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ブッダの美女マーガンディヤー事件
いま得られている資料をかかげます。ご見解をおしえてください。 ▲ 【資料1:求愛をことわる】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・・・マーガンディヤーの父親が、たまたま釈迦に会い、その説法を聴聞すると父親は釈迦にほれ込んで、この男になら娘を嫁にやってもよいと思う。父親は釈迦に還俗して、婿入りすることをしきりにすすめる。 ある日、釈迦はマーガンディヤーの両親の家を訪問し、両親と娘の3人にむかって説法をはじめた。娘のマーガンディヤーには直接せずに、両親に説法をするのである。内容は次のようであった。 「われは〔昔、悟りを開く直前〕、渇愛と嫌悪と愛欲〔といった3人 の魔女〕を見ても、彼女らと交わりたいという欲望さえ起きなかった。 大小便の詰め込まれたこの女が、そもそも何になるというのだ。われは この女の足にさえ触れようとは思わぬ」 (『スッタニパータ835』) 「大小便の詰め込まれた女」とは、ほかならぬマーガンディヤーのことである。 釈迦の真意は、娘を溺愛し、盲愛し、執着しすぎている両親をその苦から救うことにあった。いずれ死別はくる。両親が先か、万が一娘が先か、それはわからぬが。であるならば、娘に執着せずに手離しなさいとうのが釈迦の深い諭しである。この説法で両親は真意を悟り、出家を決意する。 しかし、救われないのは娘のマーガンディヤーである。目の前で「大小便の詰め込まれた女」と言われれば、傷つき「許せない」と思ったであろうことは容易に想像がつく。そして彼女は当然、釈迦を憎んだ。 その後、マーガンディヤーはコーサンビー国(* コーサンビーはヴァンサ国の都)の王と結婚し、王妃となる。釈迦がコーサンビ-国に布教に来たとき、彼女は屈辱的な過去を思い出すのである。そこで、釈迦に復讐するために、人々を扇動し、王妃の命令によって托鉢に歩く釈迦に石を投げさせ、罵詈讒謗を浴びせたのである。 このように誤解ゆえの迫害は、釈迦にもあったのである。 (『徒然草2001 法則編』 http://www.melma.com/backnumber_31267_1625651/ ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆【資料2:その後の悲劇】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 瀬戸内寂聴『釈迦と女とこの世の苦』によると。マーガンディヤーが ヴァンサ国王の第三夫人となったあと すでにブッダに帰依していた第二夫人のサーマーワ゛ティーに敵愾心を燃やす。しかも その遠因には かつてブッダに冷たくあしらわれたという過去があずかった。とうとう サーマーワ゛ティーの館を全部 火を放って焼き尽くし 中の侍女たちもろともを焼き殺したと言う。 《このサーマーワ゛ティーのむごたらしい最期は とてもショック無しでは聞けないし うなづけない。世の中は 必ずしもいい人がいい死に恵まれるとは限らないし 悪業を犯した人間が案外この世で栄えていたりするものだ。そういう人の世の不条理を 私たちはどう受けとめたらいいのか》というのは 寂聴の記すところ。 僧たちも ブッダに問うたところ ブッダの答えはこうだったとやはり寂聴が伝える。 僧たちよ 今度の事件で動揺した心を静めよ。この世でたとえいくら 生きても 放逸でわがまま勝手で 道を需(もと)めない人間は すで に死んでいるのと同じで 生きていても価値がない。それにくらべ い つでも熱心に道を需め 正しいことをしようと願い 慈悲の心の燃えて いる者には 永遠の命がさづけられている。現実に肉体の死はあっても 魂の死はない。マーガンディヤーたちは 生きながら死んだも同然で 何の生命もなかった。サーマーワ゛ティーは どんな死に方をしても 永遠に生きつづける。彼女たちは死の瞬間に精神を統一し 祈ったから すでに聖者の位を得て死を迎えている。 (寂聴:前掲書《第7章 悪女 聖女を焼き殺す》 p.158) さらに結語として。 人間とはそういう残酷なことの出来るものだということを 今の私は 考える。善業の報い 悪業の報いというのも この世という短い時間で はかってはならないのだろう。 (同上 p.159) わたし(=質問者)の考えですが ブッダあやまてり ではないでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ◆ 【資料3:ブッダに好意的な議論】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【とびらの言葉】その第3回です。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~houon/tobira-bk01.htm ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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お礼
補足欄での《締める》予告を取りやめます。 調べておられるのは この主題にかんしてでしょうから そのままここも開けておくことにします。
補足
k_jinen さん k_jinen さんの良さを引き出すには――あっ ご回答をありがとうございます―― どうも少々荒っぽい言い方をするに限る・・・のでしょうか。ま これは常習にはしませんが ぎゃくに言えば ありがたいですね。質問者の趣旨を汲んでいただけて。 むかしは新聞の文字も小さかったですね。一斉に大きくしたときがありましたね。大きくしたあとは ほかの書物などで小さいと 困るということが起きて来ますね。歯磨きを使うようになると これを使わずにいられなくなります。虫歯になります。蚊取り線香を使うようになると もうこれを使わないと困ります。 くだらない話から入りましたが おかげさまで一件落着なのではないでしょうか。 個人の信仰から 観想の内容が言葉に置き換えられ やがてこれが《おしえ》となる。この教義ないし/および教祖を押し立てて 組織としての宗教ができる。 この・信仰と宗教とはまったく違うという命題につながる歴史事例をもおしえていただきました。 そして質問としましては ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 6.「ブッダあやまてり」のブッダを、スッタニパータ等の最初期レベルから離れて、その後のブッディズム(仏教)全体における「ブッダ」概念へと向けるならば、「ブッダ」概念自身が、解釈する方法・人によって異なることは当然であり、「仏説、○○」と付け加える人々(ブッダ概念を解釈する人々)に責任があることは明白。すなわち「ブッダあやまてり」とはならずに「ブッダを解釈する人あやまてり」になる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ありがとうございます。そしてこまかくきちんと言おうと思えば ○ 《美女マーガンディヤー説話》は――かのじょのブッダへのうらみとその仕返しにかんして―― 誰かが憶測によってつくったものであろう。 ○ この説話は 仏説でありとうといおしえであると受け取られている向きもあるが 内容は ブッダの振る舞いといい その後この振る舞いに恨みを持ったマーガンディヤーのその後の復讐劇といい 道理に合わない間違いを含むと捉えざるを得ない。 ○ ブッダの説話には ひとの手になる勝手な創作が交じっており あやまちと言わざるを得ないものが見られる。 ☆ となるでしょうか。 これでこの問いにかんしては 満たされたと思います。詳しい研究はむろん必要でありとうぜん続くはづです。このマーガンディヤー事件についても もし真相が判明すればなおいいでしょう。そのときにも このいま得た暫定的な結論およびその検討の過程が無駄になることはないでしょう。素人としてはこれで満足していいと考えます。 ありがとうございました。この問いは締めることにします。k_jinen さん どうぞまたよろしく。