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社会通念と職責どちらが上か?小林多喜二の判断は?
現在働いている工場の主任というのが、従業員に対して非常に高圧的な態度をとっています。一例ですが、従業員同士ちょっと話をしていると「そこっ!話しないでちゃんと仕事しなさいよっ!」と怒鳴っています。数十年生きて来ましたが、初めて見る光景なので驚いているのですが、このことをあるサイトで話題にしましたら、主任は職責でそうしているので非はないと言う人がいました。 ところで、この主任の言動は、小林多喜二の「沼尻村」に登場する軍需工場の監督そっくりなんですね。実在の工場をモデルにしたようですが、その監督は従業員たちに陰で「タコ」と呼ばれて蔑まれていました。これは勿論、多喜二自身がこういう監督を蔑んでいるから、こういう小説を書いたんでしょうが、監督も主任も従業員が精出して働くように、職責をマットウする努力を精一杯しているわけです。とすると主任や監督の言動は法律上は、何の問題もないのでしょうか? 多喜二は何を根拠に監督を蔑み批判したと考えられますか? 私も勿論、両人とも「ひどいっ!」と思います。それは私の今までの「常識」から考えてということだと思います。裁判官はよく「社会通念」を判決の根拠にしますが、この「社会通念」というのは「職責」よりも上位にあると考えられますか?
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- 中京区 桑原町(@l4330)
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回答No.1
「そこっ!話しないで仕事しなさい!」 新人が入ってきた今は毎日何回も聞いてます。 日本中の誰でも知ってる巨大製造会社でも同じ事を聞きます。 ppbの品質を求めると作業者が無駄口を使うようでは実現不可能です。 作業中は私語を話さないのはアメリカでも中国でもその他東南アジアの国々でも通じます(当社は全工場で徹底してます、各国の労組も理解してます)
補足
じゃあ、多喜二が監督を非難する根拠は何なんでしょう?魯迅やロマンロランが多喜二の影響を受けた事実からしても、単なる企業の論理以上のものを持っていたと考えているのですが。企業の論理、特に、日本の大企業の論理は知っております。それは、しばしば人間性を破壊するものであったし、今もそうです。何年か前ですが、私語どころか、タイではトイレに行く時間制限までして問題になったじゃありませんか。