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日本のアイデンティティに外国のつながりはどのように受け止められているのか
- 外国につながりがあっても、日本のアイデンティティも重視してほしい
- 外国のアイデンティティと日本のアイデンティティを両立させるべき
- 外国のアイデンティティは表向きにせず、日本のアイデンティティに向き合うべき
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質問者が選んだベストアンサー
まず、上手い回答ができるかあまり自身が無いということをご理解して欲しいのですが、自分なりの答えをしてみます。 日本においては、基本思想教育はしてはならない事になっています。 にもかかわらず、人権問題や人種差別に関しては中途半端な位置づけで教育現場で行われていたと記憶しています。 中途半端というのは、学歴社会と言われながらも、受験科目に人権問題や人種問題が含まれていないからです。 ですので教育現場も片手間で、時間数だけこなせばそれでやった事になる程度の扱いです。 受験科目にもならない授業を、真面目に受ける生徒数がどれだけいるのか疑問です。 さて、市会議員のツィッターの件ですが、1に関しては分かる様な気もします。 ただそれは、日本国籍であること、日本を愛してくれていて日本に生活基盤があること、納税や労働で社会貢献もしてくれていることなどを満たしていれば、それはどんな人でも日本人だと胸を張って言っていいと個人的には考えるからです。 2と3には疑問を感じます。特に3は大いに疑問です。それは個人の自由で、とやかく言われる問題ではありません。 4は多少疑問に感じますが、ただ日本で生活していく上では、あたはまる方たちには同化していった方が生活しやすいと思われます。全体としては賛成ではありませんが。 どちらにしろこの議員さんは少々偏った考えをお持ちの方のように感じます。 人種問題、人権問題に関してはあまり深く考えているようには思えません。 そもそもツィッターなんかでこういった重要な内容のことを軽々に発信する議員にろくな人はいないというのが個人的な印象です。 それと回答に迷うところですが、質問者さんの「同化の強制」というのがどういうものかちょっと具体的に分からないのですが、それ自体は日本人でも感じているもので、多くの生徒は扱いやすいような方向に行くようにしていきます。 そこから外れてしまった生徒を他の生徒と同じ方向に向かせようとするのですが、それによって最も犠牲になっているのは同化の強制を受けている生徒ではなく、多くの扱いやすい方向に向かっていた生徒の方なんです。 漫画やドラマになった「鈴木先生」という作品中に、教育はそういった扱いやすい生徒の磨耗の上に成り立っているという下りがありました。 要は、扱いにくい生徒を指導している間、扱いやすい生徒の指導がないがしろになるということです。実際は問題を抱えているかもしれないのに。 同化の強制とは、そういった全ての生徒を満遍なく面倒を看るための仕組みなのではないでしょうか。 あまり的確な回答になっていませんが、私はそのように思います。
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- WhatisLOVE
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回答者の1です。 何度も回答して申し訳ありません。 確かに外国人やハーフの人間にとっては無意味なプレッシャーを受けるときもあると思います。 ただ、日本のこのような教育が、過去からずっと行われていたわけでして、それによって現在先進国になったことを考えると、あながち間違ったものではなかったのではないでしょうか。 それはそうと、上手い回答ができないと前の回答でしましたのは、質問者さんが何を聞きたいのかな?と思っていたからです。 市議が偏った考えを発信して、それに関してどう思うか、でしょうか。 日本の教育制度の問題があるということでしょうか。 それとも差別問題でしょうか。 この辺を読み解くことができず、回答に自信が持てませんでした。申し訳ありません。 どちらにしろ、日本はまだまだ保守的な国です。 質問者さんは日本での身の置き方に難しさを感じているのでしょうか。 だとしたら悲しいことです。多分まだまだそういった偏見は続いてしまう気がします。白人系のハーフの方以外は皆さん苦労されているようです。
お礼
>確かに外国人やハーフの人間にとっては無意味なプレッシャーを受けるときもあると思います。 ただ、日本のこのような教育が、過去からずっと行われていたわけでして、それによって現在先進国になったことを考えると、あながち間違ったものではなかったのではないでしょうか。 日本人の、いわゆる「マジョリティの日本人」の視点においては、そういった見方があっても、適切であると思います。事実に基づいた見解であるとも、いえると思います。 しかしながら、もしも、マイノリティの視点において、このことを論じた場合、どういった「見解」がうまれるのでしょうか? ただ単に、大多数の人々の価値観なり、歴史や社会にたいする認識のあり方だけで、このことを語ってよいのでしょうか? マジョリティの、いわゆる、大多数の日本人ということであれば、こういったことを論じることは、理解のできることではありますが、マイノリティにたいする「配慮」を欠いたとき、それは、深刻な問題になると思います。 >市議が偏った考えを発信して、それに関してどう思うか、でしょうか。 そういった視点でコメントをしてくださってもかまいません。わたし自身、台湾系日本人という立場で、あの市議の発言は、非常に許せないものであると同時に、日本社会における事実を語ったものではないという見解をもっています。 >日本の教育制度の問題があるということでしょうか。 >それとも差別問題でしょうか。 いわゆる管理教育的とされる<教育>を実践しているかぎり、日本の教育事情は改善されないと思います。ようやく、「外国につながる子ども」という概念が広まりつつありますが、こういった概念がでてくると、こんどはマイノリティにたいする「特権」ではないかという主張がうまれることに、わたしは強い危機感をいだいています。「外国につながる子ども」という概念は、マイノリティにたいする「特権」ではありませんし、日本社会において、マイノリティにたいする「特権」というものは、存在しません。社会福祉制度という文脈において、マイノリティにたいする<特権>が存在することを主張する日本人は少なくありませんが、そういったものが、そういった制度が、マイノリティにたいする<特権>であると早合点することはできません。 >どちらにしろ、日本はまだまだ保守的な国です。質問者さんは日本での身の置き方に難しさを感じているのでしょうか。だとしたら悲しいことです。多分まだまだそういった偏見は続いてしまう気がします。白人系のハーフの方以外は皆さん苦労されているようです。 わたし自身、台湾系日本人という立場で、皆さんに発信したいことは、どういった「生き方」を、日本社会のなかで選択しているか、ということです。いかにして、日本人に受けいれられるために、どういった「努力」をしているのか。どうすれば、日本人と一緒に勉強ができて、仕事ができるようになるのか、どうすれば、日本人と恋愛できるか、いろいろなところで「ハードル」がまちかまえています。こういった、社会的な文脈においてつくられた「ハードル」を、単なる個人の問題であると「主張」する日本人は、少なくありません。できれば、想像力を最大限に活用して、もしも、あなたがマイノリティであったら、どういった「生き方」を選択し、実践しますか、と、ひとりひとりの日本人、大多数の日本人に問いたいのです。 そして、こういったことは、できれば、わたしの世代で「終わり」にしてほしいのです。そういったことを、「殺す」ために、わたしは、日本人の将来のために、生きているのだと思うことがあります。だから、わたしは、死ぬことはできない。どんなに辛いことがあっても、生きるという選択肢だけが与えられている。死ねない。死んではならない。これからの社会を生きる、ひとりでも多くの「外国につながる子ども」たちのためにも、わたし自身が、なにかしらの「貢献」をしないと、子供たちがかわいそうな目にあう、ということを肝に銘じながら、一日、一日を、生きています。 生きるということは、闘うことなのです。 大多数の日本人にとっては、少しニュアンスが異なると思います。
- p-chan1gou
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以前の質問でお返事したものですが、少し勘違い致しておりました、お詫び致します。 今回の質問も以前の質問に類似していますが、ワタシが思うに「島国、単一民族」、過去の歴史で多民族国になった事のな い日本では、そういう状態を許容するのにはもう少し時間がかかると思います。日本人が慣れていないのです。 しかしこれから少しずつ変わっていくと思いますよ。 日本にはハーフの方も、外国永住者もたくさん住んでおられます。どこの国も同じです。 今の世界この流れは止められません。 教育ですが、敗戦国日本の「自虐史観」に合わせて、「日教組」と言う曲者がかんでおりますので 一筋縄ではいきません、「なんでもかんでも日本が悪い!!」、「戦争は日本が引き起こした」そういう教育を子供達に 教えています。戦争放棄の面からこの事はあるいみよい事かも知れませんが、反面愛国心がそがれます このさじ加減は難しいです。 アイデンティティは深く考えなくてもいいのでは?自分のありのままで生活されればいいのではないのでしょうか。 「ただ外国はこうだ」、「日本は外国より劣っている」などとはあまり言わない方がいいです。 日本の国柄は、日本人が決めることですから
補足
コメントありがとうございます。 >今回の質問も以前の質問に類似していますが、ワタシが思うに「島国、単一民族」、過去の歴史で多民族国になった事のない日本では、そういう状態を許容するのにはもう少し時間がかかると思います。日本人が慣れていないのです。 → わたしの両親が結婚したのは1980年代のことでした。わたしの台湾の親は、わたしの日本の親と結婚したことにより、台湾の市民権を失い、日本の市民権を得ました。日本人の親が、結婚問題などを背景に、日本と台湾との間の「力関係」のあった<結婚>でした。こういった結婚事情は、若い中国人女性と結婚をした中高年の日本人男性との関係に似ているものと思います。「外国につながる子ども」は、1980年代にはすでに、日本社会に存在していました。彼ら、彼女らの多くが、社会人となって、日本社会のなかで「活躍」をしています。そういった社会事情がありながら、「日本人が慣れていないのです。」というコメントをされたことについては、日本人の「意識」の問題について、日本人が真剣に向きあわねばならない「証左」であると思います。「外国につながる」人々のなかには、すでにアラサー、アラフォーの人々は少なくありません。そういった社会事情がありながら、いまだに「日本人が慣れていない」ということを「言い訳」とすることは、当事者にたいする「不理解」、「侮辱」にあたるものではないでしょうか。 >しかしこれから少しずつ変わっていくと思いますよ。 2020年の東京五輪がひとつの「契機」になるかもしれません。 それまでに、日本人が排外主義の問題を「克服」できるかどうかに、かかっているものと思います。日本人の「ココロの問題」であると同時に、日本社会の問題でもあります。わたしは、外国につながる立場として、日本人には「寛容」の重要性をつねに語っています。日本人がそれを謙虚に受けとめるのか、あるいは、そういった意見を「ハーフの意見など信用できない!」などといって一蹴するのかは、いまの日本人次第です。 >敗戦国日本の「自虐史観」に合わせて、「日教組」と言う曲者がかんでおりますので そういった事情は、あまり重大なことではないと思います。あなたが指摘した「自虐」とは、日本人の「良心」によるものかもしれませんし、日本人の「反省心」によるものでもあると思います。日本人の「良心」のあらわれを、それを日本人みずからが「否定」することは、極めて遺憾なことだと思います。わたし自身は、台湾系日本人です。台湾においても、霧社事件など、台湾の人々を日本人が弾圧したという「事件」がありました。台湾の人々は、日本人にたいしては、基本的には好意的な態度をとってはいますが、その「まなざし」は、極めて冷静なものです。日本人が、まるでいい気になったように「日台友好」をさけぶような程度のものではありません。 >戦争放棄の面からこの事はあるいみよい事かも知れませんが、反面愛国心がそがれます 台湾系日本人という立場で、わたしはそのような受けとめかたはしませんでした。むしろ、「謙虚な姿」でいることのほうが、外交的にも、政治的にも「有利」であると思います。さらには、「したたかさ」も含まれているものと、わたしは受けとめています。 >アイデンティティは深く考えなくてもいいのでは? それは、「自分自身に向きあうな!」ということでしょうか。そういった発言を、外国につながりをもつ立場の人々に向かってやることは、極めて不適切なことではないでしょうか。外国につながりをもつ立場として、アイデンティティに向きあうことは、極めて重要なことです。あなたは、「自分のありのままで生活されればいいのではないのでしょうか」ということも指摘していますが、あなたの主張したいことは、どちらなのでしょうか。アイデンティティに向きあうな、あるいは、ありのままで活きていてもよい、どちらなのでしょうか。 >「ただ外国はこうだ」、「日本は外国より劣っている」などとはあまり言わない方がいいです。 外国につながりをもつ日本人という立場の人々の「意見」を制限、封じたいという「意図」があるのではと思いました。外国につながりをもつ立場だからといって、日本のこと、日本人のこと、日本社会のことを自由に語ってはならない、というわけではないと思います。むしろ、そういった人々の意見を「受けいれる」ことこそ、日本人がやるべきことではないでしょうか。 >日本の国柄は、日本人が決めることですから では、ここであなたの指摘された「日本人(原文ママ)」とは、どういった人々が含まれるのでしょうか? わたしも、日本人です。台湾系ではありますが。では、あなたのご理解の範囲において、わたしは、あなたの指摘した「日本人(原文ママ)」のひとりになるのでしょうか。あるいは、あなたの指摘した「日本人(原文ママ)」には、外国につながりをもつ人々は含まれていないのでしょうか。わたしも、日本人です。そして、わたしも日本人ですから、日本の国柄を「決める」ことの「権利」があると、受けとめています。
- ssssan
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フセルとか伏せない何て日本人の発想には有りませんからーそんな事考えるのは日本てぜ生活してる特亜在日.欧米在日連中だけですねー日本をケナシながら日本に居付いてるゴキブリ連中ですーさっさと差―祖国に帰って幸福に 暮らせば良いのに嫌で嫌で堪らない日本に生活してて日本にケチし続ける連中は迷惑この上無しですねー犯罪もヤラカスしで。 確かに日本人でも転勤族の子供は何処が自身の故郷か分からない子供達が居る事は確かですがー外国人.ハーフ連中には言われたく有りませんねー、日本国内での根無し草の子共ですのでーー両親の都合でそれも親のご都合主義で、祖父母とか居たら15年位お世話して貰って親が休みに子共の所に通えば良い分けですしで。
補足
>日本をケナシながら日本に居付いてるゴキブリ連中です → どのような人々なのか、具体的に提示してください。場合によっては、あなたの視点においては、わたし自身のような、台湾系日本人も、あなたの考えるところの「反日的日本人」になりかねないからです。 >日本に生活してて日本にケチし続ける連中 → 誰のことですか? >外国人.ハーフ連中には言われたく有りません → あなたは、このようなコメントのなかで、差別用語を平気で使っていることに気がついていますか?
お礼
一般的な、教育にかんする考え方を軸にする、あるいは中心的な論点にするのであれば、あなたが教育制度について指摘された点は、理解のできるものです。 わたしが指摘した「同化の強制」とは、わたしの外国につながるアイデンティティが「否定」され、一方的なかたちで「日本人」になることを強要された、ということになります。わたし自身は台湾系日本人で、日本教育時代においては、あまり台湾のことに触れたり、そのことについて語ることは、許されることではありませんでした。ひとりでも「異なる」人がいることによって、学級全体、あるいは、学校全体に悪い影響をもたらすという、管理教育的な考え方が、当たり前のものとされていました。 いま、わたし自身が後悔していることは、このような日本教育を受けたことです。これによって、日本事情を知ることになったのは、良いアウトカムではありますが、やはり、ホームスクーリングなどを親が選択してくれれば、と思うことはあります。それでも、アメリカの学校に通うことが出来たことについては、とても素晴らしいことであったと受けとめています。日本教育と、アメリカでの高等教育、それらを比較したとき、明らかに日本教育のほうが「劣って」いるからです。 日本人は、教育の点においては、もっと多様性を認めるべきです。それは、少しずつではありますが、実践できているようなので、今後に期待する、ということにしています。