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薩摩藩のお茶・紅茶

先日の歴史ヒストリアで五代友厚が島津久光に紅茶作りを献策してるシーンが出てきました。 そこで質問なのですが、現代では宮崎さんのお茶はたくさん流通していますが、当時の薩摩藩はそもそもお茶の生産量は多かったのでしょうか? 現代の宮崎のお茶産地って、薩摩藩領だった場所でしょうか?

みんなの回答

  • boko10cho
  • ベストアンサー率55% (64/116)
回答No.3

『三国名勝図会』という、薩摩藩内の地誌を記した書物があり、 そのうちの「巻之五十九 日向國諸縣郡 都城之二」の 「物産 飲食類」の項に 「蒸茶  凡茶は、海を距ること遠くして、雲霧深き處を良とす、當邑は  霧島山の大麓にして、渓谷多く、雲霧常に深く、古來當邑は  霧海ともいふ、故に茶の品上好なり、本藩の内、煎茶は、  都城、吉松、阿久根の三所を上とす、其内當邑を以て最上とす、  都城茶と稱して、上下となく賞玩せざる者なし、旦當邑土地  廣ければ、是を製して、府下に出すことも亦多し、(以下略)」 と記され、略した部分には名品として15品が列記されており、 生産量は不明ですが、自家消費のみではなかったように思われます。 参考URLの「コマ番号 78~79」に上記引用が書かれています。

参考URL:
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992150
jkpawapuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 やはり商売上手の薩摩藩、なんという銘柄か知りませんが当時から宮崎茶はあったんですねえ。

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  • sara7
  • ベストアンサー率25% (38/151)
回答No.2

今晩は(^^♪ 豊臣秀吉の朝鮮出兵で島津義弘がかごんまに連れてきています。 ”沈壽官窯”と言えばかなり有名ですよ(^o^)/ 義弘公は茶室も作っていたと聞いています。 また、宮崎の茶産地と言えば日向市、都城市、串間市、川南町などですので 薩摩藩ですね。 以上でした。 参考までに http://www.pref.kagoshima.jp/af07/sangyo-rodo/kanko-tokusan/kounyu/kougei/chinjukangama.html http://www.chin-jukan.co.jp/history.html

jkpawapuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 沈壽官窯はお茶っぱではなく茶器のことですね。

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11216/34838)
回答No.1

江戸時代の経済統計なんてのが存在しないので実態については分かりませんが、島津藩ときた日にゃ全国有数の貧乏藩だったのでとてもお茶などという嗜好品を作る余裕なんてのはなかったと思いますよ。 http://www.m-tea.jp/about/history.html こちらにあるように、宮崎茶の歴史そのものが明治維新以降のことのようです。江戸時代には産業にはなっていなかったようですね。 ちなみに静岡茶も明治以降の話でありまして、静岡県は徳川家のおひざ元ですから明治になると失業した徳川藩士が大勢静岡県にやってきたのです。 ところが彼らに与える土地がない。あるのはお米を作るには適さないような場所ばかりでした。そこでそれらの場所でお茶を作ることが奨励されたのです。

jkpawapuro
質問者

お礼

砂糖を作ってた薩摩藩で貧乏だから輸出品は作らないのくだりはよくわかりませんが、どうやら江戸時代には採集までで栽培には至ってなかったみたいですね。 ご回答ありがとうございました。

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