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トゥ、ドゥの日本語の音韻としての立場

日本語の音韻についての質問です。 トゥ、ドゥは現在、日本語のオフィシャルな音韻として認定されていません。 しかし外来語の流入によって、例えば「タトゥー」などという言葉があり、「*タトー」「*タツー」等と言い換えることはできないでしょう。 「ドゥ」も、例えば「ギャランドゥー」を「*ギャランドー」「*ギャランズー」等と言い換えることはできません。 又「フュ」についても、例えば「フュージョン」を、「*フージョン」「*フユージョン」とは言えないし、「ヒュージョン」も違和感があります。逆に「日向」を「*フューガ」とも言えないでしょう。 (一方例えば同じ「国語表記の基準第二表」の表記でも、「ヴァイオリン」は通常「バイオリン」と発音するし、「高田馬場」を「タカダノヴァヴァ」と[v]の音か何かを使って発音しても意味は変わりません。) これらの音節を、音韻として認めるべきかどうか、という案や議論などは出ているのでしょうか? それともあくまでこれらは現在日本語の音韻には含まれないため、外国人に日本語の音韻の説明をする時には、[tu]、[du]、[fju(fは両唇音)]という音節は日本語には無い、というべきでしょうか? ただその場合、「タトゥー」「ギャランドゥー」「フュージョン」等をどう説明すればいいのでしょう? 非常に語例が少ないので、quasi phonemeとでも言うことは可能でしょうか?

みんなの回答

回答No.3

#1,2です。 肝心の結論を書き忘れていました。 >和語では、基本的には[t][ch][ts]が/t/の異音として相補的分布する一方で、外来語では、/tsu/と/tu/の対立がある、と胸をはって言うことができるか 先に述べたとおり、私は音素を認めない立場なので、こうなります。 和語層:/ti/ /tu/ → [chi] [tsu] というルールがある。 外来語層:上記のルールは適用しなくてもよい。 >少なくとも「/tsu/と/tu/の対立が日本語には無い、と言い切ることはできない。」と言えますかね? あくまで音素と言うことにこだわるならば、最小対の存在がポイント。 もし、「ツール」と「トゥール」、「チーム」と「ティーム」が別語であるならば、音素と認めてもよい。 古い外来語と新しい外来語で、そういう対立がありそうな気もするが、思いつかない。ただ、現時点では自由変異のたぐいとしておくのが無難か。

回答No.2

#1です。 う~ん、ますます Caquio さんが言語学にお詳しいのかどうか分からなくなりました。 音素かどうか、音節かどうか、いやそれどころか音素(音節)という単位を認めるかどうかさえ、科学的/学術的な問題で、政府や審議会の決めることではありません。 補足された内容は、あくまで目安としての日本語の表記の問題で、学問とはいささかの関係もないことです。政府に「音韻的に日本語の音節と認め」る権限などないのです。 もちろん、どういう表記がいいのか、目安の欲しい人のために「標準的な表記法」を示してやることには反対しません。どうぞご勝手に、ということです。ただし、それは科学的な記述とは一切無関係です。 学問は目の前にある現象を記述し、抽象化し、一般化し、説明することが目的です。音素や音節はそのために「必要なら」認められる単位です。 一方、学問はかくあるべしと言う価値観を強制しません。ら抜き言葉やさ入れ言葉、レタス言葉を排斥するのは言語学の仕事ではありません。 言語学者の仕事はら抜き言葉やさ入れ言葉、レタス言葉を面白いと思って記述し、なぜこのようなことばが生じたかを理論的に説明することです。 物理学者が「光速が秒速30万キロメートルというのは速すぎる。せめて10万キロメートルにすべきだ」といったら、笑いものでしょ? 政府によって「ティ、ディ、デュ、ファ、フィ、フェ、フォ、ツァ、ツェ、ツォ等が、日本語の音節と認定」されるなど、ありえないことです。Caquio さんが必要とお考えならば、「テュ」でも「フュ」なんでも、お認めになって構いません。 断っておきますと、私自身は音節は言語学的な記述において有用な単位ではあるが、音素は言語学的には不要な単位であるという学派(生成音韻論)を支持しております。このような学問状況において、政府が「認める」というのがいかにナンセンスか、お分かりかと存じますが。

Caquio
質問者

お礼

まあ、私は確かに未熟者ですから、変なことを言うことも多々あるでしょう。 内閣の国語表記を気にするのは、以前専門の方から、日本語で外来語の音韻として定着してるのは、平成3年に内閣が認定した13音節だけだとガツンと言われたのです。 もちろん、「スィ」や「ウィ」等を認める人もいるのでこの意見に反対する人もいるでしょうが。 > なぜこのようなことばが生じたかを理論的に説明することです。 はい、もちろんわかってますし、言語学を始めた時最初にそう習いました。 > Caquio さんが必要とお考えならば、「テュ」でも「フュ」なんでも、お認めになって構いません。 かと言って独りよがりで誰も賛成してくれないことを主張してもしょうがないでしょう。 > 物理学者が「光速が秒速30万キロメートルというのは速すぎる。せめて10万キロメートルにすべきだ」といったら、笑いものでしょ? この例はちょっと違うのでは?10万kmは明らかに間違ってるでしょう。政府は別に「日本語が孤立言語なのは寂しいから、インドヨーロッパ語とすべきだ。」ということを言ってるわけではないですから。(笑) 音韻体系の解釈は、目的によってもかわってくるでしょう。 現在の私の目的は、実は、「日本人がある音の発音、聞き分けの区別ができる」ということを、日本語を知らない外国人に説明することです。そのために、音韻上の対立を説明するのが一番てっとり早いと思ったのです。 例えば、「日本人が英語でtipをchipと発音するような間違いは、日本語で[ch]は/t/の異音であることが原因だ」という人がいますが、 私は、それも無くはないが、他にもっと大きな原因があると思うので、こう断定するのは危険だ、と言いたいのです。 それには「ティ」と「チ」が弁別的だと示すのがてっとり早いでしょう。 「ティ」と「チ」は、例えば「ティー」と「地位」(形態素の構成は違うが)のようなペアがある、内閣に認定されてる、松崎寛「外来語音の表記のゆれに関する定量的研究」(1993)でも外来語音の解釈で15の説全てが「ティ」「ディ」を認めてる、とでも言えばいいでしょう。(いくつかゆれのある例はあるとしても。) 一方、「トゥ」と「ツ」はそうはいきません。 「立つ」と「タトゥー」というnear minimal pairも無いことはないですが。

回答No.1

どうも Caquio さんが音声学や音韻論にお詳しいのかそうでないのか、よく分からないのですが。 まず、音節は音韻(音素)ではありません。音素(phoneme)は最小の弁別的単位です。/t/ /d/ /a/ は音素ですが、/ta/ /da/ は音節ではあっても音素ではありません。 ま、それはさておき。 >音韻として認めるべきかどうか、という案や議論などは出ているのでしょうか? なくはないのですけどね。 古くは服部四郎『音韻論と正書法』(研究社 1951年、新版は大修館書店 1979年)では、 「タ、テ、ト」は /ta/ /te/ /to/ 「チ、ツ」は /ci/ /cu/ 「ダ、デ、ド」は /da/ /de/ /do/ 「ヂ、ヅ」は「ジ、ズ」であり、/zi/ /zu/ としています。 これにより、 「ツァ」「ティ」「トゥ」は /ca/ /ti/ /tu/ と表記できると主張しています。 当時は「フュージョン」なんて言葉はなかったので、そこは勘弁してください。もちろん、ハ行を /ha, hi, fu, he, ho/ と、「フ」にだけ /f/ という音素を立てることは可能でしょう。(あるいは「ヒ」にも) 別の考え方として、和語、漢語、外来語で語彙に層を区別するという分析も可能です。たとえば、連濁は和語では可能だが、漢語では非常にまれ、外来語では不可、などと、層の区別自体は決してアドホックな提案ではありません。 詳しくは Ito, Junko & Mester, Armin. 2003. Japanese Morphophonemics: Markedness and Word Structure (Linguistic Inquiry Monographs, 41) . MIT Press. をご参照ください。 さて、お尋ねの音素では「ティ」「ディ」「トゥ」「ドゥ」「フュ」に対して、外来語層だけに存在する音素として、(記号は何を使おうと構いませんが)/T/ /D/ /F/ をたて、/Ti/ /Tu/ /Di/ /Du/ /Fu/ とすることは、特に無理のある分析だとは思いません。

Caquio
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 文献はさっそく参考にさせていただきます。 > /t/ /d/ /a/ は音素ですが、/ta/ /da/ は音節ではあっても音素ではありません。 はい、もちろん知ってます。(笑) たしかに「音韻」と「音素」を同じ意味で使うこともありますが、「音韻」はもっと広い意味で使うこともあると思うので、ここでは「音韻」を広い意味で使うことにします。 的確な言葉が見つからなくて、うっかりquasi phonemeと書いてしまいましたが(quasi syllableでは音韻的な弁別性のニュアンスが出ないしquasi-phonological unitとかならどうでしょうか?)、たしかにこういう所をいいかげんにしたら混乱を招いてしまうと反省しています。すいません。「フュ」の子音については、硬口蓋化した両唇摩擦音ということで、(quasi) phonemeと扱うこともできるというのも頭にあって、ついつい。 それはさておき、質問の意図をもう少し明確にすると、平成3年に内閣によりティ、ディ、デュ、ファ、フィ、フェ、フォ、ツァ、ツェ、ツォ等が、日本語の音節と認定された一方、トゥ、ドゥ、フュ、テュ等は外来語や外国の地名・人名等を原音になるべく近く書き表そうとするために使う表記で、音韻的に日本語の音節と認められた上記のものとは区別されています。(面白いのはデュとテュのasymmetryですね。) ここでは、ヴァ行や、クァ等の合拗音系のような、現在の共通語では音韻論の話題では通常分けて考えられるものと、トゥ、ドゥ、等が同じグループ(外来語表記の第二表)に属しています。 しかし、それから約20年経った今、第二表のものからいくつかを、正式な音節に昇格させようかという話が出ているかどうか、ということが質問の意図です。 もっと言えば、まさに和語、漢語、外来語で区別する考え方として、 和語では、基本的には[t][ch][ts]が/t/の異音として相補的分布する一方で、外来語では、/tsu/と/tu/の対立がある、と胸をはって言うことができるかどうかを知りたかったのです。 しかし服部四郎の「ツァ」「ティ」「トゥ」は /ca/ /ti/ /tu/と表記できるという主張を持ち出せば、少なくとも「/tsu/と/tu/の対立が日本語には無い、と言い切ることはできない。」と言えますかね?

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