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【緊急】 過半数超

「定数が 47 名ですから、24 人が賛成すると過半数越えとなり...」はおかしいのではないでしょうか; 正しくは「定数が 47 名ですから、24 人が賛成すると過半数となり...」などだと思うのですが。 また、上の表現では*ない*ですが、「47 の過半数は 24」という表現もおかしいのではないでしょうか; 24 は 47 の過半数だとは思いますが。47 の半数を超えるあらゆる数をまとめて 47 の過半数と表現するのだと思います。

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回答No.2

>私はいまだにいわゆる「ら抜き表現」が気になって仕方ありません。 NHKの 「ことばおじさんのナットク日本語塾」 で 『ら』抜き 言葉について取り上げています。 以下、その要約です。 参考にしてください。 文化庁の調査で、「朝5時に来られますか? 来れますか?」 という表現に対して、「来れますか?」 の 『ら』抜き を使う人が、33.8%、どちらも使うという人が、10.6%、「来られますか」 が54.2%、でした。 どうして 『ら』 を抜いてしまうのか? いろいろな考え方の1つに 「方言」 ではないかという説があります。 確かに 『ら』抜き を使う人の分布は地域によって偏りがあります。 20年前60歳以上の人が 『ら』抜き言葉 を使うかどうか調査したら、中国、四国、中部地方に多いようです。 文献も残っています。 明治時代、今の静岡県西部、遠州の言葉について書かれた本には、「遠江(とおとおみ)にては ラレルをつめて レルといふ」 とあります。 東京でも昭和初期から使われているようです。 『ら』抜きは決して若者だけの特徴ではなかったのです。 『ら』抜きにはもっと積極的な意味があるのではないか? という説もあります。 動詞に 「られる」 をつけたとき、意味は複数生まれます。 例えば、「このケーキ食べられますか?」  これだけでは、「お食べになりますか?」 という尊敬の意味で使われたのか、「食べることが出来るか?} という可能の意味で使われたのか、判断できません。 このとき 『ら』抜き を使うと、表すのは可能の意味にだけ限定できるという訳です。 しかし、改まった場所では、やはり使ってほしくないという意見もあります。 『ら』抜き には抵抗感がある人がいるということを心に留めておいてください。 と締めくくっています。

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質問者

補足

ありがとうございます。 おっしゃるとおり、実際現在でも、ら抜きする人の中には自ら「尊敬や自発と区別するため」と言う人がいます。しかし、文法試験でもなし、尊敬や自発なのか可能なのかは文脈の中でわかるので、その考えに与することはできません。

回答No.1

>正しくは「定数が 47 名ですから、24 人が賛成すると過半数となり...」などだと思うのですが。 >47 の半数を超えるあらゆる数をまとめて 47 の過半数と表現するのだと思います。 双方とも、あなたの考えが正しいと思います。 まったく同感です。 TVなんかでもよく問題にされていますが、間違った表現を使う人が結構多いということでしょうか? そのうちに、間違ったと言っていた表現が、正しいことになるかも知れませんね?

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質問者

補足

一般紙が「過半数超え」と平気で見出しを打ってたり、明らかに橋脚のことを「橋げた」と書いていたり、気になることがとても多いです。 しかしまたご指摘の通り、現在すでに通用していて誤用とされていない言葉の中には過去に明らかに誤用であったものもあるため、仕方がないのでしょうか。 私はいまだにいわゆる「ら抜き表現」が気になって仕方ありません。人と話していても、ら抜きされるとそこでふと思考が止まってしまいます。「食べられる」、「着られる」などと言う人でも、「ここまでやってこれた」、「蹴られる」(可能の意で) などを使うなど、不完全な人が多く、会話の最中でもとても気になります。

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