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快・不快のメカニズムについて教えて!
今僕は 快・不快のメカニズムについて学校の個人学習で調べています ある程度調べたら、専門用語などがわからず、個人学習が止まってしまいました。 そこで、なのですが、専門用語をなるべく含まず快・不快のメカニズムについて教えてくれないでしょうか?
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ここは哲学のカテですので、快、不快のメカニズムを生理学的に説明するということではだめなのですよね。それで質問者様の「個人学習」、「専門用語」というのは「哲学」の分野における用語と解釈していいのでしょうか。それなら脳医学的、脳神経医学的なことには触れずに済みますので。メカニズムという言葉にちょっとひっかかりますが、ま、いいでしょう。 快、不快をなぜ人間が意識するのかということは、人間の生命の働きに関係していると思います。快感は生命にはずみをつけ、不快はその逆の働きをする、つまり死につながるということでしょう。人間はより良く生きたいために快感を志向し、死にたくないために不快を避ける。生命のメカニズムはおおむねそういうことで世界を(死滅させず)維持しているといえます。 快感の極限が新しい生命を生産するための性欲の発露であるのはこの考え方が間違っていないことを証明していると思います。反面、不快の最大のものが死の苦しみであるのもこの考えの延長線上であれば当然のことといえるでしょう。
- tumaritou1
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学問的には学んだ訳ではありません、個人的な感想ですが。心地よいのが快と思います。自分の心になじむものと思います。或いは自分が受け入れられるものと言えば良いでしょうか? その反対が不快と思います。自分の心にはなじまないもの、或いは自分が受け入れられないものです。是は受け入れたくないものと言う言い方もできるかと思います。 この事にこだわる事が「病」と言えます。それは心が「停滞」している状態と言えるからです。人間の心の状態の事です、何時も快で居たいと言う思いが「病」の元を作っている場合が在ります。それは分別の事です。 一つの物事を二つに分けて見ている世界の事です。現実のただ一つの出来事を二つに分けて見る世界の事です。片方を快(天国)片方を不快(地獄)として見ている世界の事です。言い方を変えたなら快を、ストレスと感じない世界と言っても良いかと思います。 不快をストレスとして感じる世界と言う言い方もできます。同じ出来事、同じ物音、同じものを見たり聞いたり体験した時の事です。同じ体験をした場合でも其々の人は様々な受け取り方をします。それは受け取る人の捉え方の違いが様々な受け取り方になって現れます。 快と不快を明確に分けてゆく考え方が「病」の元を作っています。快の世界を心に作って、その世界に留まっていたいという思いが心に地獄を作っています。たった一つしかない世界を分別で二つにしている世界です。是を妄想、或いは心の病、或いは、迷いと言う言い方もできます。此の迷いの世界からの出口が分別を捨てるという生き方になります。 物事を二つにして見ないという、見方の事です。天国を捨てた時にこそ天国にいたことが分かります。好きと嫌いにこだわっている世界が病」と言う事が分かります。