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愛は地球を救えるか
某局の24時間テレビのタイトルどおり「愛は地球を救う」のでしょうか? 「地球が危ない」などと唱える人もいます。もしそれが本当なら一刻を争います。地球を救えるほどの愛はあるのでしょうか?愛はどこまで通じるのでしょうか? 皆様のお知恵を拝借します。よろしくお願いします。
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No.32です。 ★ とりあえずあなたから見て好ましい現実世界への愛と慈悲、あるいは好ましくないものを具体的な事例を挙げて説明していただけませんか?抽象思考だけでは追いつかないのでよろしくお願いします。 ☆ ということですが No.32の回答は 具体的ですよ。 ○ 好きも嫌いも 愛だから そのかかわり(関係)を 実際のまじわり(交通)において 絶やさないこと。 ○ いわゆる絶交をするときには そのように 言って 実行する。その理由をも説明しておけば なおよい。 ○ 《関係の絶対性》という言い方で 表現したひとも いました。 ○ むろん 誰とも どこでも 八方美人のように 交通せよという意味ではありません。関係が 断たれていなければ いいわけです。言いかえると 無関心あるいは無視でなければ よいわけです。 ○ 一般に この関係にもとづく交通網を 井戸端会議と呼んでいます。自由な市民による自由な連帯とも 言います。 ○ 関係を保つとは 交通と言いましたが 具体的な行動としては 対話です。話し合いです。 ○ 半永久的に 対話をつづけるという意味です。降りるときには 降りますと言って 一たん 休めばよいわけです。鎖国ないし無関心が 死であり いけないと思います。けんかは 関係も交通も 保つものであり 広く 愛の行為です。 ○ 哲学は 恥ぢさらしという言い方を わたしは しています。自分の欠点が どんどん 出て来ます。パウロは 日々 死んでいますとか 言っていましたね。日々 死んでいるということは 日々 生きているということになります。 とにもかくにも 対話・話し合い・井戸端会議つまりは 民主主義だと思います。その共同自治の過程が 愛だと考えます。また 九十九匹よりも 一匹のほうを 大事にして 話し合いを推し進めていきたいと考えます。そんなところでしょうか。これが 実際だと思います。
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それが愛と慈悲の違いへの糸口
>こうして皆さんとやりとりしているものの、はっきりいえることはただひとつ。私が変われば世界は変わるのです。 あはは 人が折れる前に貴方が折れることができてれば その言葉にも少しは重みがあるんだけどね。 一神教に染まっている人というのはそれがほぼできないんですよ。 何故だかわからないでしょう? でも傍目から見てると大方の日本人はその意味がわかると思う。
お礼
はい、わかりました。
No.20です。ご返事ありがとうございます。 ケルトの森にはTVが無くて某局の番組は見られないのですが、よく考えればそういう番組があるという事こそが地球を救っているのではないでしょうか。 >ではそのヘビのような心を持つに至った一個の人間は、地球を救うために何を為すべきなのでしょうか? できるだけたくさんの人と話をする。僕ならきっと、こうします。この地上に暮らすすべての人と話せたら、きっと星の向うに暮らす人とも話せるような気がします。愛のかたち、それは僕にはよくわかりませんが、こうして返信を書いているとき、僕は質問者様の愛のかたちを感じます。もしもこの返信が届くなら、愛はあるのではないでしょうか。そして送信しているこちらと、ずいぶん離れた(実際、驚くような距離があると思うんですが)ところにも、愛は通じたのではないでしょうか。 TVの無いケルトの森にいても、懐かしい東京の空が思い浮かびます。
お礼
現在ケルトの森にいらっしゃるのですね。私も日本からあなたの幸せを祈ります。ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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pokoperopoさん こんにちは。 ○ 《人間は 神のようになれるが 神にはなれない》(E.フロム) ☆ これを 《愛》にも当てはめればよいのではないでしょうか。言いかえると ○ 人間は 神ではないが あたかも神のごとく ひとを愛することができるときがある。 ☆ そして 一般には ○ 愛は 人間の存在どうしの関係を言い そこにおける意志行為のことである。 ○ そこでは――つまりは 関係としての方向性が決まれば そこには―― 好きと嫌い 愛情と憎悪 共同自治とそれへの敵対などなどの正・負の向きも 決まって来る。 ○ これらすべてが 愛である。その経営行為とその過程が 動態として 愛である。 ○ わづかに この《かかわり(関係)》を すり抜けてのように 無関心という立ち場をとる人びとも いる。これは 死を意味するでしょう。 ○ わたしたちは この氷を解凍していかねばならない。 ☆ なお 《慈悲》が きわめて曖昧な概念であることを 言い添えておきたいと思います。むろん 人間のふつうの思いやりとしてなら そういう慈悲は あり得ますし よく見られます。ただし 神の愛にあたかも対応するかのような概念としては ないわけでもなく あると言いきるわけでもなく きわめてあいまいなままであるようです。 次の質問趣旨をごらんください。→《Q:慈悲は 経験現実か》=http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4531636.html
お礼
示していただいた過去のご質問を悪戦苦闘しながら読んでいるところです。理解できるよう努力します。ありがとうございました。
補足
あなたに質問したいことは山ほどあるのに、浅学な私は何から質問すればよいのか迷ってしまいました。とりあえずあなたから見て好ましい現実世界への愛と慈悲、あるいは好ましくないものを具体的な事例を挙げて説明していただけませんか?抽象思考だけでは追いつかないのでよろしくお願いします。
- kigurumi
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No。30です。 訂正 >1億の経費の中にAさんの寄付10万円が含まれているとする ↓ 経費をさっぴいた純利益100万の中にAさんの寄付10万が含まれていたとする ですね。 時計じかけのオレンジって映画がある。 殺人をした少年は本来なら死刑だが、ある議員はこの人にもう一度チャンスを と人々に愛を訴えた。 矯正して、無害の人にしてみせるってわけです。 人々は、議員の提案にこの殺人者に慈悲を与えることで、自分がなんかすごく慈悲深い人であるかのような錯覚を覚えた。 そういうどうしようもない人にまで愛を与える寛大な心を提唱した議員を人々は応援。 最後の方で、人々に囲まれ満面の笑みの選挙に当選した議員が映し出された。 殺人鬼は客寄席パンダ。 議員が当選するために使われただけ。 愛でもなんでもない。 24時間テレビでも、金儲けに使われる客寄席パンダが出てくる。 命をかけてパンダは芸をする。 以前 どっかの店で放映されているのを見たが、海に潜って戻ってくるというショーをパンダはやっていた。 あと少しというところで、失神。海中で動かなくなった。 すると報道していたアナウンサーはその人をムズとつかみ 海面にひきあげ「成功しました!」と言った。 「大丈夫ですか? 救急車を!」と叫ばす、「成功しました」と叫んだ。 このビジネス 金儲けに使われたあの哀れなパンダは、命は取り留めたのでしょうか。 非情ですよね。 そこまでして金が欲しいか? そこまでして金儲けのショーを成功させたいか? 偽善 偽善 偽善 偽善 偽善。 パンダが死んだらこのパンダは人間ですから、24時間テレビは人殺しをしたことになる。 そこまでしないと、客は財布の紐を緩めないとみる業界人。 だからいつもギリギリのショーを放映する。 ビジネスであって愛じゃあない。 そのウイルスが映し出す幻の偽の世界に涙する平和ボケした日本人。 不毛ですね。
お礼
殺人鬼も泳者も客寄せパンダには違いありませんが、彼らもまた生存のために人々の良心を利用しているのですよ。人はまたそのドラマをたのしむのです。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン!」ありがとうございました。
補足
私もその演出には失笑を禁じ得ず、マラソンに価値があるかは疑問に思います。しかしその茶番劇を通して大金が動くこともまた事実であります。どうしてもキャンペーンをする意義を認めないわけにはいきませんか?
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
消費すればするほど愛が増すというのなら、人間は救うが地球は滅ぶ。 例えばAさんは株を売って10万儲けたとする。 そのままだと銀行に入っているわけだが、テレビを見ていたく感動して、預金を下ろして寄付をしたとする。 ボランティア活動は、かかった経費をさっぴいた額を寄付する。 例えばショーを行ったときにかかった費用が1億だとする。 そのショーの開催で、1億100万の募金があった場合、100万寄付すればいいんですね。 全国から1億集まったので、1億というお金が各家庭から動いたわけです。 ショーで使ったグッズなどを購入した先に支払われ、業者は潤う。 その業者は今回の仕事で儲かったので、レストランで豪華な食事をする。 レストランはそのお陰でいつもよりもうかる。 と、全国から集まったお金が一度どっかに集まり、また全国に流れるわけです。 1億の経費の中にAさんの寄付10万円が含まれているとする。 Aさんの10万がB団体に寄付。 団体はそれで備品を買ったりし、備品をかってもらった業者は少しいつもより儲けたので、何かをよその店から買う。 みんながもらったお金を貯金してしまったら、血液であるお金が流れない。 脳梗塞起こすわけですので、手の入ったお金は使う。 銀行やタンスに貯めちゃダメ。 じゃんじゃん 食って 使って浪費すればするほど、血液の循環はよくなるわけです。 使いまくって貯めない。 この使いまくり浪費しまくるほど、世の中の景気はよくなり、募金も増える。 従い、愛とは浪費のこと。 しかし、使っては捨て、新しいものを買い、使っては捨て。。。というこの愛は、地球環境を破壊する。 そしてやがて人間に戻ってくる。 現に産業が盛んになり、世の中は便利グッズであふれたが、産業が盛んになったことで、工場から出る廃棄物が地球環境を汚しており、Y染色体はシンプルなので、モロダメージを受けている。 1万5千年後には滅亡するY染色体。 つまり、1万5千年後には、人間のオスは絶滅する計算になる。 愛はY染色体を滅ぼす。 そして、Y染色体が絶滅すれば工業は停滞し、自然が復活する。 ちゃんとガイヤはしっぺ返しをしているんですね。 http://sapporo.cool.ne.jp/sakk/koram/adamu.htm#26 地球の破滅
お礼
子犬のごとき私にはご主人様の食卓からこぼれ落ちるパンを口にするだけで十分です。そのパンが汚染されているかは知る由もありません。ありがとうございました。
- magga
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<<後者の愛を用いてどう地球を救えばよいのでしょうか?仏教においては救済は何を意味しますか?>> 「地球を救う」の意味が解りかねますがw まず、我々は生命のネットワークの中でともに暮らしているのですから、理性的に間違った見解にとらわれず、感情的になって迷惑をかけないことが必要ですよね。 前者の執着を伴う愛は、理想の自分・他人・世界像を自分勝手に作り出し、その理想と現実の軋轢で自分や他人に世界に、「私のものであるべき。思うとうりになるべき。」と貪りの感情を出したり、「あってはならない。」と怒りの感情に飲み込まれたり、「…」混乱を望み判断能力を下げてしまうか。。。その結果、自分にも他人にも迷惑苦しみ悩み多く生む選択をしてしまうと思います。 後者の慈悲喜捨は、現実との軋轢が生まれないので、認識を捏造しにくく、理性的な判断をしやすいと思います。 そのような人は「必要」を知って貪らないでしょう。現実的に自分と他人に役に立つように、悩み苦しみを無くすように「言葉・行為・思考」を働かせるように工夫するでしょう。 その結果得た収入から、必要を満たし、あまったものを何かあったときの貯蓄・周りの生命・必要が満たされない生命・多くの生命の役に立つ形で…と振り分け使うでしょう。 仕事・ボランティア・人間関係でも的中する生き方が出来るようになって行くでしょう。自分で得た結果を他者に教えることも出来るでしょう。その教えられた方々も同じ成功を収めるかもしれません。 …と、まぁ、当たり前のことを当たり前にやったらどうだろう。というのが仏教(僕の学んでいるのはパーリ語の仏典です)だと思いますw このような道を歩むのは理性的な視点を持つ人なら、生命・人間としての義務ともいえるような当たり前のことと言うことも出来るのでは。と思います。 <<救済>>ですか… 出来る範囲のことを明るい心でやる。救済というか義務ですかねw 救済は自己を調御して自他の役に立つようにする個人の努力でしょうかね。あとその道を歩むことを邪魔しないで支援すること。 まったく現実的なものだと思います。 何か参考になれば幸いです。 幸福であれノシ
お礼
地球を救うと大上段に構えると気持ちが萎えてしまいます。人として当たり前のことを為せば、少しずつでもよい方向に向かうのでしょう。ありがとうございました。
カトリックとプロテスタント 目糞が鼻糞を批判してる。 そんな細かいところに目を奪われてないで 広い視野で ちゃんと人の話を自分の腑に落としてみてはどうだろう。 とてもいいことを言ってくれていても肝心なところは見落としてばかり。 私の話はつい強烈な表現を使ってしまって人を傷つけてしまうところがあるから自己満足と決め込んで聞き流してください。 そして 貴方が変われれば世界が変わる。 ということですわ。
お礼
そのとおりです。こうして皆さんとやりとりしているものの、はっきりいえることはただひとつ。私が変われば世界は変わるのです。ありがとうございました。
- shikaruni
- ベストアンサー率20% (19/95)
ところで今、うつ病患者が増えているのは、本当の愛を知るための試練だと感じています。 幸い?、私もその一人です。 そして、愛の本質を感じ取れる機会を、たくさんいただいています。 少し良くなったときは、愛を表現せずにはいられない衝動にかられます。特に同じ境遇にたっている人。そこから、色んな形で発展していくことと思います。 もうしばらくしたら、愛を実践する人々が、もっともっと増えると考えています。 (身勝手と感じるかもしれませんが、身勝手をうまく表現できるようになるために人間をやってるようなものです) ですので、愛が増えるということで将来を楽観視しています。 長いスパンで歴史を捉えても、殺し合いの正当性は減りつつあり、裕福にだってなっています。長いスパンでは、良い方向にしか進んで行きません。 いつでも、後戻りしてしまうことはありますが、全体としては、この先もきっと大丈夫だと信じ、良いと思うことをしていくだけです。 知恵がつくと、時折、使い方を間違って、暗黒面に堕ちて、自分や周りや地球を汚しちゃいますが、それに気づく機会を与えてくださるから、いつだって成長しかありません。 愛が地球を救うなら、どんな愛(心を救う人や、動植物、自然を救う人)にしろ、いつも誰かは各分野で最善をつくしており、今後は愛を理解する人が増えて、もっと加速度がついていくと思います。
お礼
私もあなたと変わりはありません。あらゆる機会に何らかの可能性を見いだしたいものです。ありがとうございました。
- shikaruni
- ベストアンサー率20% (19/95)
No.7,9,11です。 携帯からなので引用がうまくできませんが、ご容赦ください。 >>>どこまで祈れば地球は救われますか? >>それは全くわかりません。どこまで祈るかに意味を見いだしません。今に生きて、最善を尽くすだけです。 >逃げではありませんか? 私も、どこまで祈れば救われるのかを考えないことに、逃げを感じましたが、 意味を見いださないことを結論にしました。 例えば、CO2についてもどこまで削減すれば救われるのかを考えることは、 その都度その都度、専門家に任せることにして、私としては、今できることを精一杯行うだけです。 例えば、祈るにしても、その時その時、精一杯祈るだけです。 (newsを見た時や気づいた時などに。) 常に、今しかないと感じています。 高みに昇るため、計画的に進めることの重要性も知っていますが、私にも私の色々な事情があり、何でもかんでも自分に取り込めませんので、将来の目標値をどのように設定するかは、上の方にお任せすることにして、自分の大事だと思うことを、することにします。 結局、いつもそういうことだと思います。 考えるきっかけを与えてくださることに感謝して、自らも動き続けたいと思います。
お礼
失礼なことをお尋ねしたのはもう少し掘り下げてお考えになったらよいと感じたからです。必ずしも祈りに目的意識を持たなくてもよいかもしれません。祈る意義すら見いだせずにあきらめる者のなんと多いことか。ありがとうございました。
お礼
なるほど「井戸端会議」こそ民主主義なのですね。正直に申し上げると民主主義に胡散臭さを感じていたのですが、関係性に着目すると必然的に民主主義に傾きますね。ありがとうございました。
補足
関係の交通網の質と量が事象の求める必要性を満たしているかを問われるのでしょうか?例えば誰かが入院した。Aは真っ先に見舞いに駆けつけた。Bは退院したら言葉を掛ければよいと考えた。しかし彼は退院することなく息を引き取る。この場合A、Bいずれも関係の絶対性を保っているはずです。これについてはいかがお考えですか?