信長による天下統一
天正10年6月、信長は天下統一を目前にして本能寺の変に斃れました。
信長の死後、天下統一事業は秀吉に引き継がれ、結局天正18年7月までの略丸8年かかって達成されたのでした。
ここで質問です。信長の死は結果的に天下統一を早めたのでしょうか、それとも遅れさせたのでしょうか?
確かに本能寺の変が無ければ、織田家が混沌とした時期を迎えることはなかったので、より速やかに九州、奥州へと兵を進めることが適うと思われます。(関東後北条家は既に服属している)
しかし、これまでの信長の征服戦争のやり口が、殊更に諸大名の抵抗を苛烈なものとする要素も否定できないのでなんとも言えません。
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ございません。 >女性っぽくロシア軍に向かう日本軍 ↑ちゃんと想像しましたよ。私の脳裏で、日本軍がオカマさん達になってしまいました。(笑) 最近の学生さん達は、どういう覚え方をしているのかなぁ思い、質問させていただいた次第です。 面白かったです。ご回答ありがとうございました!