才能というものは広義では「自分だけが持つ特殊な能力」ということでしょうが、これを深く考えていくと才能というものは「他人がすごいとおもう自分の持つ能力」ということになるでしょう。要するに、本当の意味での才能というのは、自分によって見出されるのではなくて他人がすごいと思われて初めて才能として生きてくることになります。逆にいえば、自分がいくら考えても才能を見つけることは出来ないのだと思います。
さらにいえば、才能があるからといってそれが生きることの楽しさにつながるとは限りません。少なくとも「生きがい」ということばが才能に結びつくことはあるかもしれませんが、逆にそれが生きる目的となりすぎるとそれにとらわれて苦痛なまま死を目指すことになる可能性もあるわけです。たとえば、芸術家や小説家は自殺する人が多いのも彼らにしか理解できない「美学」や「超越的世界」があるため、その理想と現実とのギャップに苦しみ結局は死にいたるということが多々あるということです。音楽家やタレントだって、いつ売れなくなるかという不安を抱えながらやってるかもしれませんし、それならそういう世界から自由にになりたいと思うかもしれませんよ。自分以外の他人には理解されないなにか=”才能の域”があるというものほど、辛いものはないのかもしれません。
そうすると、一見なにも才能のない普通の人生のほうが幸せのような気もします。もちろん、普遍的な意味での普通というのはあり得ませんから何かしら個性なりあなた固有のものがあるでしょう。それが才能なのという人もいるかもしれません。
ただ、個人的には人間の生きるという行為は常に欲や向上心というのもに支えられているものだと思いますから、生きることを放棄するというのは、現状に満足しているということになります。才能がないとわかって生きる意味がわからなくなるというのは、何かしら自分の才能があるはずだという希望が本心でありながらも、それに自信をなくしているだけであるのだと思います。すなわち、本心に素直に自分の才能を追い求める必要があります。それが生きる意味になります。