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核の抑止力
太平洋戦争の終盤、日本の主要都市を焼き尽くした米軍は、今度は農村部の田園地帯に枯葉剤の散布を計画しましたが作戦は直前に中止されました。理由は当時日本陸軍が保有していた生物化学兵器による報復を恐れた為といわれています。 要するに生物化学兵器の抑止力が働いたと言うことです。 仮に、当時の日本軍が核兵器を保有していた場合、又は核実験を成功させていた場合、広島長崎への原爆投下はあったでしょうか。
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当時日米両軍が保有していた大量破壊兵器は毒ガスです。日本も米軍も相手が先に使わないかと恐れていました。日本内地では一般住民に防毒マスクを支給していました。何故米軍は毒ガスを使わなかったかを考察してみると、米軍が使えば日本軍も使う事は予測できるからです、もし特攻機に毒ガス弾を装備して空母に激突されたなら被害が大変大きなものになると考えられるから日本軍に毒ガス使用の口実を与えることを避けたと思われます。東京大空襲や広島、長崎はすべて一般住民を虐殺する目的で空襲してきているのであって、軍需工場爆撃したら一般住民が巻き添えになったと言ふ攻撃ではありません。日本は戦後アメリカに対して言ふべきことを言わずに来ましたが虐殺されたことははっきりと虐殺はけしからん言ふべきであり、南京虐殺などないものははっきり中国政府に申し入れるべきだと思います。ベトナムで使われた枯葉剤は日本を攻撃する為に研究されたものが日本にはまにあわなかったものだといわれている。兵器と言ふものは相手国より常に強力な破壊力を有するものを求めるもので、現在では核兵器が最大のものとなっているので世界 に存在を認めさせるには核保有国になろうとするのでしょう。当時日本軍が核兵器を保有していたらなど仮定が飛躍過ぎて想像も困難ですがもし米軍と同時期核保有国になていたなら戦争はその時点で休戦となりお互いに相手国の主要都市攻撃はなくなり戦争は終結していたでしょう。
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- googahaku
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日本も 長岡半太郎博士の「原子有核模型」の発表(1905年)など、 原子爆弾開発の素地はあったようですが、U235 とU238 の分離が出来ず、諦めてと聞いています。 変わって開発に着手したのが「細菌兵器」。731部隊で相当の研究が進んでいたのに、サイパンや硫黄島 でなぜ使わなかったのか?今もって疑問に思っています。 おそらく、アメリカが原爆を開発し、広島・長崎に投下するとの予測がなかったため、報復手段と考えていなかったのでしょう。 もし、原爆開発完了前に「細菌兵器」をガタルカナル や サイパン などの孤島で効果的に使っていたら、戦局はどうなっていたか?興味のあるところです。 日本の軍部の指導者はイクジがなかった?
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- kantansi
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米軍の枯葉剤散布計画が実際にあったとしても、日本軍の生物化学兵器による報復を恐れて中止したとは、とても考えられません。 太平洋戦争の終盤において、制空権を失った日本にはそういった兵器を運搬する手段が有りませんでした。 実際は戦争の初めから米国本土を爆撃する能力など無かったわけで、その点では、核兵器を保有していても同じと言うか、逆に米国の核兵器使用を早めていただけでしょう。 もし米国本土を爆撃する能力を有していたと仮定するなら、通常兵器だけでも違う展開になっていたでしょう。
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- fumkum
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>当時日本陸軍が保有していた生物化学兵器による報復を恐れた為といわれています。 については残念ながら知りませんが、核兵器についてはある程度の推論はできると思います。 それは1950年から始まった朝鮮戦争の中でアメリカが核の使用を検討したときの内容です。アメリカ軍が釜山にまで追い詰められた時期を中心に、核の使用は検討されていますが、他の理由もあったにせよ、1949年に当時のソ連が核開発に成功していることが、核の使用をためらわせた理由のひとつになっています。つまり、核の抑止力が働いたということになるのだと思います。広島・長崎の状況も分かっていましたし、核の使用がどのような惨状をもたらすかということも理解されていたからだと思いますが。 では、日本軍が核を持った場合を考えると、当時日本は、仁科博士を中心として核開発をしており、金属ウランの製造には成功していたと記憶しています。この状況から、核爆弾の開発までは長い道程でしょうが、核開発についてはある程度の進んでいたわけです。ですから、核兵器を持つ可能性が0であったわけではなさそうです。 「もし」という前提で日本が核を持った場合の核兵器の抑止力ですが、なかった確率のほうが高かったと思います。特に、日本陸軍は断固使ったでしょう。アメリカにしても、核兵器使用がどのような惨状をもたらすのか広島・長崎を経験していませんから、軽視していたと見るべきではないでしょうか。ですから場所はともかく、原爆の投下の可能性は高かった思います。 人類は、広島・長崎の尊い犠牲によって始めて核兵器の恐ろしさを認識したのだと思います。それによって核の抑止力が本当の意味で機能したのではないでしょうか。 ですから、広島・長崎の歴史を風化させないことが、これからも大切だとこの質問を考えながら改めて思い知らされました。 参考にはならないかもしれませんが。
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- eroero1919
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>農村部の田園地帯に枯葉剤の散布を計画しましたが作戦は直前に中止されました。理由は当時日本陸軍が保有していた生物化学兵器による報復を恐れた為といわれています はて。初めて聞きました。私はアメリカの戦略爆撃調査団が戦後に作成したレポートを読んだ(もちろん日本語版ですが)ことがありますが、そんな話は記憶にありません。できれば情報ソースを聞かせてください。 除草剤についても調べてみましたが、そもそも除草剤そのものが戦後になって広まったようです。 太平洋戦争中に米軍が本気で考えたおバカな作戦で、「富士山を真っ赤に染めてやろう計画」があったそうです。B-29から赤いペンキを投下して富士山を真っ赤に染めてやり、日本人の士気をくじこうという作戦です。これは誰かが富士山を真っ赤に染めるためにペンキがどのくらい必要かを真剣に計算した奴がいて中止になったそうですが、これは本当の話です。 >仮に、当時の日本軍が核兵器を保有していた場合、又は核実験を成功させていた場合、広島長崎への原爆投下はあったでしょうか 前提条件に無理がありすぎです。「もし日本軍がドラえもんを持っていたら太平洋戦争に勝てたか」くらい荒唐無稽な話です。実は核爆発というのはとても高度な技術なんだそうです。核分裂反応を一度に一斉に行わないと核爆発は起きません。これが相当に難しいそうで、うまくコントロールできないとただゆるやかな核反応、いわゆるメルトダウンが起きるだけなんだそうです。
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