>何かの才能がある人って、他にもいくつか才能が
ある人が結構いますよね。
どうして、そうなるのでしょうか?
いくつも才能があるわけではありません。世間一般で天才と言われる人は1つの目標に向かって努力ているだけです。
まわりの凡人がそれをみて、勝手にカテゴリーに分けて評価をしているだけです。
例を挙げましょう。
レオナルド・ダ・ビンチという天才がいました。
彼は『モナリザ』に代表されるように、数々の名画を残しています。間違いなく絵画の才能があります。
そんな彼は当時最先端の技術だった戦車を設計するなど、産業技術の才能もありました。
おそらく本人にしてみたら、知的好奇心に忠実に活動をしていただけでしょう。
名画を描くのも、戦車を設計するのも彼にとっては同じ活動の延長線上にあるのでしょう。
それを我々、凡人が彼には「絵画の才能」も「産業技術の才能」もあると評価しているだけです。
「この分野で才能がある人は、この分野でも才能が
ある」と考えるのは、凡人のあわれなたわごとで、意味のない問答なのかもしれません。
>才能のあるなしって何の差ですか?
人の人生は遺伝によって影響される事もあります。
しかし、長期的な視点で見れば、ほとんどの遺伝的影響を後天的な努力で肯定的なものに変えられます。
>自分の才能が何かあるのか分からないので、発見する方法も知りたいです。得意なものを見つけてもそれに才能があるのかないのかよく分かりません。
「自分の才能が何かあるのか」とは不自然な日本語で若干解釈に苦しみます。
見当外れな回答をした場合はご容赦ください。
ここからは、例えばの話です。想像しながら聞いてください。
植物の種があります。
あなたはどうにかして、この種がどのように成長するか知りたいと思いました。
さて、どうしますか?
私なら、実際に種を植えて発芽させて育てます。どのように成長するかを知るのには、一番正確で、一番確実な方法だと思います。
しかし、ある人は種が成長するまで待ません。
どうしても、すぐに知りたいと思いました。
そこで、種を割って中を見ました。
中には、これから出るはずの芽も、つけるはずの実もありませんでした。
しかも、割った種は、土に植えても、水をあげても発芽する事はありません。
もう二度と、その種がどんな成長をするか誰にも分かりませんでした。
まぁ、現代の科学を駆使して、DNA鑑定をすれば、植物の種類ぐらいは分かると思います。ですが、やっぱり育ててみないと成長過程はわかりません。
自分の才能を知りたいなら、種を土に植えて育ててみる事です。
才能も種と一緒で、育ててみないとどうなるか分かりません。
そりゃ、枯れる事もあるでしょう。
途中まで、順調に育っても、いきなり腐る事もあります。
ただそれも、腐らしてみないとわかりません。
何にせよ、我慢できずに土を掘り起こして、種を割って中を見るのが、一番、愚かな行為でしょう。
途中で種を割って中を見るぐらいなら、腐らせた方がマシだと思います。
お礼
みなさんの回答参考になりました。 ありがとうございます。 努力も必要ですよね。 才能がある、無いも大事ですが 使わないと意味がないですね。