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こだわりの原点
こだわりを持つことの原点は、何でしょうか? 趣味や技術を極めたい、と思うこと? 自己満足? 自己主張? 習慣として身についたこと?など… 他に考えられることでも結構です。 また、こだわりを持つ人は、幸福なのでしょうか? ご意見よろしくお願いします。
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深い質問ですね。。。原点は何か??? 個人的には、 ●ジブンを愛すること(だれ彼と比べない生き方)・・・です。 ※ちなみに生き方=(カラダと心の使い方)と想っています ◇最終的に、宗教・セミナー・文献いろいろ当たりましたが、 斎藤一人さんや小林正観さんの著書はワタシの考えの基礎・土台とい うか参考になりました こだわりをもつこと←←←よく言われました!親とか先生とかに。質問こそした事なかったですが♪自信を持つ事と言い換えさせて頂けるなら、お応えしようもあります。それはこうです ↓ ↓ ↓ ●自信をもつには ・・・具体的に言います。誰もしたがらないこと(余り目立たないこと)を毎日続けてやり続けるとします。それが実は周りの誰もが認める、いつのまにか自身の自信になっています。(例)あいさつ、お辞儀、トイレ掃除等。小さな事でも間違いなくプライド/自信につながります。 さて。矛盾する様ですが、こだわりを持たずに、自分の肩の力を抜いて生きる・・・それが今ワタシが目指している処です。愛と調和すること以外は全て“拘り=我”だと、足立育朗さん等から教わったこともあります。理解する文化に生きている我われですけれど、本来は“気付く文化”だと。拘りという言葉自体に拘束する・・・そんな言霊も観じますし、執着(心)などと言い換えられるかも知れない、今はそう思えています・・・(あくまで主観)。 目の前に来た人/モノ/コトにただ淡々とベストを尽くす、或いは笑顔にするためにカラダ全体を遣い切る・・・それで充分!そんな境地へ進めるのも(拘り?)いいんじゃないか、と個人的に考える訳ですね。もっと言うと原点さえ在っても無くてもいい。それは変わる事すら在って全然OKだと。拘っていること=幸せというのは、そうとも言えるし、言えないとも言えます(スイマセン、言葉遊びのつもりじゃないです)。ラーメンスープなら大丈夫でしょうけど、ああでなければ、こうでなければ・・・で自分を拘束するのもヘンで、そういう方は往々にして他人まで“振り回す”“コントロールしようとする”可能性がありますんで、自覚というか注意が必要だろう・・・そのように思うわけですが。。。お分かりになっていただけますか? 自然体でいられる人にワタシは惹かれてしまいマス(^^ゞアナタはどうですか?これだけは譲れない!というキモチ/行動は見せ方・出し方でイヤミがないものがウレシイな、と思いますが・・・いかがですか?お応えになってるでしょうか。大変失礼申し上げました、何かあれば再度お応えできますので何時でもどうぞ(*^。^*)
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こだわるという言葉は、本来どうでもいいことにひっかかっていちいち文句をつけたり不平をいったりする、拘泥するということでしょう。余り良い意味ではなかったと思います。 それをプラスに転化したのは、権威の筋でない末流の職人や画家、技芸者が本来どうでもいいところ、つまり誰もが気に留めなかったところに目をつけ、そこを強調することで一風変わった仕事をして、それが一部で認められ、広まっていったというような経緯があったのではないかと思います。その個性を守り、更に磨いてよくしたいというちょっと偏った価値観が次第に一般の技術や芸術技能などにも使われるようになっていったのが現在の「こだわり」ということばでしょうか。 >また、こだわりを持つ人は、幸福なのでしょうか? 確かに、しっかりした方向性、目標をもつ、そしてそれゆえにその目標に近づくことが自身で確認できるということでやりがいが増す、幸福感もあると思います。 私は「こだわり」という言葉は嫌いではないので、大いに使われていいと思いますが、余りに広範囲につかわれるのも「こだわり」という言葉の価値を薄めていくような気がして面白くないといったところです。ちょっとこだわって使っていただきたいと思います(笑)。
お礼
こだわりが、趣味や技術の範囲で使われるような場合、その由来は、個性が元なのだと、解りました。芸術も、技術も、人の目に付かないところを発見するのが追求の道で、それなくして、発展はしないのだとも思います。 こだわりがやりがいと考えると、充実感のある幸福さを感じます。 (勿論、その裏に隠れた、粘り強さ、辛抱、やる気を一体として考えてです。) こだわりの範囲は、予想以上に広そうですが、言葉と状況にこだわってみたいと思います; ご回答ありがとうございます。
こだわるというのを自分が持っている価値基準を守ろうという心理と考えればよいかと思います。この心理の中には自信から妄想まで含まれているはずです。またこだわりという言葉は元来不平とか不満に近い意味があったはずですが、この頃特にNHKあたり?が盛んに誤用した結果、むしろ一芸に秀でた人が持つ心理のようになっています。
お礼
確かに、人の価値観の多様性は、とても広いのだと思います。 その中で、何に重きを置き、大切にするかで、こだわるものも変わってくるのだと思います。 自分が、持っている価値観基準を守る、広範囲からの捕らえ方で、納得しました。また、その反対が、寛容であること、広い心で許すことだと思うと、こだわりを持つことは、自分大の幸福しか追求できないように思いました。 ご回答ありがとうございます。
お礼
こだわることを、自信と捕らえる、これは、自己主張の延長のようにも思えます。質問にもあるように、私の自己解釈では、自己主張もこだわりなのでは?と思っていました。 (もちろん、譲れない気持ちを示唆するプライドもその範囲だと思います。) 自分を高めて、引き上げて、こういったこだわりが続くと、疲れを感じてしまいますよね。そして、ありのままの自分を見つけたくなる。 等身大の自分に、うな垂れかかるか、自分発見に至ったこだわりに感謝できるかで、こだわりに対する幸福度も変わってきそうです。 愛と調和すること意外は、全て“拘り=我”…ハッ、としました。 これは、こだわりを含む“悟り”の様です。(高尚です。。。) ご回答ありがとうございます。