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アイデンティティについて
先日『アイデンティティ』という言葉の意味と使い方について質問しました。 たくさんの回答をいただいて答えを読んで、わたしなりに理解したいと考え アイデンティティという言葉にも、すこしは近くなったように思っていますが、 わたしの努力の足りなさもあって まだひとつの答えにはなっていません。 今回の質問は 「アイデンティティという言葉」についてどう思っているか アイデンティティという言葉を使うのか?使わないのか 使う時は、どんな時にどんなことを表すために使うのか という質問です。 良く考えると前回の質問と同じことかもしれませんが… アイデンティティについて をどう書いているのかを読みたい という気持ちなのです。どうぞよろしくお願いいたします。
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- nyanyacchyan
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>「アイデンティティという言葉」についてどう思っているか アイデンティティという言葉を使うのか?使わないのか 使う時は、どんな時にどんなことを表すために使うのか という質問です。 20歳の大学生です。 私は最近「アイデンティティ」という言葉をよく使います。 私は物心ついたときから同じ悩みを持っていて、その悩みというのは、たくさんの人たちがいる中で、自分のキャラがうまく出せない。といことです。 出せない、というよりは人の目を気にしすぎ、自分を押し殺してきた結果、キャラが分からなくなってしまった。という方が正しいです。 最近、様々な本、ネットなどの情報を見て、この状態は哲学用語で言うとアイデンティティが確立していない 状態ということが分かりました。 なので使うときは「アイデンティティの確立」という形でよく使います。 アイデンティティ確立=自分が自分はこういう人間だ!ということを認め、そしてその「こういう人間」、というをまわりからも認められる。状態 ととらえています。 アイデンティティという言葉onlyだと、「キャラ」って感覚で私はとらえていますかねぇ。 質問者様の求めている回答に沿っているか分かりませんが、私の意見を書いてみました。
- ywkc
- ベストアンサー率44% (4/9)
>これから12番目の回答を読んで あそうでしたか。 カルデロン・ノリコさんは一人日本に残っているでしょ、とつっこんでください。 アイデンティティを持つ第一歩は自己認識です。それがなければ、他人からの指摘があってもだめです。 ですから、 >わたしは日本人だ と考えることが大切なことだろうか? なんてことを言っているうちは、アイデンティティは大切なことなの?と立ち止まっているのと変わらないんです。 そんなこと言っていないで自分自身を知るのが最短と思いますよ。 ここでのやり取りは、私自身がアイデンティティの意味付けに気づかされたこともあって有意義でした。どうもありがとう。
お礼
こんばんわ! >カルデロン・ノリコさんは一人日本に残っているでしょ、とつっこんでください。 ここを読んで ん?と思って あらためてNo12を読み返してみました。 それで 文章を読んでいながら読んでいない…思い込みで読んでいる 自分に気がつきました。すみません。 わたしはここで二度も同じような質問をさせてもらって たくさんのかたからの 回答を読ませていただきました。 ようやくわたしなりのアイデンティティのイメージができてきて かなりわかったつもりでいましたが 自分が日本人だ と思うこと とか 自分自身を知ることとか そのことが大切らしいこと でもそれがなぜ大切なのか?が、まだわかりません。 やはりまだ立ち止まっているのと変わらないのでしょうか? いつかわかるきっかけを掴むことができるだろうか? 『悩む力』は、考えていたよりも読みにくいですが でも読むつもりです。 ywkcさんにはたくさん回答を考えていただいて とてもうれしかったです。 ありがとうございました。
- ywkc
- ベストアンサー率44% (4/9)
#12です。 アイデンティティを「自分らしさ」という意味で使うことに納得されているようなので、それでよいのではないかと、思います。 その自分らしさが自分にぴったり合っていること、ですから。 私は、それで十分かな?と思い、 「では自分に合わなかったらどうするのですか?」 なんてあまのじゃくを、最近書いたようですね。 人によっては自分に合うものを見つけることが人生の切実な問題として現れることがあります。 姜さんの書いた本を読んでもわかるとおもいますが。。。この問題に取り組むと、とても苦労することがあります。 それを「アイデンティティの問題」とたったひとことで言葉にできてしまう。 そんな使い方ができる言葉です。 私がもしズレたことを言っているなら、ごめんなさい。 それに、やりすぎたかな、と反省しているところです。 質問者さんのアイデンティティを「判定」してしまって失礼だったかなと。 私の書き込みを読んで不快になった方にはお詫びします。
お礼
わたしが質問したのですが 質問の主な目的は 『アイデンティティについて』をどう書いているのかを 読みたい・・・という気持ちだったのですから たくさん回答をいただいたこと とってもうれしかったです。 ありがとうございました。 ywkcさんの回答も そして質問も! とてもうれしかったです。 小学生が「愛」ってなんですか?「生きる」「死ぬ」って? と質問するように、わたしも「アイデンティティ」について 質問したのですが、勇気を出して質問できてよかったと思っています。 回答も終わりになりそうですが これから12番目の回答を読んで アイデンティティって何か?を もういちど考えます。 楽しみです。
- sonsin
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Idenyityはラテン語のIdem=the sameが語源で、tity=nessはその名詞化です。つまりIdentity=samenessで「同じなこと」を意味します。「私らしさ」の説明が人が私に会い同感できれば、私のIdentityです。 人も物も心も複雑で、Identityも多面性があります。 私の性格の私らしさは前回の通り、「むきになる・しつこい」です。 私の人生目標は「みんなより良く・All Better」で、文章は「分かりやすく」です。 みんなより良くは、すべての人も物も地球も、今日より明日が落ちなくみんながより良くと考え、行動する意味です。 貧しい人は、明日が少しでも豊かになり、豊かな人もおすそ分けでやっかみからの解放を! 豊かさは、お金、ひま、広さ、情報、友情、親切、知恵、体力、健康などの要素があります。 恵まれた人は、恵まれない人にそっとおすそ分けをして、恵まれない人も「ありがとう」を忘れない。 そんな夢! 難しい漢字やカタカナを含む長い文章は、本人も読者にも時間の無駄です。 読む人に分かりやすい文は、ひらがなが80%で3回以上推敲すると、大宅壮一氏もローマ史の著者も言われ、共感を呼んでいます!
お礼
いちばんはじめに「…らしさ」という答えを教えていただきました。 この時 すなおに納得できました。 sonsinさんは長く考えたあとに …らしさ というひとつの答えをだした と書いてくださっていましたが わたしもいまアイデンティティについての いろいろな考えを読ませていただいて 言葉のまわりに近くなったと思ったり ときには離れたりして、考えています。 この言葉を使えそうな気持ちになっています。 人生目標も文章のことも とても興味深く読みました。 ありがとうございました。
- ywkc
- ベストアンサー率44% (4/9)
#11に続きます。 質問者さんは日本人としてのアイデンティティを持っていますか? >わたしは日本人だ と考えることが大切なことだろうか?と考えています。 >「それでは○○の国の人ですか?」と聞かれたら >そのときは「違います!」と言います。 >なにかの保障が必要な時「日本人です。」と言います。 >誰かがわたしのことを○○人と思っていて どこかでそう言われている >としたら それはどっちでもいいと思っています。 >人間として疑問や不安はありますが わたしはいま住んでいる >ここから離れたことのない日本語を話す人です。(^^ゞ なるほど、そういうアイデンティティを持っているんですね。 という風に使います。(保障は保証の変換ミス?) 「日本人として誰かから保証される人」と「質問者さん」が 質問者さんご自身によって同一視されました。これが自己同一視ですね。 >答えはあるのですか? それをアイデンティティの問題といいます。 アイデンティティには個人的な(その人らしさなどの)アイデンティティと、集団的な(国家・国籍などの)アイデンティティがあります。 日本人ですか?というのはどちらかと言うと後者です。 最近フィリピンに帰国したカルデロン・ノリコさんは 「私は、(自分が)百パーセント日本人だと思っています。両親と日本で暮らしたい」 とコメントしていましたね。 しかし彼女は日本人から「あなたは日本人ではない」と否定されました。 彼女が日本人としてのアイデンティティを持っている場合は、自分自身を見失う可能性があります。アイデンティティの不一致の問題を突き付けられたからです。 友達と別れるのは寂しいとか、フィリピンでは言葉が違うから大変だとか、そんなレベルではないほど衝撃を受けているかもしれません。もちろんカルデロン・ノリコさんがどのようなアイデンティティを持っているか私は知りませんから、彼女次第です。 彼女は質問者さんと同じように日本から離れたことのない日本語を話す人だったに、 彼女は質問者さんと違って日本人だと言っても何の保証も得られません。 この違いは何ですか? 私がつい色々と書いてしまったのは、アイデンティティを単純に個性やその人らしさとみなすことに違和感を覚えたからですが、それだけではなく、質問者さんがアイデンティティの問題を突き付けられたこと無くアイデンティティについて考えていることに感心しているからです。 アイデンティティという言葉の意味を知ることに加えて、「なぜ私は(私の周り人は)今までアイデンティティの問題を考える必要がなかったのだろうか?」と考えてみてはどうでしょうか。 『悩む力』は良い本だと思います。姜尚中さんの在日韓国人としてのアイデンティティの葛藤については 『ナショナリズムの克服』姜尚中・森巣博(集英社新書) の第二章に書かれていることも参考になります。 少し引用します。85ページの 「僕は、あの時期に、自分が日本人でないことに痛切に直面して、精神的にも生活の上でも様々な問題が出てきていたんです。」 あたりから入るとさわりがつかめると思います。 「アイデンティティについて考える前提そのものがなかった。」(92ページ) 状況から、日本名を捨てて姜尚中になり、お子さんが生まれて、 「この息子はこれからどうなるのかという問題に、否応なく突きあたるわけですよ。それで、...ナショナル・アイデンティティ、あるいは、民族的アイデンティティの問題を、もう一度突きつめて考えてみなければならないと思ったんです。」(133ページ) という経験を経て現在(当時の)に至る、アイデンティティの経験談が書かれています。 またアイデンティティを説明している部分を引用しておきます。(89ページ) --- 森巣:私なりの理解では、思いっきり乱暴に言ってしまえば、 アイデンティティ=「私は○○○○である」 ということになりますが、この○○○○の中に、アメリカ人、韓国人、中国人、日本人などが入れば、ナショナル・アイデンティティということになる。よろしいでしょうか。 姜:いいと思います(笑)。 --- 思いっきり乱暴に的を射ているのが面白いのですが、たぶん姜さんの(笑)もそうだと思います。
お礼
回答をありがとうございます。 ここで2度も同じような質問をしてしまいましたが おおぜいの皆さんに 答えていただいたことで ようやくもやもやが晴れてきました。 『もしわたしが「あなたは日本人ですか?」と聞かれたとしたら』…と カルデロンのりこさんの立場とを 比較して説明してくださったことでも その違いが、よく理解できました。 『悩む力』はまだ読んでいませんが、本屋さんで「アイデンティティ」 と書かれている34ページ?を読みました。 姜さんの文章のせいなのかもしれませんが 違和感なく読むことができて わたしにもこの言葉を使う時のイメージが、すこしは わかってきたのかなぁと思えたことが うれしかったです。 自分が自信を持って「アイデンティティ」という言葉を使うことは これからもたぶん無いと思うのですが、誰かがこの言葉を使われても おどろいたり 言葉の意味に迷って そこで思考が止まってしまう ようなことには もうならないと思います。 それから「保障」は「保証」の変換ミスではなく保障でしたが これでは使い方が間違っていますか? ただ「なにかの保障」ではなくて「何かの時、保障・・」と書いたほうが よかったですね。保障の「しょう」の字に、三つも違う漢字があることも 気がついていませんでした。 ywkcさんが、わたしにもわかるようにと考えて 書いてくださったこと ほんとうにありがとうございました。
- ywkc
- ベストアンサー率44% (4/9)
#9に続きます。 アイデンティティは哲学と関連すると思うのでここで聞いても間違いではないと思いますが、哲学的な問いではないようですね。 アイデンティティは、発達心理学で青年が自我を確立する過程におけるひとつの概念としてエリクソンが提唱したものとして出てきますから、心理学の分野で聞いてもよいかもしれません。 私が気が引けると書いたのは、「質問さんは日本人ですか?」と哲学の分野で尋ねることが適切でないと思っただけです。しかし話の流れを考えた上で気にしないことにしました。 次も気にしないでいきます。 質問者さんは、日本人であることに疑問や不安や不完全さなどまったく感じることなく、自分は日本人だと言い切れるんですか?
補足
いま わたしは日本人だ と考えることが大切なことだろうか?と考えています。 「それでは○○の国の人ですか?」と聞かれたら そのときは「違います!」と言います。 なにかの保障が必要な時「日本人です。」と言います。 誰かがわたしのことを○○人と思っていて どこかでそう言われている としたら それはどっちでもいいと思っています。 人間として疑問や不安はありますが わたしはいま住んでいる ここから離れたことのない日本語を話す人です。(^^ゞ 楽しい質問をありがとうございます。 答えはあるのですか? いま「悩む力」という本を紹介されていますから もっと考えてみます。
NO.3 です。 まだ出しておられるようなので、ご参考まで。 今読んでいる本に「アイデンティティ」の語がありましたので紹介しておきます。 「悩む力 カン・サン・ジュン著 集英社新書」の第一章「私」とは何者か の初めの34ページに出ています。 今売り出し中のベストセラーですから、本屋で立ち読みでもされてはどうでしょうか? 前回私が出した例と良く似ています。異国のなかのストレンジャーという設定ですね。カンさんはご存知のように在日です。
お礼
わたしとは何者か という疑問?をもつところが とても不思議な心の動きだと思うのです。 それで その疑問を持ってどこに向おうとしているのか? 気にかかります。本を読んでみます。 ありがとうございました!
- ywkc
- ベストアンサー率44% (4/9)
#7です。 >一番大切な部分の「自分自身を同一視する行為」 >「つまり自分が自分であることをあらためて確信する行為」 >ここがわかりません。 それが大切だと伝われば、私の意図はほぼ伝わっています。 もっと簡単に「自己認識」と言えば良かった、かもしれません。 >そんな場面ってあるだろうか?などと思って ぎゃふん(o_o) 後に引けない感じですね。気を取り直します。 ここは哲学の分野なので気は引けますが…気にせず気楽にお尋ねしますね。 質問者さんは日本人ですか?
補足
すみません。どこで質問するのか迷ったのですが… 哲学とは離れていましたか。。 わたしの質問はふつうに「言葉の意味」でしたね。 日本語しか話せない日本人です。 でも難しい言い回しを読むと迷い、知らない単語も多いので 辞書を見て理解しています。 みなさんの回答を読ませていただいて アイデンティティの回りが ぼんやりとわかったように感じたのですが 広い意味に使っていいのか でも―たぶん間違っていないだろう―と思う使い方は想像できるようになりました。 でも どこからが間違った使い方になるのか?とか まだ疑問は多いです。 つまりまだわからないのですね。
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
こんばんはー。 NO6なんですが、 アイデンティティーでちょっと続きを。 アイデンティティー獲得、と言うとき、その本質は、納得や満足、満ち足りた、と言うような完全感です。完全で欠けたところがなく十分な感じかなと思います。 これは、広い意味でのアイデンティティーと思ってます。 厳密な意味でのアイデンティティーとは、つまり本質的な自分、自己同一性だと思うんですが、 そんな厳密に決めなくても、同じような心と認識の働きは、日常生活でいつも起きている、ということが言いたくって。 この完全な感じが達成されるときは、 先に書いた、感情移入(主観)と客観視、の2つのことがそろったときに起きる、と思うんですが、 2つある、ということは、時間的にはどちらかが先に来て、どちらかが後に来ます。 例をあげた方がいいんじゃないかなーと思ったので、上げます。 もし、感情移入が先に来て、客観視が後に来る場合 何かものすごく好きな人がいた、あるいは逆に、すごく嫌な出来事があった、などの時、感情移入が先にあります。 でも実は好きな人は(いいにつけ悪いにつけ)こんな人だった、と言う理解や、嫌な出来事の裏にはいろんな事情があったことを後から聞いて納得した、という風な経過を取ります。 ここで、2つがそろって、納得、完全性、十分で了解できた感じが起こります。 逆に客観視が先に来ている場合、 つまり、在る固定観念を押しつけられたとします。例えば昔のアメリカとかで、奴隷は奴隷であり、こき使えばいい、という習慣のなかで先天的に育った場合などです。一例ですが。 でもそののち、奴隷解放運動が起こって、奴隷も一人の人間であり、心を持っていたんだ、と分かることになります。後から感情移入がこの場合伴います。 これも、2つがそろったことによって、納得します。もう十分分かった、突っつく点も疑わしいところもない。という話です。 まとめていうと、問題対象が人間の場合は、 自分と同じだったんだ、そして、同じ人間だけどそれぞれ個性や個別の事情があったんだ、ということ、 つまり、1.同じ人間であり、 2.同時に個性ある違う人間である、ということ この2つがそろうことが、自他同一性、自己同一性などに表れる、心の大事なメカニズムの一つだと思ってます。 上の話はアイデンティティーの僕の勝手な拡大解釈です。 ただ本当の自分を見つける、あるいは、真に信じられる他人を見つけるだけが、アイデンティティーではないのじゃないか? いろんなレベルで、アイデンティティーと呼ばれるような自己と心の作用は起こってるんじゃないか? と、心の仕組みを考えていると、思ったんです。 現在他人の同意を得ていないので、真偽は微妙で、また、raikodonさんの意見なども伺いたいです。
お礼
こんばんわ! 感情移入と客観性との例をあげて頂いてありがとうございました。 どちらかが先でも 最後に納得するというところがわかりません。 たぶんわたしに基礎的な知識がないために 書いてくださった文章を読んでも どこかで大きな勘違いをして受け止めているのかもしれません。 いまでも人間について 同じとか違うとか 必要なことだろうか? と思って・・まだ自分を見つけよう と思ったこともありません。 自分のことは自分で考えればわかることと思っているかもしれません。 いちばんの親友のことでも ある時は批判的な目で見たり 理解できない時があっても、そのままでいいと思っています。 >アイデンティティー獲得、と言うとき、その本質は、納得や満足、満ち足りた、と言うような完全感です。 音楽を聴いていて 好きな音楽のジャンルが似ていて この曲いいね~ と言うときが、友人のあいだでなんども続いたらうれしくて 狭い空間にいると(カラオケルームとか)一体感が生まれますが いまおなじアンデンティティー をもって生きている とか 感じてもいいのかなぁ お礼がまとまっていませんが・・ でもいままでよりも考えるようになりました。 回答にお礼をしたいと思って、そのことで回答を正しくうけとめることが できていたか?(読めているのか?)を考えています。
- ywkc
- ベストアンサー率44% (4/9)
解答を示すのは無理ですが、思うところがあって再び参考意見として書きます。 アイデンティティはすでに書き込まれた方が挙げた例のように、個性、人格、その人らしさ、などによって置き換えられる意味を含んでいるので、そういった置き換えが可能な場合は多くあると思います。 ただしアイデンティティという言葉の意味をとらえるには、そういった個性や人格やその人らしさなどを自分自身で見いだし、確かめ、それらによって「自分自身を同一視する行為」が核心だろうと私は思います。 #6さんが簡潔に書かれているとおり自己同一視することです。 自己同一視する行為、つまり自分が自分であることをあらためて確信する行為があり、その行為によって見出されたものをアイデンティティという、そんなイメージです。 その当然の結果として、アイデンティティには個性や人格やその人らしさが含まれるといった感じです。 もし「その人らしさ」の中に「その人のその人自身の認識」まで含まれていれば、その人らしさとアイデンティティが指すものは一致するでしょう。 しかし「その人らしさ」には「その人のその人自身の認識」がなくてもいいのですが、アイデンティティはその人自身の認識そのものを指しているので、両者は違った概念だと思います。 さて「自分が自分であることをあらためて確信する」ということを上手く説明できるか自信がないのですが…これは「気づく」という言葉で前に書きました。どうやって気づくのか、何に気づくのか、私自身の言葉足らずを(自分のために)あらためて考えてみました。 自分は何者か?という問いに答えることを考えてみます。どのような答えが答えになるのか、の答えはさておき、自分自身に関するありとあらゆるものが答えになり得るとします。(関するの意味もさておきます。) そしてその答えを「当てはめて」みます。すると確信や違和感に気づきませんか。 重要なのはそれを自分で確認する行為です。 アイデンティティがわかるいうことは、自分が自分であることを確かめられるということです。 また他人がその人自身を確かめていることがわかるということです。 もう少し例を。アイデンティティidentityの動詞はアイデンティファイidentifyです。 identifyはそれと確認すること、です。 例えば自転車を盗まれた場合を想定します。 自転車に名前と住所が書かれていれば、それが見つかったとき自分の自転車だと確かめられます。たとえどこにでもある量産品のひとつだとしても、ぺしゃんこに潰れて原形をとどめずに発見されたとしてもです。 「その自転車に名前と住所が書かれていること」によって、自分の自転車だとidentifyされます(=確認されます)。 自分自身をidentifyする場合もそうです。名前と住所は、自分が自分であることを確認する情報です。それに気づけばアイデンティティに含まれることがわかります。ですからIDカードはアイデンティティを示す具体的な例になります。 ただしそれに気づくことが重要です。IDカードは自分を他人にidentifyしてもらうためのものですから、IDカードを持っていてもアイデンティティに結びつかないことはありえます。迷子になった子供が自分の立場を理解できず、IDカード(名札)や服や鞄に書かれた名前などのおかげで他人の助けを得て親と再会できる場合、その子にはまだアイデンティティがないわけです。また上の例の自転車にもアイデンティティはありません。自転車には自転車自身を確認することはできないからです。確認するのは人間です。 繰り返します。 自分が自分自身であることをidentifyする(=確認する)ことができる情報がアイデンティティだと思います。その情報は気づかなければ手に入らないということです。 個性も自分が自分であることを確認する情報です。個性が他人と際立って異なっていればいるほど、自分が自分であることを確認できるので、アイデンティティに含めることができます。ただしそれに自分で気づかなければアイデンティティに結びつきません。 視点を変えて言うと、何かに気づくことによってアイデンティティについて再び考えるはめになるのは不思議なことではなく自然なことです。 そういった例を挙げればきりがないでしょう。 国籍、話せる言葉、生まれた場所、育った土地、誕生日、名前(戸籍上の名前、あだ名、ペンネーム)、筆跡、誰かの[親、子、兄弟、配偶者、親戚、友人、教師、弟子、相談役、上司、部下]であること、身長、体格、顔立ち、髪の毛、手足の大きさ、つめの形、指紋、走る速さ、血液型(性格判断ではなく輸血できる血液)、臓器(拒絶反応の有無)、[食べ物、飲み物、色、絵、香り、音楽、居住空間]の好き嫌い、喜怒哀楽とその表現の仕方、住んでいる家、持っている[土地、車、服、鞄、etc.]、財産、職業、遊び、会話、読書、スポーツ、旅行、観光、鑑賞、冗談、権力、闘争、正義感、地位、義務、権利、自由の確保、過去の思い出、将来の夢、希望、勇気、涙、文才、商才、芸術、知性、感情、理性、感覚、認識、憧れ、軽蔑、共感、美意識、何かを否定すること、肯定すること、考えること、… 以上は私自身に限らずアイデンティティを見出す判断基準のたとえとしてざっとよぎったものですが(重複もありますが)、そういった「自分が自分であることを確かめる判断基準そのもの」に気づくことも当てはまると思います。 「アイデンティティが形成される」というとおそらく、環境が決まり、個性や人格が形成され、そして後にそれに気づく、というイメージでしょうか。 「アイデンティティの喪失」ということも起こるでしょう。それまで自分自身を確かめさせてくれていた非常に大きな何かを失ったときです。例えば母国や母国語が消滅したとき、親しい人が亡くなったとき、本当の誕生日を知ったときなどが考えられます。 「アイデンティティの衝突」もあるはずです。ささいな喧嘩から中東戦争まで含んでいるような気がします。 「アイデンティティの回復」という言い方があってもいいでしょう。自分自身の認識を再構築する感じがします。 「アイデンティティの成熟」…智恵深い老人か、妄想する頑固者を想像します。 あっさりと個性や人格について話すときはアイデンティティなど面倒で仰々しい言葉は使わなくても済むことですし、普段使われない言葉なのはもっともなことだと思います。 長文失礼しました。
お礼
回答をありがとうございました。 わたしにもわかるように書いていただいたと思うのですが 一番大切な部分の「自分自身を同一視する行為」 「つまり自分が自分であることをあらためて確信する行為」 ここがわかりません。そんな場面ってあるだろうか?などと思って たとえば誰かが「ロックだぜぃ」と叫ぶ時 ある一定のイメージはあるのに 日本語に翻訳したひとつの言葉はないですね。 それは叫ぶ人の気持ちしだいで 答えは何でもあり なのですが それと「アイデンティティ」とが、同じでいいのなら楽なのにと思いました。 回答を読ませていただいてわかるのですが それはぜったいに違いますよね。
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お礼
nyanyacchyanさん。 考えを書いてくださってありがとうございます。 >アイデンティティという言葉onlyだと、「キャラ」って感覚で わたしもこのイメージで考えるのがかんたんなのかなぁ と思うようになりました。 ただ わたしの場合 生活の場でこの言葉を使うチャンスはありません。 (製造業と分類される職場です。) まわりの環境も大切かと思いました。 学生だったり、サークルとか勉強の場とか、そんな環境にいたら 使えるかもしれないと思っています。 >この状態は哲学用語で言うとアイデンティティが確立していない また間違っているかもしれないのですが nyanyacchyanさんの悩みから「アイデンティティが確立していないから」 というように言葉を考えられていますが、大きな意味では間違っていない かもしれませんが でももっと違う的確な言葉があるように思いました。 ひさしぶりにアイデンティティという言葉について 考えることができて とても嬉しかったです。 ありがとうございました。