この質問の回答候補を整理してみると、
0. インダクタンスの頭文字Iは既に電流I(intensity of current)で使われているので使えず。
1. 【可能性◎】Lは、アルファベットMの隣のL(相互誘導はMですのでその前後で決めた,自己誘導L,相互誘導M,巻数Nというように連続記号)…放送大学学長 岡部洋一先生のページ、「由来について」を参照。L,M,Nはインダクタンス系。マクスウェルの著書にL, M も出現していたようである。(下記の高木純一先生の文献、P191-192を参照。)
2. 【可能性△】Lは、「レンツの法則」のHeinrich Friedrich Emil Lenz(1804 - 1865,エストニアの物理学者)の頭文字…英文のウィキペディアに記事があるだけ。文献が見当たらない。
3. 【可能性△】Lは、電流とそれによって作られる磁場が鎖交していると言う意味の、Linkageからとったのではないか…文献が見当たらない。
4. 【可能性×】Lは、コイル(coil)の最後の文字(COILのCはコンデンサで使われてしまってます。)…無理なこじつけ感がある。
5. 【可能性×】Lは、「ローレンツ力」、「ローレンツ変換」のHendrik Antoon Lorentz(1853 - 1928,オランダの物理学者)の頭文字…文献が見当たらない。
6. 【可能性×】Lは、「装荷線輪」を意味するLoading coilの頭文字だと思います。…文献が見当たらない。
7. 【可能性×】Lは、「局在的な」LocalのL。…文献が見当たらない。
8. 【可能性×】Lは、「負荷」のLoadの頭文字(負荷ならコイルだけの意味じゃない。)…文献が見当たらない。
9. 【可能性×】Lは、リアクタンスの語源は(英語以外で)頭文字が「L」である。…launviðnám(アイスランド語)しか該当しない。無理なこじつけ感がある。
以下の文献により、「L,M,Nはインダクタンス系」の信憑性が高いことがわかる。
<その他の参考>
「電気の歴史―計測を中心として―」1967-04-30発行、高木純一(著)、オーム社
ヘビサイド(1850 - 1925)、マクスウェル(1831 - 1879)、スタインメッツ(1865 – 1923)が活躍した。
P167-168
自己誘導コイルや静電容量にたいして交流がどのような現象をおこすかという問題はそれほどはっきりした形ではとりあげられなかった。それというのも、このような問題は、電力事業の始まる前から、電信技術でなしくずしに経験してきたからである。電信の場合には正弦波ではなかったが、ケーブルの分布容量では苦い経験をなめたことであるし、電話が始まって後はゆがみをおこさないケーブルとしてインダクタンスの重要なことがヘビサイドによって強く主張されたわけである。このようにして静電容量CとインダクタンスLが変化する電流にたいしてどのようにふるまうかということも数学的には論じられていたのである。なかでもヘビサイドは”impedance”という言葉を導入した点で忘れてはならない。もっとも最初ヘビサイドの使用したインピーダンスは、J. J. トムソンが彼の著”Recent Researches in Electricity and Magnetisms” の中で指摘しているように、必ずしも今日のインピーダンスと同じとはいえない。かれはケーブルに高周波が通ったとき、インダクタンスの効果とともに、表皮効果のためにケーブルの抵抗が変わることを示し、インダクタンスによる逆電圧とは別に、その直流抵抗以外の高周波によって生ずる抵抗分を”impedance” と呼んだのであった。トムソンは前述した本の中で、これはむしろ”resistance” というべきであろうと言っている。しかしながら後に集中常数の回路が論ぜられるに及んで、ヘビサイド自身、交流の電圧の大きさと電流の強さとの比を与えるものとして”impedance” を定義しなおしたのであった。
まだそのときは複素数の普及していないときであったから、たとえばLとRの直列回路では√(R2+ω2L2) …(2は2乗を意味する)がインピーダンスであった。また”reactance” という言葉はオスピテリエ(Hospitalier 仏)によって1893年に提案されたのである。1893 - 1894年にかけて交流理論が現代流の複素数の代数形式に定式化されたのであるが、このころインピーダンスの概念もリアクタンスの概念も複素量に関連して明確になったのである。
1893年のケネリの論文 A.I. E. E. Vol. 10 の”Impedance” や、スタインメッツ(C. P.Steinmetz 1865 - 1923 米)のシカゴ国際電気会議での複素量にたいする提言(1893年)などを境として交流の理論が確立したといえよう。
P191-192
これに関連して、理論式に用いられる電圧(e),電流(i),抵抗(R),自己及相互誘導係数(L, M),静電容量(C)の文字はどのようにして習慣づけられたかということであるが、このほとんど全部はマクスウェルの著書”電気磁気学”に用いられた記号である。eは”electromotive force” ,
iは”intensity of current” ,Rは”resistance” ,Cは”capacity” から頭文字をとったとして、LとMはどうであろうか。Mは”mutual inductance” であるが、残るLがいささか問題である。
しかし電磁単位系では”inductance” の”dimension” は長さ[L]であるし、L, M と自己誘導係数
に隣接するアルファベットを使う意味もあったろう。ときには、L, M, Nという係数の置き方も見られる。その後物理学者の著書のなかに用いられた記号は多くはマクスウェルに従っているが、ドイツでは抵抗の表現としてドイツ語の”widerstand” からWを用いたものもあった(たとえばキルヒホフ)。電流をiと置いたことが後に交流理論の場合に√-1=i という数学上の記号と同じになったが、電気工学者はあっさりと、虚数にj を代用することによって電流 i を保存した。
”imaginary number” より”intensity of current” のほうが強力だったのである。
高木純一先生の経歴
明治41(1908)年3月25日東京生まれ。昭和6(1931)年早稲田大学理工学部電気工学科卒業。
電気理論、科学技術史を専攻。私立中野中学講師、早稲田大学専門部工科講師を経て
早稲田大学常任理事、早稲田大学理工学部教授、工学博士。早稲田大学第一理工学部長、
早稲田大学高等学院長を歴任。平成5(1993)年10月29日没。
「電気の歴史 人と技術のものがたり」 高橋雄造(著)、東京電機大学出版局 (2011-07-10)
P223
高木は、日本で最初の電気技術史家と言うべき人物である。
「基礎電気理論」 小林健一(著)、中央大学教授 工学博士、コロナ社(1985-04-30)
相互誘導が先に発見され、自己誘導が後から発見された。
P84
【自己誘導と相互誘導(Self-induction and mutual induction)】
電磁誘導とは、式(3・48)…(e = - dφ / dt [V] )の表現にあるように電気回路と鎖交する磁束が変化さえすればよいのであって、この電気回路が磁束を作るために電流を流しているコイル自身であっても、電流を流していない他のコイルであっても差し支えないわけである。
それで図3・44(p.87)…(図は省略)に示すように第1のコイルに誘導起電力 e1 が生じる場合を自己誘導といい、第2のコイルに誘導起電力 e2 が生じる場合を相互誘導という。これらの誘導現象の発見は、歴史的に経過をみた場合、後者の相互誘導のほうが早く発見され、自己誘導のほうは2~3年遅くなっている。このことは電気的に接続されていない別の回路に現れる現象のほうが、実験的に認識しやすいためであって、自分自身のコイルの中に起こっている誘導起電力は、本来の起電力や電流によって覆い隠されていて発見されにくかったものと思われる。
このような自己誘導現象は、アメリカの物理学者ヘンリーによって、強力な電磁石のスイッチを切るとき接点が開かれたにもかかわらず大きな火花(アーク放電)が発生して電流がなかなか切れないということから発見された(1832年)。ファラデーも同様の現象を発見しているが(1834年)、この時間差は当時情報伝達の極めて難しかったアメリカ大陸とヨーロッパ大陸の間ではやむを得ない社会状勢だった。
お礼
わざわざ調べてくださってありがとうございます。