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薩摩の島津義久と義弘兄弟は、いつごろから不和になり始めたのですか?
薩摩の島津義久と義弘兄弟は、いつごろから不和になり始めたのですか?
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島津家を分裂させようとする豊臣政権の圧力により、対立的な立場になりましたが、個人的に不和であったようには、みえません。 秀吉の島津分裂工作は、九州平定時に始まります。島津義久の降参に対し、秀吉は薩摩を義久に、大隅を義弘に、日向の一部を久保(義弘の子)に、それぞれ安堵します。 さらに慶長元年の太閤検地に伴い、薩摩は義弘に与えられ、義久は大隅に追われました。ところが義弘は兄をはばかって鹿児島には入らず、義久を隠居させようとする石田三成の工作にも、協力しなかったようです。
お礼
そうだったんですか。 不和なのは江戸時代に入ってからの義久と忠恒の間だけだったんですね。 義久も義弘も歳久もみんな人間的魅力に溢れてて好きです。 島津4兄弟の強い絆を描いた作品を見て見たいものですね^^