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自動翻訳が成功しないことから考えられる人間の言語能力

ついに満足な自動翻訳はできないと思われます。その理由は、機械にはたとえ訳す対象がどんなに無味乾燥な文章であっても、その中の微細な感情のあやからくる表現を理解できないという面が大きいです。文学や手記などは言わずもがなです。人間の言語能力はこの膨大に豊かな心を表現してやまない、そして対話者どうし、お互い表現し理解しあうものですが、それはどれほどに、機械翻訳の世界と経だっているのでしょうか?

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回答No.4

>結局「思考すること、創造性があること」が決定的な差となっているのでしょうね。 そうですね。 テキストデータを如何にこねくり回しても、その限界の外には 出られないということです。 人間は、生まれ、食べ、人と出会い、教育を受け、恋に落ち、働き、というような、テキストデータとは比べものにならない情報量の経験に晒されて、上記の限界の外にいるんですね。 現段階で、これに匹敵する機構を機械に植え付けるのは無理ですね。

garcon2000
質問者

お礼

まさに、御意ですよ。人間の生き様経験というものがそれを作っているのでしょう。

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その他の回答 (3)

回答No.3

全く違う次元だと思います。 最近よく言われるクオリアのありなしは決定的です。 帯域が何万倍もちがうでしょうね。

garcon2000
質問者

お礼

関係ないかもしれませんが、ヤフーオークションというのをやっていまして、その落札通知とかいろいろとあるんですけど、すべて「おめでとうございます!」一点張りなんですよ。出品してろくな値段で売れなくて「何がめでたいだ」という感想など一考だにしない。なぜなら機械だから。機械というのは、まったく馬鹿の権化ですよね。人間精神の片鱗さえ処理できません。「こんな値段にしかならなかったけど、まぁしょうがないね。懲りずにこれからもよろしくね」とかいう、情、精神活動、そう鋳物をどうしても取り入れられません。どうプログラムしたって無理でしょ。状況証拠だけから「精神」を類推するだけで、決して精神そのものと対話しません。これが機械ですよ。で、翻訳というのは大いにこの「精神性」と絡んでくるわけですよね。 クオリアってなんでしょう。創造性ですかね。結局「思考すること、創造性があること」が決定的な差となっているのでしょうね。

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noname#81935
noname#81935
回答No.2

機械はKY。                                                                                        .

garcon2000
質問者

お礼

関係ないかもしれませんが、ヤフーオークションというのをやっていまして、その落札通知とかいろいろとあるんですけど、すべて「おめでとうございます!」一点張りなんですよ。出品してろくな値段で売れなくて「何がめでたいだ」という感想など一考だにしない。なぜなら機械だから。機械というのは、まったく馬鹿の権化ですよね。人間精神の片鱗さえ処理できません。「こんな値段にしかならなかったけど、まぁしょうがないね。懲りずにこれからもよろしくね」とかいう、情、精神活動、そう鋳物をどうしても取り入れられません。どうプログラムしたって無理でしょ。状況証拠だけから「精神」を類推するだけで、決して精神そのものと対話しません。これが機械ですよ。で、翻訳というのは大いにこの「精神性」と絡んでくるわけですよね。

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noname#101110
noname#101110
回答No.1

自動翻訳がうまくいかない分野は日本語と英語などの構造が全く異なっている言語間でいちじるしいようですね。確かに、そんな場合は機械的に逐語訳するだけでは駄目で、一旦片方の言語の表現しているものをしっかり理解したうえで、その意味を更に別の言語を駆使して移し変える、殆ど新しい作品を創造するような「なまの人間の持つ2種の言語能力そのもの」が必要になってくるというわけです。つまりこの考え方ではもともと機械には無理な能力を要求することになり、質問者様の仰る「ついに満足な自動翻訳は出来ないだろう」という結論になるのでしょう。 私の考えでは、本来言葉そのものが不完全で矛盾の多い規則と人間のこだわりに満ちた慣習的な体系であり、現在の頑ななまでに論理的で限定的なメモリしかないソフトと機械では対応しきらないということがうまくいかない原因として大きいのだと思います。 でも、それは小説や文芸的な作品に特に言えることであり、あまり文章的にこだわりなく理解するだけでよいというような事務的な文章、また日常の話し言葉なら、今のやり方の延長上で実用的なものがきっと出来るはずだと思うのですがどんなものでしょう。

garcon2000
質問者

お礼

関係ないかもしれませんが、ヤフーオークションというのをやっていまして、その落札通知とかいろいろとあるんですけど、すべて「おめでとうございます!」一点張りなんですよ。出品してろくな値段で売れなくて「何がめでたいだ」という感想など一考だにしない。なぜなら機械だから。機械というのは、まったく馬鹿の権化ですよね。人間精神の片鱗さえ処理できません。「こんな値段にしかならなかったけど、まぁしょうがないね。懲りずにこれからもよろしくね」とかいう、情、精神活動、そう鋳物をどうしても取り入れられません。どうプログラムしたって無理でしょ。状況証拠だけから「精神」を類推するだけで、決して精神そのものと対話しません。これが機械ですよ。で、翻訳というのは大いにこの「精神性」と絡んでくるわけですよね。 あと、おっしゃるように、日本語対外国語の構造を処理できない。こなせない。この技術的限界も非常に底が浅いですね。まさに、人間の持つ2種の言語能力の決定的不足です。 おっしゃるように、文芸的な文章はまったく無理ですよね。文章的にこだわりなくというところで、まったくのマニュアル的文章なら何とかでしょうか?でも、これでも人間が推敲しないとだめですよね。

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