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戦国時代、戦国武将の娘の幼名について

閲覧ありがとうございます。 戦国武将の息子は幼名から元服して諱へと変わりますが、娘にも幼名があったりしたのでしょうか? 以前、本多忠勝の娘の幼名が稲で、その後小松に変わったとあったような気がしたので質問致しました。 また娘の場合、幼名があったとして変わった後の名前は何と呼ばれるのでしょう。 息子の場合は諱だったと思いますが、娘の場合も諱でいいのでしょうか。 宜しければご教授願えないでしょうか? 宜しくお願い致します。

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noname#224207
noname#224207
回答No.3

>また娘の場合、幼名があったとして変わった後の名前は何と呼ばれるのでしょう。 原則的に、女性は生まれたときに付けられた名前(幼名)を生涯使い続けました。 女性で諱を名乗る必要が生じるのは、官位を受けた場合のみでした。 この諱なるものの取り扱いが、実にややこしというかその時代々々の習慣がありました。 元々は中国のしきたりでした。 いろいろネットで資料を調べると、中国の話なのか日本の話か区別がつかない、という説明者側の怠慢もあります。 これは、日本の習慣がルーズで時代によってコロコロ変わったためでもあります。 古い習慣のまま使っている人物があるかと思えば、その時代の習慣に応じて使っている人物がいる、などと混乱しているのも原因ではあります。 特に戦国時代は時代の変わり目で、平安時代から続いた習慣と、それ以降江戸時代まで続く習慣が渾然一体となった時代でもあり一般論が通用しません。 むしろ、何故女性は生涯同じ名前で通したのに、武家や公家の男性は一生の間に名前をコロコロ変えたり、二つも三つも名前を持っていたのか、と考えた方が分かり易いかと思います。 言霊思想(言葉に霊力がある)という考え方の一つとして、名前を呼ぶとその人を霊的に支配下におくことになると言う考え方がありました。 この為に親族以外は実名を呼ばない、呼んではならない、という習慣が出来上がってしまいました。 この実名を諱と呼びました。 諱(いみな)=いむ名すなわち呼んではならない名前という意味です。 この為に家を一歩外へ出ると通称が使われました。字(あざな)仮名(けみょう)と呼ばれます。 中国では厳密に区分され続けましたが、日本では字も諱もごっちゃになってしまいました。 結果として諱=本名ということになります。 一方で血族主義というか家系主義が社会的習慣として浸透しました。 一族というかその家系に繋がる人だ、という意味から諱につかわれた文字が親子代々使われるようになりました。 通字と呼ばれます。徳川氏の家とか康とか光、秀という字です。 江戸時代の将軍の名前がよく似ているのはこのためです。 武家が他家を継いだ場合には、苗字も諱も変えました。 上杉政虎のちの謙信は、もとは長尾景虎であって、上杉氏の血族ではありません。 越後上杉家を乗っとった、というか継いだ結果です。 江戸時代までは、幼児死亡率が高かったことから、家の跡継ぎになる子供が、無事に成長してから、この通字を使った諱を付けるようになりました。 男主体の家系の継承主義の結果、男性は幼名と成人名が違うという現象がおきました。 女性は、他家へ嫁ぎますので、家系を継ぐ心配がないことから、幼名のままで過ごしました。 他家へ養女として移籍した場合などは、ときには、〇〇家の娘から△△家の娘になったのだから、△△家の娘としての名前を新たにつけるということもありました。 平たく言えば女性にとっては諱などというややこしいものは無縁で必要もありませんでした。 蛇足 実名を他人が呼ばないという習慣から、他人の手で書き残されることがなかった結果、紫式部や清少納言は実名がわかりません。 式部も少納言も官位名です。 このように、朝廷内で他人が呼ぶときには、官位名が一般的に使われていました。 女性が朝廷に上がって官位を登録する際に、諱なるものがつけられました。 ややこしいのは、幼名に親の名前の字即ち通字が使われることがあったことから、諱とよく混同されます。 これが後に吉良上野介とか、浅野内匠頭とか、井伊掃部守とかというふうに使われるようになりました。守名乗り(かみなのり)と呼ばれます 江戸時代には、このような官位に由来する通称は幕府に届ければいいだけで、勝手につけていました。 まぁ~実際は、あれはダメ、これはダメと難癖がつけられて上手くやらないと幕府から許可がおりませんでした。

halvemaan
質問者

お礼

詳しくありがとうございます!! なる程、そう言った理由で女性はほぼ諱を必要とせず、名前を変える事も少なかったのですね。 とても勉強になりました。 もやもやしていた疑問が晴れてすっきりしました。 回答、ありがとうございます!!

その他の回答 (2)

回答No.2

娘は生まれたときの名前のままです 信長の妹の市や犬は生まれたときから同じ名前です 名前が変わるのは色々な要因があります 出家や還俗 稀に結婚で名前が変わる事もあったようです 稲が名前を変えたのは本多忠勝の養女になったためです(小松は忠勝の実娘ではありませんので)

halvemaan
質問者

お礼

稲姫は家康の養女になって名前を変えたような記憶があったのですが、そうだったのですか? しかし名前一つ取っても、歴史は奥が深いですね……。 ますます歴史が好きになります。 回答、ありがとうございました!!

回答No.1

諱は死後、後世の人が使う呼び名です。本人が生前に使うことはありません。

halvemaan
質問者

お礼

元服や裳着(成人)後の名前と説明したら分かりやすかったですね。 説明不足で申し訳ありません。 回答、ありがとうございました!!