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山口県小串港の、戦後の引き揚げについて知りたいのです。

 父が戦後、朝鮮半島、麗水港からの引き揚げで昭和20年9月21日小串港へ上陸したと言っていたのを思い出し、父の没後一年が経った今「港やお世話になったであろうその町」を見てみたいと考えています。些細な事でもいいのです。  当時の引き揚げの様子、資料等が閲覧できる図書館、資料館など。ご存知の方宜しくお願いいたします。(三重県から)

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

 私の母も馬山から下関の周辺の港(どこか忘れましたが)への引揚者です。ずいぶん前に聞かされたのではっきり覚えていませんが,敗戦後の朝鮮半島の日本人はまず,官憲などの役人が地元民に捕まり,殺されたり暴行を受けたということでした。私の母は,幸いにも地元の人が手配してくれたみかんの積荷船(小船)で昼間はシートの下で息をひそめ,夜陰にまぎれながら,港から港を釜山まで移動し,釜山から下関へ向かったとのことです。  終戦直後の下関周辺の海は外国からの侵入を防ぐ機雷で埋め尽くされて,下関間近まで逃げ帰ったものの,機雷にあたり死んでしまった人も多かったそうです。爆発でバラバラになった手足が,海岸へ流れ着くことも少なくなかったそうです。  記憶が定かではありませんが,かつて川棚温泉へ行った時に,同じような内容の話をパンフレットか何かで読んだ気がします。不確かな記憶ですみませんが参考になれば。

taka2530
質問者

お礼

この度は詳細なご回答を頂き感謝いたしております。  そちら様のお母様が苦労されてやっとの思いで内地にたどり着かれた様子が目に見えるようでした。たぶん私の父の思いも同じようなものだったんだろうなと思い、涙が出ました。  川棚温泉でのお話もとても参考になりました。色々とありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • silverakun
  • ベストアンサー率26% (657/2479)
回答No.3

小串港については良く解かりませんが、 舞鶴も”岸壁の母”で有名な引揚港です。 現在でもここに、記念館がありますので、参考になれば・・・ http://www.joho-kyoto.or.jp/~f-machi/202/dekakeyo/007/index.html http://www.joho-kyoto.or.jp/~f-machi/202/dekakeyo/007/access.html http://www.meitenkan.com/spots/maiduru/hikiagekinenkan/ http://www.tokyo-kurenaidan.com/showa5.htm

参考URL:
http://www.maizuru-bunkajigyoudan.or.jp/hikiage_homepage/next.html
taka2530
質問者

お礼

ご回答をありがとうございました。立派な資料館を維持されてみえる舞鶴市に感動いたしました。引き揚げ港になった地元の方々の暖かい出迎えとご苦労をお察しいたします。当時の皆様の思いはいかばかりか?それは「皆が毎日白いおまんまが食べれて戦も無い平和な日本」だったはずです。極寒のロシアで亡くなられた多くの方々に私たちは今なんと言えばいいのか・・深く考えさせられます。

  • Keroro-G
  • ベストアンサー率31% (23/73)
回答No.2

こんにちは。山口県在住です。 質問者様のお話、知りませんでした。 小串は豊浦町になりますので、そこの観光協会に問い合わせてみられてはいかがでしょうか。

参考URL:
http://ww5.tiki.ne.jp/~toyouraweb/
taka2530
質問者

お礼

「観光協会」とのお教えを頂き「これはいいなあ」と感心しました。「現地へ早く行きたい」の思いばかり強くて準備不足にならないように、じっくり取り組みたいと思います。ありがとうございました。

回答No.1

気になったので覗いて見ました 親父が逝ってから3年9ケ月が過ぎました、親父も戦争でサイパン方面に 行ったと話していました 玉砕前に引揚げて来たので今自分が生まれ育ち平和の有り難さを痛感しております 本題ですが、こんな引揚者の方のサイトが有りました 参考になれば幸いです、最後の方に山口がありますそこに小串港の話が載っています http://aikotora.hp.infoseek.co.jp/alljapan.html

taka2530
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。このサイトの方、引き揚げを体験された方々やご家族のご苦労が身にしみます。たぶん私の父も同じ思いを味わったんだろうと思います  。帰路の鉄道から目に映る様々な「内地の景色」を見て何を思ったんだろうかと考えさせられました。多くを語らずに逝った父の足跡を訪ねたいと思います。改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

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