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貸本屋はいつぐらいまでありましたか?

貸本屋は、1960年代初頭まで日本全国にあふれていたそうですが、 いつぐらいに姿を消したのでしょうか? ある本で、1972年か73年に東京で貸本屋がまだあったという記事がありましたが、これは本当でしょうか? 記憶違いだと思うのですが。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ESE_SE
  • ベストアンサー率34% (157/458)
回答No.6

単純にマンガその他の本を有料で貸すという店なら今でもあります。 ただし取り扱っている本は現在販売されているコミック類。 恐らく質問者様の言う貸本屋とは、サンデー・マガジンなどに掲載されない漫画が「こっちなら載せてくれる」ということで 流れ着いて掲載された貸本専業のような本が扱われている貸本屋のことでしょう。 言うなれば現代の音楽業界で言うところのインディーズのようなものですね。 そういった貸本専用雑誌・書籍が無い以上、昔の意味での貸本屋は60年代頃までに歴史を閉じたと考えて良いのではないでしょうか。

その他の回答 (12)

  • zasax
  • ベストアンサー率36% (29/80)
回答No.13

京都市内には今現在、少なくとも2軒あります。 1軒は、友達が「家の近くの貸本屋でね・・・」と言ったので、「え?貸本屋なんてまだあるの?」と驚きました。 もう一軒は、古くからの団地のそばの商店街(ほとんど空き店舗)にあるのを見かけました。 お客さんが入っているのを見たことはありませんが、最近のまんがのタイトルが見えたので、営業していると思います。

  • mechano23
  • ベストアンサー率31% (60/190)
回答No.12

今でも中野区高円寺で営業している所がありますね。タウンページでけんさくして見つけました。 ところで私の記憶では京都では貸し本屋を全然見なくなったのはもっと遅くて80年代初めです。学生の多い町なので長く残っていたかもしれません。丁度このころにほとんどの店が貸しレコード屋に転業したように思います。

参考URL:
http://www.koenji.info/04_hobby/rental/post_603.html
  • k99
  • ベストアンサー率47% (491/1025)
回答No.11

ええっと、実態として営業していたかは疑問ですが、1980-90年代に23区内で確かに 「貸本屋」という商売を見かけました。  というのも、当時自転車で徘徊して雑本の背取りをしていたわけですが、(どこだったかを失念したのが傷だが)古本屋だと思って入ったら、これが貸本屋で「初回は米穀通帳(!)をお持ち下さい」という店内の表示にたまげた記憶があります。 さすがに米穀通帳の持ち合わせはなかったので、利用はしませんでしたが・・・・。  調べると82年までは少なくともその発行が行われていたようなので、寝ぼけた店なら80年代後半ぐらいまで掲示はしかねません。

  • sosdada
  • ベストアンサー率33% (265/792)
回答No.10

1978年に、奈良県で貸本屋がありました。 1.貸本屋にも2種類あり、江戸時代から続く、お得意様を回って雑誌  や本を貸す業者 2.店舗経営の貸本屋 1は、江戸時代にはそもそも八百屋も魚屋も店舗経営が少なかった、行商が主だったので、漫画家のみなもと太郎(1947年生まれ)が20過ぎたばかりで始めたバイトが最後の「人の集まる場所回り」スタイルの貸本屋だった(同人誌「風雲児外伝7」2002)と書いているので、この頃に姿を消したのでしょう。 2は、TV「大改造劇的ビフォーアフター」で貸本屋のリフォームが放映されていました。まだあるのでしょう。

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.9
  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.8

歴史的には1960年代を境にしています。 これと同年代に紙芝居も姿を消して行きます。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru_reply.php3?q=4973037 この定義とは、これを商売と出来ないです。 また、週刊誌の出現が大きな理由です。 週刊少年マガジン、サンデー(1959年) (同時創刊で不二子は一方を断る事態になっている。) 週間少年ジャンプ(1968年) 秋田書店も遂に週刊化します。(チャンピオン1969年) 冒険王などの月刊誌が振るわなくなったのが原因だと考えます。 ですので、1972~3年には未だ健闘している書店は考えられます。 当時は不二子の漫画にある、月に一度で待ち遠しく、 交代読みなどは普通であったでしょう。 1970年代初頭では食堂や床屋で漫画を読むのが主流でした。 1975年であれば「月刊誌は売れない」が定説でした。 1980年代には週刊誌の売れ行きは頭打ちし、モーニングやヤング化します。 現代では週刊誌自体が危機を向かえ、月刊誌に戻りつつあるとも言われています。 ですので、これを職業に出来る限界は1975年だと思います。 貸本、古本、販売を同時に手がけていてもこの時期移転、店仕舞いする書店も多かったようです。(大店舗ストアー時代) ここから、レンタルビデオ時代へ向かいます。(昭和58年) 少子化については、 アニメでは視聴率が稼げない。は1980年には問題化しています。 1990年代、スポーツ根性物は流行しないから、 7時代に漫画からクイズ物に変化するのが2000年代です。

  • new2009
  • ベストアンサー率61% (200/326)
回答No.7

子供の頃、当時の自宅近く(大阪府)の貸本屋へ姉に連れられてよく行きました。 専ら借りるのはマンガばかりで、マンガの単行本1冊50円~70円(1泊だったか2泊だったかは??) くらいだったでしょうか。1冊ずつ裏表紙に代金が書かれてありました。 きちんとした看板もあって、手狭ながらもれっきとした貸本屋でしたよ。 姉は小学生だったこと、私がマンガが読める年齢だったということ、その貸本屋が あった近辺に住んでいた時期から考えて、1978~1980年のことで間違いないです。 ただ、いつ頃廃業したかは分かりませんが…。

  • jun99
  • ベストアンサー率23% (40/169)
回答No.5

福岡ですが、現在もまだ貸本屋はあります。 消滅していません。

  • hukuponlog
  • ベストアンサー率52% (791/1499)
回答No.4

私の実家は東京ですが、昭和46年まで近所に貸本屋がありました。その年に経営者のおじいさんが亡くり、息子さんは跡を継がなかったので廃業してしまいました。昭和46年ですから、1971年ですか。万博の次の年だったので記憶に残っています。 当時、少年マガジンが70円か80円くらいだったと思うのですが、発売日とその翌日だと20円、3日目からは10円で一日借りることができました。

  • bee1015
  • ベストアンサー率20% (83/399)
回答No.3

母の実家(兵庫県のやや田舎)の駅前には、たぶんそのころまだあったはずです。 私1963年生まれで『サザエさん』『いじわるばあさん』や手塚治虫の漫画などを借りてもらってたのだから、72から73年だと10歳ごろですね。 東京にまだあっても不思議ではありません。

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