皆さまの価値観です。 「人の悪口をいうこと、この行為」について皆さまがどの程度どう思うのか、その考えを広く自由に書いていただきたいのです。 悪口を悪いことと捉えてもらってもいいですし、悪口にも色々あるんですけどねという今回の#10さまのアドバイスも、まさしく私にとってはこの質問を通して知りたかった皆さまの価値観(回答)なのです。 幅のあるご回答をいただく中で、思ってもみなかったところから新たな発見があることを期待するものなのです。 最後になりましたが、確かに、もっと書き方があっただろうということは認めます。文章表現が苦手なのだとご了承いただければと思います。 補足回答ありがとうございました。
- hakobulu
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相手の悪口を言う、ということは、その悪いところを自分も同様に持っていて、自身でもそれを(無意識的に)苦にしていることの証明です。 「悪い」と確信できるのは、自身がその悪さに至る過程を経験しているからに他なりません。 「悪いこと」を全く知らない無垢の人間は他者を批判するという行為自体が不可能なわけです。 幼児が他人を疑ったり怖れたりする確率が少ないのはこういった理由によります。 苛め抜かれた犬は人間に吼えますが、生まれた直後から可愛がられる経験よりしてこなかった犬は、怖れるあまりに人間に吼えたりすることは少ないでしょう。 このように、悪口を言うということは、自らの経験、すなわり己の過去から脱却しきれていない人間である。 ということが言えます。 しかし、幸福一辺倒に彩られた過去しか持たない人間はいません。 悪口を言うのは人間の性でもあり、必然ということが言えます。 つまり、悪口というのは、自らの辛さ・苦しさの告白でもあるわけです。 それを言って気が済むのならいくらでも言えば良いのではないか、と私は思います。 ただ、上記の理由によって、悪口を言うときはあくまで控えめである必要があります。 また、堂々としていて卑屈でないこと、でしょうか。 その人の将来における精神的負荷を軽減するための一種の知恵ということですけどね。 そのへんの条件が満たされているようであれば、悪口を言うということ自体がその人にとっての精神的安定を図る必須条件でもあるのでしょうから、寛大な心で受け止めておくという姿勢を保持することが万事をつつがなく展開していくひとつの方法論になったりすることもあるでしょう。
お礼
確かヘルマン・ヘッセという人がこのようなことを言っていたと記憶しています。 「我々がある人間を憎む場合、我々はただ彼の姿を借りて、我々の内部にある何者かを憎んでいるのである。自分自身の中にないものなんか、我々を興奮させはしないものだ。」 #9さまの考察を読んで、この言葉を聞いた時の衝撃を思い出しました。 >つまり、悪口というのは、自らの辛さ・苦しさの告白でもあるわけです。 このように考えると、自分自身を見透かされるようで怖いですよね。 ご回答ありがとうございました。
私は、悪口をためらわずに言う人は、自分は相手よりも上だという優越感に浸りたい人が多いのではないかと思います。 また、一々、悪口を言われたのではないかと勘ぐる人は、端から見るよりも当人のプライドは低いのだと思います。 簡単に傷ついて、悪口を言うという行為は、結局は自信のなさから来るのではないかと思います。自分を信じていれば簡単に傷ついたり、敢えて人を傷つけるような行動を取ったり、“悪口”は吐かないと思います。 自分の周りは、自分を傷つける悪意を持った人、自分のプライドを貶める人ばかりだという思い込みが激しい人は、常に相手に悪意はないのか探る習性があるので、少しでも言葉から非難を感じると逆恨みして、自分から悪意を持った言葉を相手に投げつけるのだと思います。 悪口とは、結局は自分の中に巣くったドロドロした感情で、その人の一部なのだと思います。自分の思考の中から出てきた言葉なので、相手よりも自分自身を表しているとも言えます。 また、言葉を発した側が示唆や教示のつもりで話していても、受け取った側が悪口と取ることもあります。 厳しいけれど、本質を突いた意見だと真摯に受け止めることが出来る人なら、そこから得る物は大きいけれど、一々悪意を探る人であれば、ただの毒にしか成り得ません。 同じ言葉であっても、良薬だと取る人もいれば、毒だと感じる人もいます。 一口に悪口と言っても、それをアドバイスと取ることが出来る人ならば、軌道を外れても修正したり、物事の本質を捉えるチャンスに恵まれて、人生観が豊かにも成り得るけれど、毒だとばかり思う人は、もがき苦しむことが多いのだと思います。そして、人を貶めて、自分自身も人間性が落ちていくことに気が付かないという事態を招きかねないのではないかと思います。 本当の悪口とは、嘘や欺瞞に満ちていて、自分を綺麗に見せるために相手を利用する行為を言うのだと思います。 それを見極めるためには、即座に判断を下すのは危険な行為だと言えましょう。 自分と他人は似通った部分もあれば、相容れない部分もあります。 その人の思考なのか、自分の思考なのか、判断が難しいときもあります。 だから、悪口を自分に向かって発せられたなどと直ぐには判断を下さずに、相手の言葉の中に少しでも良心や真実が感じられたのなら、そこから自分の人生観にプラスの方向に役立てては行けないかと思い直すことが出来た方が、より豊かな人生を歩めると思います。 悪口の恐ろしいところは、それに大衆心理が働いたときに、真実が隠されてしまうこともあると言うことです。 多くの人が指示すればそれが真実とは限らないのに、大衆は多くの人が指示したことを真実と思いがちです。 悪口が単なる誰かが立てた悪評で、なんの根拠もない悪意そのものなのか、それとも真実なのか見抜く力がないと、自分自身も翻弄されたり、知らず知らずのうちに渦中にある人を追い詰める行為にもなりかねません。 悪口を発する人も、それに乗っかる人も、自分の言葉には責任を持たねば成らず、軽々しく言ってはいけないのだと思います。 悪口を発して、それが間違いだと気が付いても、時 既に遅く、取り返しの付かないようなことにならないよう、普段から自戒の念を持つことが必要だと思います。
お礼
>同じ言葉であっても、良薬だと取る人もいれば、毒だと感じる人もいます。 そうですよね、「良薬口に苦し」というように、自分の心の在り方・物事を受け止める姿勢というものを考えさせられます。 悪意があるのかないのか、そこを冷静に判断する必要はありますね。 ご回答ありがとうございました。
- garcon2001
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本人に直接言うのならかまいません。
お礼
そうですね、全く同意見です。「悪口と陰口の違い」ですよね。 ご回答ありがとうございました。
まあ 悪口は 言わないのが いいですね。 聞かれたら あの方は言い方ですね と いって 言葉を濁す。 又は あなたの生き方と その方は生き方の ポリシーが違うのでうから ちかずかなければ( なんちゃって をかなずつけて)というのが 世界で富を築いた華僑たちの 意見ですね。 他人ことを 良いとか 悪いとか 考えるより 悪口をいっている人は 寂しいのです。また 対人関係構築のノウハウが ないのです だから 一方を攻撃して グループを構築したい だけなのです。 あなたが 対人構築のノウハウがあれば 教えてあげれば (遠まわしにね) それに対応しない 人であれば あなたとポリシーが違う人です ちかずかないこと 又は あなたの力不足。
お礼
#6さまの回答を読んで、悪口を言う人は寂しいのだ、保守的で排他的なのだと感じました。 ご回答ありがとうございました。
- magga
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悪口をいう。 そのとき心に生まれる「貪り・怒り」が自分を傷つけ。しかも、その感情はあとをひき、その雰囲気が周りに影響し生命のネットワーク内で生きる自分を生き難い世界に引き込む。ともすれば相手に怨みをかいさらに… 簡単に言えば 「汚物を素手で掴んで相手に投げようとするようなもの」 でしょうか。自分は確実に汚れるが相手に当たるかは解らないw こんな思いを持ってます。
お礼
>「汚物を素手で掴んで相手に投げようとするようなもの」 >自分は確実に汚れるが相手に当たるかは解らないw 悪口を悪い事として考えた場合の本質をついた、上手い表現だったので思わず唸りました。 #5さまの考察を伺うと、まるで底なし沼のような悪の連鎖がイメージされます。 ご回答ありがとうございました。
- sugeaho
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悪口というのもいろいろあります。 言われた人の捉え方によっては 褒め言葉も悪口にされてしまうことはよくあることです。 悪口の内容は時として真実であったり、うそであったりします。 明らかなウソで冗談であっても他人は悪口と捉えれば ものすごく怒って反撃してきます。 真実の讒言であっても他人がその真実を知らず、悪口と捉えれば 言われた人意外は皆納得している事柄であるのにもかかわらず、 ものすごく怒って反撃してきます。 私はよく「バカ」という書き込みを頂きますが、 私はそれについて全く気にすることがありません。 それは私がバカであり、真実であるから仕方ないと納得しているからです。
お礼
捉え方次第というのはよく分かります。また真実や嘘を含むものであるというのも。 ご回答ありがとうございました。
- maimaisus
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ストレス解消。
お礼
端的なご回答ありがとうございます。 #3さまがどのように思っているのか、とてもよく分かる回答でした。
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お礼
>思考力以前の趣味判断 >悪口に理性は重要でない。 これは脳天に衝撃でした。 感情のけ口を目的とした行為だけは私の中では特別で、これを人前で・平気でやれるのは、感情の露出症のようにも思えていました。なぜそういうことが可能なのか私にはよく分からなかったのです。とても素直な反応、感情先行型なんだなという程度の理解でした。 悪口に理性は重要ではない、この言葉に感動を覚えます。 個人的に色々と考えさせられるご回答でした。ありがとうございました。
補足
お礼文の訂正です。 「感情のけ口を目的とした行為だけは私の中では特別で」は、 「感情のはけ口を・・・」でした。