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1990年のホンダの経営不振について
1990年代初頭,ホンダが経営不振に陥っていたそうですが,何が原因だったのでしょうか?
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- shuusan101
- ベストアンサー率28% (360/1247)
ホンダがRVを作れなかったのは、工場の問題もあるものの一番大きなのは取引銀行が三菱銀行なことです。三菱車のドル箱であるパジェロの対抗車種など作ることは出来ません。 経営不振は年間40万台しか売れなくなったからですが、その原因は何が正解なんでしょうね。
- turukame2005
- ベストアンサー率24% (173/720)
80年代、ホンダが全社的にF1に夢中になって、市販車のことまで頭が回らなくなってしまったのです。 そのあたりのことは、海老沢泰久というジャーナリストがライフワークとしてホンダに密着し、「F1地上の夢」(朝日新聞社)というノンフィクションにまとめ上げています。 プロストやセナが激しいチャンピオン争いを続ける裏で、ホンダの技術者たちが熱に浮かされて、新車の開発をないがしろにした経緯が、生々しく書かれています。 開発した市販車がデビューするのは何年か後ですので、1990年代初頭に破たんが表面化したのです。 海老沢氏は、あまりにもホンダチームに密着していたので、ウイリアムズやマクラーレンの人たちから、「ホンダの黒幕」とみなされていた、という有名な話があります。 もっとも、自動車の生産は、冷蔵庫や洗濯機を作るのとは違い、その国の文化の反映でもあります。 ホンダのそうした色々な「前向きな失敗」の積み重ねがあって、今のホンダの世界的な評価がある、と、私は思います。
- white_aeras
- ベストアンサー率30% (92/299)
車という商品が「あこがれ」から「道具」に変わる年代ですね。 No1の方の通り、スポーツ・スペシャリティ一色のホンダは流れに乗り遅れ、低迷しました。 シビック・CR-X・プレリュードなど若者向けのラインナップが大半を占めていました。 そうした中トヨタが未来的なデザインの初代エスティマ・SUVのサーフ・ランクルシリーズ、日産のテラノ・ラルゴ・セレナ、三菱のパジェロ・デリカなどのいわゆるRVが立て続けに出て読み遅れたホンダは苦戦しました。 私も人からの受け売りなのですが当時ホンダは背の高い車を作りたくても工場のラインが対応できなかったと言われています。 そうした中、苦肉の策でアコードベースでできるかぎり背を高くしたオデッセイが乗用車感覚で乗れるミニバンということで大ヒットしました。 価格も安く、一気に街中で見かけるようになりました。 しかしながら、ミニバン頼みのメーカーになってしまった現在も苦戦しています。 個人的にはホンダならではの「ワクワクする車」がなくなっているのが寂しいですね。
- yas887
- ベストアンサー率22% (82/369)
当時のホンダはスポーツカーやスポーティカーのラインアップがかなり強かったのですが、そのころ三菱のパジェロが大ヒットし、明らかに若者を中心に求める車がスポーツカー→RVに変わりつつありました。しかしまだホンダはその伝統からか、スポーツカーや強力なエンジン(VTEC)の開発にこだわり続け、徐々にシェアを失っていき、在庫を抱えるようになりました。国内シェアで三菱に抜かれ第四位に低迷するという屈辱を味わったわけです。 そこでようやく時代の変化を汲み取ったホンダはラインアップをスポーツカーからRVに移していきました。そんな中1994年にオデッセイが大ヒットし、そこから立て続けにRV車のヒット作を出し続け躍進していきました。 一方の三菱はパジェロの大ヒット後、同じRVでもクロスカントリー→ミニバンへの流行の変化についていけず、ラインアップの変化に遅れがでたことから再びホンダに順位を逆転されました。 これらがホンダの経営不振の原因の一つだと思います。