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才能がない人の楽しみ

才能がない人は、何が楽しみで生きているんですか? なにも才能がないとわかった瞬間、生きている意味がわからなりました。 皆さんはなぜ生きているんですか? 教えてください。

みんなの回答

  • larme001
  • ベストアンサー率44% (271/608)
回答No.19

才能というものは広義では「自分だけが持つ特殊な能力」ということでしょうが、これを深く考えていくと才能というものは「他人がすごいとおもう自分の持つ能力」ということになるでしょう。要するに、本当の意味での才能というのは、自分によって見出されるのではなくて他人がすごいと思われて初めて才能として生きてくることになります。逆にいえば、自分がいくら考えても才能を見つけることは出来ないのだと思います。 さらにいえば、才能があるからといってそれが生きることの楽しさにつながるとは限りません。少なくとも「生きがい」ということばが才能に結びつくことはあるかもしれませんが、逆にそれが生きる目的となりすぎるとそれにとらわれて苦痛なまま死を目指すことになる可能性もあるわけです。たとえば、芸術家や小説家は自殺する人が多いのも彼らにしか理解できない「美学」や「超越的世界」があるため、その理想と現実とのギャップに苦しみ結局は死にいたるということが多々あるということです。音楽家やタレントだって、いつ売れなくなるかという不安を抱えながらやってるかもしれませんし、それならそういう世界から自由にになりたいと思うかもしれませんよ。自分以外の他人には理解されないなにか=”才能の域”があるというものほど、辛いものはないのかもしれません。 そうすると、一見なにも才能のない普通の人生のほうが幸せのような気もします。もちろん、普遍的な意味での普通というのはあり得ませんから何かしら個性なりあなた固有のものがあるでしょう。それが才能なのという人もいるかもしれません。 ただ、個人的には人間の生きるという行為は常に欲や向上心というのもに支えられているものだと思いますから、生きることを放棄するというのは、現状に満足しているということになります。才能がないとわかって生きる意味がわからなくなるというのは、何かしら自分の才能があるはずだという希望が本心でありながらも、それに自信をなくしているだけであるのだと思います。すなわち、本心に素直に自分の才能を追い求める必要があります。それが生きる意味になります。

  • reki4649
  • ベストアンサー率21% (116/539)
回答No.18

やあ、せっかくの哲学カテですので哲学的に行きましょうか。 まず才能とは何でしょうか? 「人より抜きん出た能力」と仮定してどこまでが「才能がある」のでしょうか? 全人類の平均以上? 平均を出すのが難しそうですが平均以上なら 誰もが何かしらの才能が有るんじゃないですかねぇ。 それとも一位の人かな? それだと例えばイチロー選手は全人類一位で野球の才能があるとまではいえないので 彼もなんの楽しみで生きているんでしょうか? って事ですか。 まあ、屁理屈はこのぐらいで。 ともかく才能とは「人より抜きん出た能力」これは異存の無いところだろうとは思います。 ではなぜ才能が有れば「楽しく、生きている意味がある」とお考えでしょうか? それはたぶん「人の賞賛を得られる」からではないでしょうか? 「人に苦痛を与える才能」「人に嫌われる才能」を欲しいと思う人は少ないでしょうから。 「人の賞賛を得られる」とは「人に愛される」という事。 では、「人に愛される」事に「才能」が必ずしも必要でしょうか? (長文になるのでちょっとはしょりましたあとは自分でゆっくり考えてください)

回答No.17

こんばんは、ZMAsupliさん。 そういえば、昨日みーたろうがおなじような言葉をこぼしてましたけ。 聞けば、みーたろうこの前の中間テストの成績クラスでどんけつだったとか。 試験勉強もガンガンにやっていたわりに結果としてあらわれないことに 「あー、あかん。もうあかん。才能ないわ。生きてる価値ないわー」と、 これこのようにみーたろうがのたまいよったのですよ。↑(温室効果ガス) きいてて、アホかと。 「価値ってなんやねん!」←と突っ込みをひとつ。 そして、一夜明け 前日まで泣きごとこぼしてたみーたろう 今日はカラオケオーディションがあるとかないとかいいつつ 朝からいそいそとはりきって出ていきました。 なんかかんか好きなことをみつけて生きてるようにおもいます。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.16

貧しきものこそ幸いなれ。 ということもありますから、才能があっても無くてもそれなりに楽しいことも辛いこともあるということでしょう。 才能100であれば幸せかというとそうではなく、才能105とかになる、その、向上できたという実感が幸福感につながるわけです。 才能0なら才能マイナスになることはありませんし、才能10になっても才能6になっても、どうやっても幸福の実感を得られる可能性は高いと言えるのではないでしょうか。 その気になれば、の話ですが。 そういった、少しづつの変化が楽しみなんじゃないかと思います。 才能のあるなしに拘わらず。 才能自体に絶対的な価値観を求めるのは、才能を他者と比較することによって自己の存在価値を相対的に推し量ろうとする、自我脆弱性の証明に他なりません。  

  • 1t1000kg
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.15

才能の無い人は生きてはいけないのでしょうか? そんな事は無いと思います。 一般的に表現される才能とは「利益をもたらす能力」だと思います。 才能が無いと言うのは単に「利益をもたらさない」だけだと思います。 利益が有った方が面白いのは確かですが無くても普通に生活できるはずです。 才能が有った方がより楽しめますが無くても楽しめますし「才能」と「楽しむ能力」は別問題だと思います。「楽しむ能力も才能の内」と考える事もできますが。 隠れた才能もちょっとした見方や状況の変化によって発掘されるかもしれないので諦めないで生きる事を楽しんで下さい。

  • kathura
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.14

才能なくても人生は楽しめますよ^^私も才能ないんです・・でも、幸せです^^才能なくても趣味をもてばいいんじゃないですか?私はやりたいことならたくさんあります。今はいろんな取れる資格は取ろうといろいろやってます。でも頭悪いので簡単な資格です。それも楽しいです。日常生活のさまざまなことを楽しむのもいいと思いますよ^^私は家事が好きなので料理作ったり、洗濯したりするのもたのしいです^^  なんとか質問者さんを励まそうと思ったけど、たいしたこと書けませんでした・・・ごめんなさい

noname#96756
noname#96756
回答No.13

>才能がない人は、何が楽しみで生きているんですか? んん? わたくしのことかと思いました~。 例えば哲学の思索に耽るにあたり、才能どころか学問的素養すらなあんもないのに、何が楽しくて哲学カテを覗いているんだろう、とか(笑) まあ、「深く考えること」でなくて「達観する、ごまかす」ことは才能あるからプラマイ・ゼロかなあ、と独善的に開き直っておりますが。 >皆さんはなぜ生きているんですか? 質問者様はスキューバ・ダイビングもしくは素潜りの類をなさったご経験はおありでしょうか。 あんな感じ。 つまり、才能が無いと感じた分野にでさえも「海に潜る楽しみ」ってあると思うのです。 何かについて深く究める、理解する、会得することって、本来は人と競うことではないですよね。 才能がなければ海に潜らずお洒落なビーチで優雅に寝そべっているか、もしくはシュノーケリングで浅瀬から綺麗な魚たちをウオッチングするのも面白いはずです。 でも、「才能がないとわかった」ということは、つまり、「自分の認識していた海が浜辺や浅瀬だけではない」と「自分の立ち位置を知った」ということ、そして、海に対するリアルな「未知なる深遠さ」に恐れおののいた、ということではないでしょうか。 それって、海に対する認識が広がった証拠であり、同時に、海についてより一層わからなくなったようであっても、決して海そのものに対する認識が後退したわけではないのです。 で、自分にとって一番自然体な潜り方で少しずつ深く潜っていくほどに、自分の思い描いていた浅い海のイメージや認識との乖離に打ちのめされ、ますます海について知らなかったことに愕然とするわけです。 映画『グラン・ブルー』のように進度到達の目安なんてあるわけないし、あっても当てになるわけでもなく。 要は自分との闘いではないですか。 垂直に潜ったつもりが大いにそれて自分にとって失敗談になるときもあれば、調子に乗って危険な潜水病に陥ったがためにしばらくダイビングできなくなったりするかもしれない。 そんな試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ深く、深く、海に潜って行くのではないですか。 それって、「到達度や達成感」というものは二の次であって、「深い海には何があるのか、どんな生き物がいるのか」と自分の目でリアルに確かめたいという好奇心と願望が主であり、これって生きる歓びにも大いに繋がっているものだと思うのですが、どうなのでしょう? 何ら誇れる才能がないのにエラソーなことを申し上げてごめんなさい♪

noname#194289
noname#194289
回答No.12

生きていることはすでに相当な才能です。一番良くわかるのは医学の教科書です。胎児が発生してくるときどれほどの難関を乗り越えて普通の体になるかを調べてください。完全な体で生まれることができなくて苦しんでいる人はたくさんいます。いわゆる才能などがないことなど何の問題かと思えると思います。

  • code1134
  • ベストアンサー率20% (703/3370)
回答No.11

正真正銘(!?)才能がない人が皆無だと断言出来ませんが、"才能がない"と一方的に思い込んでいる場合の方が主だと感じますね。 又、プロレスで活躍していてもその才能が裏目に出て、昨6/13に事故死してしまった、三沢光晴選手(http://boxing.dtiblog.com/blog-entry-1329.html )に関する報道に接した時、"ない方が身の為"な分野もあるんだなぁと痛感した次第でもあるのです。 仮に質問者さんが才能に恵まれていなくても、これから見付ければ良いただ それだけの事 とも感じますが如何でしょうか!?

noname#101110
noname#101110
回答No.10

深刻ですね。 私もそんな気分になることがあります。 でも 人生に生きている意味がないというのはいワば常識で、おおかたの知識人のコンセンサスでしょう。 才能の有り無しには無関係でしょうね。 自由人たる人間に課せられた原罪のようなものです。 貴方だけに向けられた運命ではないと思います。 皆がその深刻な運命に耐えて、そういうことに目を向けずに生き続けているというのが現実です。 もっとプラス志向で生活していってほしいと思います。

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