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物理学の正しさとは?
- 物理学についての疑問や不確かさがある中、本稿では物理学の正しさについて考えてみます。
- 物理法則や実験結果に基づく物理学の正しさについて検証し、近似値や未解明の事柄に対する考え方についても考えてみます。
- 私たちが今解っている範囲では物理学は正しいと言えますが、同時に未解明の部分も多く存在しています。物理学を理解する上で重要な一言についても考えてみましょう。
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質問者が選んだベストアンサー
「物理が正しくないこともある」という言葉の重みでしょうね。 その記述をみた人が、質問者さんのように、理論に一定の制約があり、その中で導かれた「かなり適切な回答」と理解してくれればいいんでしょうが、不勉強な人だと、「じゃあ、例えば、念じたら宙に浮かぶ事が出来たり、超能力が使えるようになことが物理学で証明できるようになる可能性もあるんだ」と極端な方向に誤解しそうです。実際にはそこまで間違っていることはなくて、概ね正しいらしい事は確かですから、普通の本ではその辺りの記述を排して、「正しい」事にしたほうが良さそうな気もします。 勿論、そういう誤解を与えない適当な表現もありそうな気もしますが、「科学が何故正しいのかを理解してもらう事」、言い換えると「限定された範囲では正しいという事を理解させること」は相当難しい問題と論じられてきたような気がするので、一件不条理に見える表現にも合理性があるのかもしれません。
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- tk9898
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既にたくさんの回答が出ていますが質問、回答へのお礼を読んでいて、どうしても一言付け加えたく書かせていただきます。 質問者の方は物理学は正しいのか?という質問に対して「正しくない」「物理学は不完全である」と言ってほしいだけのように感じました。 もっと直球的な言い方をすれば質問者の方の書き込みを見て、物理学者に対してコンプレックスを抱き、それをこの場で発散させているだけのように思いました。 私にはこのような質問をすること自体が、物理学者を侮辱しているように思えます。 >WEBや本などでは必ず物理法則は正しい、実験結果が証明している。などが必ず前提になっております。 >例えば光速は不変で実験結果からもそうである。 >などとありますが、これは間違いが無いと言う決め付けている所が納得いきません。もしかしましたら、ただの近似値を見つけただけかもしれないと思うのですが・・・ これはあなたの思い込みではないですか?下にアインシュタインの話も出ていますが、高名な学者さんも時にはそのような言葉を使いたくなることもあるかもしれません。 が、「物理法則が必ず正しい」や「法則に間違いが無い」なんて心の底から思っている人は一人もいません。科学は過去の仮説の間違いを発見して発展してきたんですから。 今の物理学は過去の偉人達がそれこそ人生をかけて作り上げてきたものです。そうして得られた法則は、質問者さんの言うとおり確かにこの世界の現象を正確に記述しているかどうかは分かりません。あくまで現段階で解明できる範囲では、このような法則が成り立つことが実験結果から得られているだけでしかありません。 そういったことを"暗黙の了解"としていちいち記述していないのは物理学の悪い面かもしれませんが、例えば高校の化学の時間に質量保存の法則について 「この法則は厳密には本当は成り立たないが、今は気にしなくても良い」なんて説明をされたらそれ以降化学に対して疑心暗鬼になるか、その曖昧さに腹を立ててしまう人が大勢いるのも事実でしょう。 それゆえそのような"前提"は省かれてしまうのが現実です。 そこで、説明書きがされていないのは間違っている!と主張する"素人"の方のほうが稀です。多くの場合その過程で物理学の脆さ、不完全さに気づき、記述がされない理由も理解できるのではないでしょうか //最後に・・・文中何度も"素人"や"初心者"という言葉を使っていますが、このような言葉は私のような人間の神経を逆撫でするだけですので、このような場で多用するのは控えた方が良いかと。。
お礼
ご意見ありがとう御座いました。 是非参考にさせて頂きます。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
>私が今回このような疑問を持ったのは高校時代です。物理の授業にての”質量保存の法則”がきっかけになりました。 中々微妙な問題を提起していますね。この問題は、物理屋さんのセンスと関係しています。それを説明する前に、実際にあった私の友人の物理屋さんの話を紹介します。彼は長い間アメリカで研究生活をしていて、その後日本のある大学で、物理屋と数学屋さんが一緒になった新しい学科に就職して行きました。彼が再びアメリカに遊びに来た時に、大変参考になる次のようなことを言いました、 「数学屋さんて大変不思議な方達なのですね。彼等の考え方は私にはとても着いて行けません。だって、彼等は本当に無限大と言う状態があると思っているのですからね。我々物理屋にとっては、無限大とは我々の興味のある、ある大きさに比べて、途轍もなく大きな量と言うだけのことでしょう。なのにそう言うと、それは有限の数であって無限大ではないなんて、わけの分からないことを言い出すんですよ」 私は、この友人は物理屋のセンスのある、根っからの物理屋さんなのだな、と思いました。かく言う私も、うちの家族と話していた時に、1年は400日だから5年は2000日弱だ、と言ったら、家族全員に白い目で見られてしまいました。もちろん、工学屋さんがこんな荒っぽいことを言ったら、機械は出来ませんから、物理屋さんが工学屋さんになることは出来ません。 このよに物理屋のセンスとは、その影響が小さくて、我々の観測事実の本質とって余り重要でないと本人が判断した時に、実はその効果があっても、その効果を平気でゼロであると言ってのけるセンスのことです。それを、いやいやどんなに小さくても厳密には在るのだから、それをゼロと言うべきではない、と言うのは多分数学屋さんのセンスなのでしょう。もちろん、物理の世界でも、扱っている量の中には、何か数学的な特異性があって、大変小さいはずの量が分母の中に現れて来て、小さいが故に、反対に大きな効果を及ぼすことも在りますが、逆にそのような例を見付けることが出来れば、新しい発見として論文が書けてしまうくらいです。普通お目にかかる現象では、小さな量はゼロとして無視できてしまうことの方が圧倒的に多いのです。 具体的な例で、物理屋さんのセンスを紹介しましょう。それは、地球の形です。多分質問者さんは地球は完全な円ではないと教わったと思います。でも、その扁平率は、1/300 に近い数字です。と言うことは、質問者さんがコンパスを使って10cmの半径で円を描いた時の円よりも地球の形はもっと完全な円に近いのです。事実、この場合の完全な円からのずれは0.3mm程度ですから、鉛筆の芯の幅より小さくなっています。それなのに、いやいや地球は円ではないというイメージを描いてしまうと、多くの現象を語る時に、本当に近い姿を見えなくなってしまう可能性があります。ですから、物理屋としては、それが完全な円ではないと承知しつつ、地球の断面は楕円であるというよりも、円であると言える人の方がセンスが在るのです。事実、高校や中学校で、地球は楕円の形そしていると教えていることに、私の友人の日本の大学の物理の先生が腹を立てていました。多分この態度は、数学屋さんには決して理解できないと思います。 実は、化学反応で熱に変換される質量は、このような1/300なんて大きな誤差の数どころではなく、その元の質量の10のマイナス10何乗も小さい数になってしまいます。そこで、この場合には、その誤差を無視して表現するのが物理屋のセンスと言うものです。この辺りの物理屋のセンスを高校で教えてくれていれば、質問者さんにも混乱はなかったと思いますが、残念なことに、高校や中学の先生はどちらかと言うと、教科書を読んで勉強して来た方が多いと思われますので、実際の研究活動から学ぶことが出来る物理屋のセンスを理解していない方が、多くいるのだと思います。 物理学は数学と比べると、計算処理能力と言うようなその人の脳のハードウエアの性能ばかりではなく、その人が埋め込まれた文化から見た世界観を理解すると言う、ソフトウエアーの性能も重要な役割を演じる学問なのです。したがって、緻密で厳密な論理ばかりでなく、経験を通して文化を学ぶ能力も要求されてしまうのです。 多分そのことからも、どうして、数学ではガウス等のように15か16才位で世界の歴史に残るような結果を出した方が何人もいるのに、物理学では、10代でそんな仕事を成し遂げた方が歴史的に皆無で、少なくともランダウのように22か23才位にならないと、そんな世界的な結果を出すことができないという事実も理解できるのではないかと思っております。アインシュタインだって、有名な一連の仕事をするのには26才まで待たなくてはならなかったのです。物理学は、数学と比べて、ある意味で大人にならなくては出来ない学問なのです。(数学者さん、どぎついことを言ってしまって、ご免なさい) 質問者さんも、物理屋的な大人になると、物理学ってそんな荒っぽいことを言う学問なのかと分かって来ると思います。
お礼
ご回答有難う御座います。 物理屋のセンス・・・かなり奥の深い言葉です。 目の前でおきている現象を説明する際に、より単純化かつ合理的に説明するには簡素化はとても大事になってきます。また物理法則はその傾向が特に強い、と言いうよりはそうなっている事のほうが多々あるのだと思います。 そう考えますと簡素化して考えた方がその現象についての理解(法則性)は深まるのも確かですね。 法則をまず理解させようとし時、近似値しか得れない公式での説明もやむおえない所があります。 今回は、物理学者が現代物理学が絶対だなどとは思っておらず、新たな理論があってもおかしくないと思っている事が解りましたので。自分なりにではありますが答えが見つかりました。 誠に有難う御座いました。今後ともご指導頂けましたら幸いです。
- drmuraberg
- ベストアンサー率71% (847/1183)
質問、回答、補足を興味持ってROMっていました。微笑ましいて思いながら見ていましたが、やっぱり生意気君かなと感じています。 物理を学んだ者ならば、物理学はより正しくより正確に自然現象を理解し記述しようとして、常に進化し続けている学問で有ることは 誰でも知っています。宗教や独裁者の様に「私が絶対真理である」等とは決して言いません。あなたが理解できようができまいが、 厳然として存在し、現在までの人間の知識が到達した成果として広く認知されています。 物理学者には、その成果を興味を持ってくれる人に広く分かり易く伝える義務も有るでしょう。人の間の意志疎通に言葉という 道具が必要な様に、物理学の理解にもそれ相応の道具が必要です。数学はその道具の一つですが、それ以上に大事なのは物理学的な 物の考え方と基礎的な概念をキチンと理解する能力と態度です。これが無いままにあちらこちら囓って物を言うことは似非科学マニアだけです。 そうなると、化学反応でも質量はエネルギーとなって消失したりします。 そうならないためにも、一度物理学を基本から学ばれるようお勧めします。「あなたの疑問もっともです」等と言ってくれる人の 殆ど居ない厳しい道ですが。 自分の家族を紹介する時に「DNA鑑定で確認しましたが、こちらが息子で、こちらが娘で・・・」と紹介したら、 「DNA鑑定だって100%確実では有りませんし、処女懐胎ということも有りますから・・」と反論されそうで、学生に持ちたいとは 思いませんが。
補足
drmuraberg様、ご意見有難う御座います。 質問当初から”生意気な質問”と回答される事は理解していたつもりです。また大変失礼に当たるのではとも考えた上で質問させて頂きました。ただ自分のような素人が専門家や詳しい方のご意見を求める事はまずありません。専門書も見てもまるで解りかねますので、初心者向けの本から勉強しようと思いました。初心者向けの本を何冊も読んで自分なりに理解したつもりで解釈して行くと必ず矛盾に突き当たります。その矛盾をどう解釈すれば良いかが解りませんでした。 >常に進化し続けている学問 私には上記内容すら思いつかず、現代物理学は正しいと思わせる前書きがあるので現代物理学はそんなに正しいのか?、例外があるのでは、専門家はそう考えているのか?、何かおかしいな!、と言う疑問がいつも残りました。 >宗教や独裁者の様に「私が絶対真理である」等とは決して言いません。あなたが理解できようができまいが 結論から言いますと上記の回答が自分では欲しかったのだと思います。 >物理を学んだ者ならば、物理学はより正しくより正確に自然現象を理解し記述しようとして、常に進化し続けている学問で有ることは 誰でも知っています 少なくとも私が今まで読んだ書物にはその一言がありませんでした。私が参考にした書物、TV番組などを正確に理解していたいのか、構成が悪いのかは解りかねますが最後には矛盾が残ります。 今回、失礼に当たるかもと解りながら質問させて頂いたのは、自分なりに解を見つけたいと思い質問させて頂きました。この様な場を借りないと質問すら出来る環境に無いからです。私の主観でご無礼をした事はお詫びいたします。しかし私のような素人が専門家や詳しい方のご意見を聞けるのもこの様な場でしか無い事もご理解頂けないでしょうか? >厳然として存在し、現在までの人間の知識が到達した成果として広く認知されています。 身の回りの事柄、その理論を利用した製品を見れば私でも理解は出来ます。ただそれが絶対間違いの無いもの(あたかも不変)として扱うのは正しいのか?、専門家などの方々はどう思っているのだろう?というのが質問のきっかけです。私は教育者でもありませんしただのサラリーマンです。ただ今回の質問に自分なりの解を出さないと、この先には進めないと思い、ご無礼を承知の上、質問させて頂きましたしだいです。 皆様に大変ご無礼をお掛け致したとは思っております、まして専門家のご意見に対し補足要求までしています、が自分なり(素人)の解は見つかりましたので大変ありがたく思っております。今回ご意見が伺えた事は大変勉強になりました。 今後とも宜しくお願いいたします。誠にありがとうございました。
そうですね、化学反応でも質量はエネルギーとなって消失します。しかし、中途半端にこのことを教えるべきではないのです。非常に有名なクイズ集「頭の体操」にこんな問題がありました。段階別に説明します。 問「密閉したビンの中にハエがいます。これがはかりの上に乗っています。ハエがビンの底に止まっている場合と、羽ばたいて空中で静止している場合で、どちらがはかりは重い目方を示すだろうか?」 第一段階の答、これがおそらく最後まで正解であるべきなのですが、はかりはどちらの場合も同じ目方を示すというものです。羽ばたいている力がビンに伝わるからです。 ここで頭の体操では、第二段階の答を提示します。羽ばたいているハエのビンのほうが目方が軽くなっていく、と。軽くなった目方はハエが運動して熱を発してビンから逃げて行ったのである、と。 厳密には間違いとはいえません。確かに熱を持ち去らられれば、相対論的に考えれば質量は減少します。質問者様はこの第二段階の答を一般向けに(「頭の体操」は不特定多数向けの本です)提示するべきとお考えになりますか? ご自分のお子様が小学生だとして、第二段階の答を正解とお教えになられますか?
補足
cozycube1様、私の様な素人相手に大変貴重なご意見をして頂き誠に有難う御座います。また本筋から外れた解を要求してしまい大変お手数お掛け致しました。 > ご自分のお子様が小学生だとして、第二段階の答を正解とお教えになられますか? 今の私の知識では、私の子供がこの話をある程度理解できる年頃になった時どちらを正解とするか、正直解りかねています。 もし、自分の子供が第一段階の解に疑問を持つのであれば第二段階の解を説明しないまでも”正確には違うよ、ただ今は取り合えずここまで”と説明すると思います。そうしないと第一段階すら理解できないと思いますので。 今回皆様のご意見を見て改めて自分の学の無さ、世界観の狭さを思い知らされました。その上本題から外れ教育論に近い解まで要求したにもかかわらず親切にご回答頂けた事は大変うれしい次第です。 説明する立場様からのご意見、他の分野からの引用など、まさしく自分の理解の未熟さを思い知らされました。皆様のご意見がもっと深い所まで考えての意見であることも改めて尊敬いたしました。 本来はお礼として書くべき所かとは思いますがあえて補足として書かせて頂きました。それは物理学(学問全般)において説明する際には説明方法も多々存在しても良いし、また説明する以上は説明責任が発生する。簡略化は全てが、逃げ道として扱っている訳では無い事が良く解りました。cozycube1様と同じ解にたどり着いたとは決して思えないレベルですが自分なりの解は出たつもりです。 誠に有難う御座います。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
#11、15です。 物理で言っていることが正しいかどうかと言う質問すが、他の方の回答の流れに乗って、いきなり私から見て上級編に当たる私見を述べてみましょう。 先ず、それが正しいか間違っているかの判断は、究極自分自身が下すものです。どんな教科書に書いてあろうが、どんな偉い先生が言っていようが自分で納得しなければ、それを正しいと認める必要は在りません。 私は自分の学生(外国人ばかりですが)に 「貴方は地球が太陽の周りを回っているのか、太陽が地球を廻っているのか、どちらだと思うか」 と聞いています。ただし、この質問は一般相対性理論がどうのこうのと言う質問ではなく、もっと常識的なレベルの質問として聞いています。もちろん、学生達は皆、地球が回っていると答えます。で、私は 「私が今まで何度も空を眺めたが、今まで一度も地球が回っていると言う感覚を持ったことがない。どう見ても太陽が回っているようにしか見えない。多分、貴方が地球が回っていると答えるのは、教科書にそう書いてあって洗脳されたからではないのですか?」 と言います。要するに、アメと鞭です。学校で、地球が回っていると答えると、先生は良い点すなわち、アメをくれる。太陽が回っているの答えると、バッテンと言う鞭が飛んで来る。そうやって、洗脳されて来たのです。 私には、このことに関して、まだ本当のところは分かりません。ただ他人に聞かれたら、もちろん地球が回っていると答えます。さもないと、気違い扱いされてしまうことが分かっているからです。でも、質問者さん、私を気違いだとは思わないで下さい。実は、私の今までの研究活動の経験から、もし本当に私が地球と太陽とどちらが回っているかを知りたいなら、私はどうすれば良いかを知っていますから。その方法とは、ケプラーのやったことを追体験すれば良いのです。彼は、先ず地球が自転をし、さらに太陽の周りを完全な円上で公転していると言う仮説を立てました。そして、彼はそれまで知られている観測結果と、彼の観測結果を詳細に分析して、その仮説が間違いであることを確認しました。そこで、次に、円ではなくて楕円上を公転していると言う仮説を立てました。その結果、観測結果が見事にその仮説を支持しました。その長く苦しい観測結果と仮説の突き合わせをして行く過程で、ケプラーは、地球は自転をし、さらに太陽の周りを公転しているのだという確信を、心の底から持てるようになったのだと思います。ところが、私はまだその苦しみを味わっておりませんので、ケプラーが確信したレベルにまで、地球の公転や自転を確信することが出来ていないのです。 では、何故私は自転に対して、洗脳された段階で留まっているのか。それには理由があります。もし、私の心の深いところに 「もしかしたら地球な自転していないのではないか。太陽が地球を回っているのではないか。皆は間違っているのではないか」 という直感があったなら、本気でケプラーのやったことを追体験して、彼の方法のどこかに問題がなかったかを徹底的に調べると思います。でも、私にはそんな直感がなく、多分、彼のやった長い長い努力の後、やっぱりケプラーは正しかったと言う結論が出てくるような気がしているのです。だったら、私のエネルギーをもっと別なところに使うべきではないのかと考えているのです。そして、私には、今多くの物理学者が多分そうなると思っていることに関して、 「いや、そうではないよ」 と直感している問題があります。そこで、私はケプラーがやった努力に匹敵する努力を、そちらの問題に注いでいます。私の直感では、ケプラーが間違っていると言う答えを出す確率よりも、私が抱えている問題で、私が正しいと言う答えを出す確率の方が遥かに高いと思っているからです。 このように、物理学者が納得する方法は一つしか在りません。それは、どんな権威がそう言ったとか、それでノーベル賞を貰っているとかではなく、自分で努力して手や機械を動かし、自分で納得すると言う方法だけなのです。もちろんそのために、私は、自分の今抱えている問題に対して先人達が受け入れている論理を徹底的に追体験して、鵜の目鷹の目で粗捜しをしています。 「物理学者の定義とは、規則が大嫌いで、いつも規則に疑いの目を持っている連中のことである」と、私は物理学者の友人達に言っております。
補足
貴重なお時間を割いてご回答頂き、有難う御座います、 >それが正しいか間違っているかの判断は、究極自分自身が下すものです。 最後は自分自身で信じるか信じないかが重要なのですね。 私は現在の物理学が全て間違っているとは思いませんし、思えません。物理学者が苦労をして見つけ出した規則性、その規則性で物事の現象が説明出来る。ならその規則性が正しいと思うのも当然だと思います。ただ今までその規則性に例外が無いから”絶対正しい”という考え方はおかしいのでは?といつも思っておりました。もしかしたら違った法則がありただ結果が同じ(近似値)なだけでは?と考えるのも考え方としては正しいのではないかと思っておりました。皆様のご意見を拝見させていただきますと現代の物理学が絶対ではない、但し今の所、例外も無いので正しいと思うという考えで良いようなのでとても受け入れやすくなりました。 私が今回このような疑問を持ったのは高校時代です。物理の授業にての”質量保存の法則”がきっかけになりました。 原子と原子が化学反応し結果、熱が発生するが原子と原子の重さは変わらない、しかし核分裂などでは重さ(質量)の一部が熱と光になり全体の質量は減る。この内容がとてもおかしいのではと思いました。核分裂で質量が熱と光に変わるのなら化学反応で出た熱の分も質量が減らないのはおかしい?。しかもE=MC^2と言う公式をあげながら質量減るのは核分裂の時だけと明言しています。当時の私の力ではとても本などを読んでも理由は解りませんでした。 実は”科学反応レベルでも熱が放出されたのならその分の質量は減っているが微々たる物だから無視して良い”この一言があればぜんぜん違ったと思います。私の参考にしている本などが初心者向けなので解りやすくする為とは思いますがだから当たり前とされている部分が無いと矛盾が出てきてしまうのだと思います。 話が脱線してしまいましたが、私も回答者様の様に(同じレベルにしてしまったら大変失礼ですね)地球が太陽の周りを回っている事を自分自身で確信できるのは太陽系を外から見ないと無理だと思います。しかし色々な現象などを見ると正しいのでは・・・いや今は少なくとも正しいはずだと思います。数式などで計算してみればなおさらそう思うと思います。 皆様のように物理学に詳しい方々はどのように考えておられるのか?、また自分の物理学の認識は改めるべきなのか?出ないと物理学はこのまま理解できないのか?等、色々な面に答えが見つかった気がします。 この度は貴重なご意見を頂き誠に有難う御座います。基本は自分で実験するなりし確認する事がとても大事な学問だという事を改めて思い知らされました。有難う御座います。
補足、承りました。 省略や断定をするな、ということですね。だとすると、どうなるでしょうか。相対性について考えて見ましょう。 まずは、ガリレイの相対性原理です。静止と等速直線運動は区別できないというものです。加速・減速のような加速度を感じる運動をしていない観測者は、自分が静止だ、と考えるのが基本になります。この段階でも、説明に苦労します。車や電車に乗っていれば自分は動いていると考えるほうが、感覚的にはしっくりくるからです。だから力学や運動学と無縁なら、これすらも説明しません。 やっとの思いで、ガリレイの相対性原理を説明できたとしましょう。次はアインシュタインの特殊相対性原理です。この場合も、加速度を感じていない観測者は自分が静止です。この観測者Aが自分に対して動いている観測者Bを観測すると、観測者Bの時間は遅く流れます。しかし観測者Bから言わせれば、動いているのは観測者Aであって、時間の流れが遅れているのは観測者Aです。もうこの段階で理解をあきらめる人がいます。「本当はどちらの時間が遅れているか?」と。 このことを象徴的に取り扱ったのが「双子のパラドクス」です。双子がいるとします。双子の兄はロケットに乗り、光速に近い速さで別の星まで行って帰ってくるとします。弟は地球に残ります。弟の立場から言えば、動いたのは兄ですから、兄の時間が遅れ、兄が帰ってきたら、自分より若いはずだと主張します。一方、兄は動いたのは弟なのだから、帰り着いたら弟のほうが若いはずだと主張します。どちらの主張が正しいのでしょうか? 答は弟の主張が正しい、ですが普通の啓蒙書では兄は行って帰ってくるときに反転、すなわち加速度運動を行うからだ、だから対等に相対的ではない、と説明することが多いです。実は不正確な説明です。 しかし、仕方がないのです。正確な説明をするには、時間の遅れだけでなく、空間が収縮すること(ローレンツ収縮)、ある慣性系で時刻合わせをした離れた時計が別の慣性系から見たら時刻が合っていないこと(同時刻の相対性)を説明した上で、兄の出発の瞬間から何が起こっているかを説明しなければならないでのです。しかし、ローレンツ収縮ですら躓く人が多く、同時刻の相対性ともなると、数学に秀でた人ですら挫折したのをネットですが目の当たりにしています。 いわんや量子力学においてをや。化学の教科書で奇妙な形の原子のイラストがある場合があるのですが、それを見てうなっていた受験生がいました。わけが分からないというのです。仕方がないから、量子力学というのがあって、電子というのは「ここにある」とはいえなくて存在確率でしか表せず、それをイラストにするとこうなる、気にしなくていいから、電子が原子核の周りを回っている(長岡模型)として理解しておけばいい、とアドバイスせざるを得ませんでした。しょっぱなから事実を全部見せることは残酷なこともあるのです。 だから、教科書は生徒の成長に合わせた記述を心がけ、啓蒙書は前提知識がないことを考慮した書き方をせざるを得ないのです。だから、ときとして乱暴な省略や断定はやむをえないのです。 ただ以前にこのカテで取り上げられた、 http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=XmEf2dMJA0o&feature=related に出てくる「教授」のような場合(奇しくも「バカの壁」と言っています)は、私も問題があると思います。
補足
ご返事誠に誠に有難う御座います。 >省略や断定をするな、ということですね。 結論から言いますとそのとおりです。 >しょっぱなから事実を全部見せることは残酷なこともあるのです。 >教科書は生徒の成長に合わせた記述を心がけ、啓蒙書は前提知識がないことを考慮した書き方をせざるを得ないのです。だから、ときとして乱暴な省略や断定はやむをえないのです。 解説する立場の方も大変苦労されている事は良くわかりました。 簡素化しないと説明がうまく伝わらない。結果理解できない事になるので簡素化せざるおえないとの事ですね。確かにそうだとも思いますがそれは理解しておられる方の考えであって初心者向けと書いてあるのならなおさら”本当は少し違う”だから詳しく知りたければさらに勉強しなさい。と教えるべきではないかとも思いました。そうすれば「双子のパラドクス」も発生しませんし余計な誤解も出ないように思います。ただ余計な疑問が発生したからさらに理解が進むとも思いますしレベルに合わせた説明をするとどうしても簡素化する事になるとも思いました。とても難しいです。 あくまで私を例にした時の意見なのですが、質量保存の法則を習う時、既に矛盾がありました。他の方の所でも書かせて頂いたのですが化学反応して熱を放射しても質量は同じ、一方で核分裂すると質量の一部が熱などになり質量は減る。質量の一部が熱と言うエネルギーとなり減った。 私には明らかに矛盾していました。この様な場面で一言”実は化学反応でも熱が出れば質量が減っている”しかし難しいからそこまで考えなくても良いとあれば矛盾は発生しなかったと思います。 あくまで教えて頂いている立場の上、生意気な意見になってしまい大変申し訳御座いません。ただそのような教え方は出来ない物かと思った次第です。 ただ、この一言があればを付け加えていくと解説が長くなり初心者がとっつきにくい上、さらに理解のきっかけすら無くなってしまうのかも知れません。 生意気なコメントになってしまいましたが宜しくお願いいたします。
cyototu様のご意見に感動して、思わず。そうです、難しいことを易しく言うことが大事なんです。逆に分かるように言える話を、難しく言うのが駄目なんです。質問者様はもしかして、勿体つけて説明したがる連中の罠にはまったのでは? 私はパソコン通信時代から、易しく解説してくれる多くの碩学に恵まれました。おかげさまで、なんとかなっている次第です。 ただし、数式については容赦はありませんが。定量的な物理の基本言語は数学ですからね。南部陽一郎博士も、啓蒙書では難しい事柄も数式を極力避けて平易な解説をされるすばらしい方です。ホーキング博士は、数式を1行書くごとに読者が半減していく、なんて仰ってますね。
お礼
ご回答大変有難う御座います。 >難しいことを易しく言うことが大事なんです。逆に分かるように言える話を、難しく言うのが駄目なんです。 この様は考え方が物理学(全ての学問)でも受け入れられると思うと大変うれしいです。 私は、いわゆる物理学とはまったく関係ない職業ですが、専門用語や知っていて常識的な発言をすれば説明がとても楽で効率的なのも解ります。実際、私もしていると思います。ただ初心者(新入社員)などに説明をする時は出来る限り解りやすく、後に矛盾が出ないようにと心がけて降ります。でないと理解が進まないとも思っています。まして数式化できる学問ならなおさら、ではと思います。 物理学はとても難しい学問なのでどうしてもその一点を簡単に説明しようとすると簡略化せざるおえないのも今回改めて解りました。 しかし、物理学だからこそ”実は少し違うんだけどね”的な一言を書いて頂けるともっと理解が進むのではと思います。少なくとも自分はそうでありました。 >定量的な物理の基本言語は数学 3次元の人間が4次元空間をイメージしようとしても出来ません。後手段は数学になると思います。数学ならパラメータが一つ増えるだけですので解は出せます。”基本言語は数学”これはとても大事な事なので省略しないでほしい部分ですね。 この度は大変貴重なご意見誠に有難う御座いました。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
#11です。 他の方の解答で、イギリス人やアメリカ人は日本人よりも「知識は広く市民のものである」と考えている言っておりますが、私の経験では、どうやらその反対の方が正しいようです。どちらかと言うと、イギリス人やアメリカ人の専門家達は素人には分からない言葉を使い、一般市民から新しい知識を閉ざしてその知識を独占してしまう傾向にあります。以下にその理由を説明しますが、多分それは、アルファベットを使うという、言語的な欠陥に基づいたところに原因があるのだと思います。 さて、日本語では漢字と仮名を使い、漢字に対して音読みと訓読みが在りますね。そのお陰で、漢字には仮名やアルファベットにはない、意味の透明性と言うのがあります。それは一度漢字を覚えていしまったら、素人でも難しい専門用語を理解することがでるということです。以下に幾つかその例を並べてみますが、多分質問者さんはその意味を全部判ると思います。以下の括弧の中にアルファベットで書いた同じ意味の専門用語を載せておきますが、専門用語は主にラテン語で書かれているので、専門家以外は先ず判りません。 閉所恐怖症(caustrophobia), 耳鼻科(otorhinology), 地震計(seismograph), 盗癖(kleptomania), 鳥類学(ornithology), 眼科( ophthalomology), 貧血(anemic), 産科(obsterics), 魚類学(ichthyology), 乳酸菌(lactobacillus) 実際、上のような言葉を50ほど用意して、その意味を私がアメリカの博士課程を出た何人かの方に聞いてみましたが、ほとんどの方が、辛うじて自分の専門分野の言葉だけが判るだけで、全体に対してはの3分の1も答えられませんでした。 ところが、このように漢字に書いてしまうと、日本人はそれを訓読みで読んで、素人でもその意味が判ってしまうのです。ですから、日本では西洋のように知識人たちが知識を独占することが出来ないようになっております。例えばこれを、「じびか」だとか「ガンカ」あるいは、「ヘイショキョウフショウ」などと全てひらがなやカタカナだけで書いてしまうと、特に新しい言葉は何の意味か素人には分からなくなってしまい、西洋人のように知識人に知識を独占されてしまうことになってしまいます。その結果、「インセンティブ」や「マニフェスト」が判らない奴は馬鹿だなどという馬鹿な連中が出てきてしまいます。イギリスでもアメリカでも、新しい概念をラテン語やギリシャ語で表す習慣が在るので、そんな新しい言葉を解さない奴は馬鹿だと言うような馬鹿が沢山います。こう考えると漢字を音読みしたり訓読みしたりして使い分けるのは、すごく民主的な方法なのですね。 一般に、専門家と言うのは自尊心が強く、自分が特別だと言うことを皆に見せたい性質があります。ですから、アメリカ人もイギリス人も、新しい概念を導入する時には、自国語で表現せず、ラテン語を使いたがるのです。まさに、知識を独占し、説明責任を果たしたくないと言う態度です。 一方、日本語には音読みと訓読みがあるために、専門家の自尊心を満足させたい時には音読みをし、素人の方に分かるようにしたければ訓読みにすれば良いのです。ですから、漢字で表現すると、自動的に説明責任が果たされるように日本語は出来ているのです。多分、このことが、専門家はいざ知らず、日本の一般市民の知的レベルが、イギリス人よりも、アメリカ人よりも、そしてどの国の人達よりも高いと言う評価を得ている原因なのだと思います。 ただし、私が憂いているのは、最近、日本の科学者や技術者の中で、この日本語の素晴らしい透明性や民主性に気が付かず、外国からは入って来た新しい概念や言葉を、先人達のように漢字に直す努力をせずに、そのまま、カタカナで書く連中が増えて来たことです。これでは、素人の方に対して、その新しい意味が解放されておらず、その知識をアメリカ人やイギリス人のように専門家達に独占されてしまいます。 日本の先生方、どうかカタカナばかり使ってアメリカ人やイギリス人のようにはならないで、学術語を漢字に直す努力をして下さい。 アメリカに住んでいるしがない物理屋より。
補足
ご回答誠に有難う御座います。 諸外国での扱いは私には解らないのですが参考になりました。 漢字を例にたとえたご意見有難う御座います。 確かに漢字で書かれますと意味は正確ではなくとも伝わりますね。 漢字を例にしたのは、何事も基本が大事であり基本は丸覚えするしかないとのお考えからでしょうか?だとすると基本を丸覚えしていればそれを元に総合的に理解ができる。だから初心者は丸覚えすれば良い、とも解釈できます。そうだとすると何故物理の説明で当たり前としている部分を当たり前のように簡素化してしまうのかも理解できます。 違うのだと思いますけど、cyototu様のお考えでは漢字のよさを忘れている専門家が多い、また専門家ほど専門用語を多用したがりたがる所があるとの意見ですね。そう考えますと本当の専門家は物理学が完全な物などとは思っておらずひたすら理論に間違いが無いかなど研究や実験をしてその過程であらたな法則が見つかったり、今まで正しいと思われていた理論が実は違っていたりと進化を遂げていくわけですね。 そう理解した上で物理学を勉強すると自分なりではありますが理解は深まります。 ご意見誠にありがとうございました。
- apple-man
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何かの本に書かれていることが、物理学上の常識とは限りません。 日本の本に常識的に書かれていることと、外国の本に書かれていること が、大きく違うこともあります。 >ただの近似値を見つけただけかもしれないと思うのですが・・・ その通りです。実験にも精度があり、確認しているスケールにも 限りがあります。例えば、重力や電磁気的力は距離の2乗に 反比例すると、現在でも高校、大学の教養の物理あたりまでは教えて いると思いますが、近年の理論の発達により、正確には 2乗ではない可能性が指摘され始め、確認の精度がクローズ アップされました。その結果、2乗に反比例するという 法則は、1cm以下の近距離では高い精度の確認実験が行なわれて いないことが広く知られるようになり、現在も理論と実験面での 研究が進行中です。 私の知っている限りだと、理論や実験結果がどの程度 正しいかについては、イギリス人の物理数学者 ロジャー・ペンローズがまとめていたと思いますので、 どこか検索すると出てくるかもしれません。 相対性理論、量子力学などから分る理論値や 光速の測定などの測定値が、現在のところ小数点以下 何桁まで正しいことが確認されているかなどが まとめられています。 つまり、確認されているところより下の 数字は間違っているかもしれないということで、 まさに今の理論値や測定値は近似である可能性を 言っているわけです。 >解っている範囲では正しいと思う!。と書くべきだと思のです。 外国の本には、そういった事がちゃんと書かれている 場合が多く、専門書でなくとも何かを説明するときに、 必ず出典元が書かれているので、一般読者でも なぜそういった理屈が通っているのか、大本の 話が追えるようになっています。 例えば日本の本にも、光は電磁波であるということが よく書かれていると思いますが、なぜ光が 電磁波と断定できるのか調べることは、その道の 専門家でなければ殆ど不可能なのではないかと 思います。一般向けの物理の読み物など私も 読みますが、光と電磁波は速度がほぼ同じらしいと いう事以外は、普通何も書かれていませんが、 それだけでこれは疑う余地ない常識のように なっています。 つまり、日本の本の書き方、日本語のWEBサイトの 書き方に問題があるんです。 >何故記入しないのでしょうか? 私もそれが疑問です。学校でやるような理数系の 知識も、はっきり間違いだと分かっていることが 多く含まれていますが、そういったことに関する 注釈はまずありません。間違った知識を覚えさせられて、 それで受験問題なんか解いているわけですから、 難しいことを沢山覚えるといった、単なる頭の 体操になっています。 日本生まれのノーベル賞受賞者の大半が、海外で教育、研究の 機会に恵まれた人たちであるというのは、こういった 日本での教育上の問題が大きいのではないかと思います。 想像の範囲で言うと、多分、日本の研究者の学問に 対する考え方に問題があるのでしょう。 日本にはもともと「愚民思想」といって、 大衆の大半はバカであると決めつけて かかるという傾向があります。 難しいことなど説明してもバカには 分らないだろうから、これが正しいという結論 だけ覚えておけということなんですね。 東大医学部卒の養老毅さんという方が、 「バカの壁」という本で、いくら説明して も分らないやつには分らないんだと 力説していて、バカなやつの理解の限界を 「バカの壁」と言っているのですが、 こういった思想が未だに日本にはあるんです。 西洋では宗教による科学的思想の弾圧などがあった ため、科学に対する誤解が広がっては大変だという 危機感があります。 イギリスなどでは一般市民と専門の研究者たちの 自由な議論の場として17世紀に「王立学会」というものが できた経緯などがありますから、専門家の一般市民に 対する説明責任といったものが常識的にあるように 思えます。 アメリカなどでは、知識は広く市民のものである と言う考えがあり、説明は隅々までわかりやすく といった方針で全ての本、解説書などが 作られています。 この思想が貫かれすぎているため、アメリカ映画は 説明がくどいという批判もありますが。 >生意気な質問ではありますが、 ごくごく自然な質問だと思います。 「なぜ、どうしてというところから科学は始まる。」 と言いますから。
補足
ご意見誠に有難う御座います。 apple-man様のご回答とても参考になりました。 >「バカの壁」 このような考え方が前提にあるので私のような初心者が色々と解釈を間違えたりSFもどきのような考え方をしだしたりするのだと思いました。 例えば、高校レベルでの原子構造の説明では、原子核がありその周りを球状の電子が回っているとあります。実際は現代の物理学(量子力学)では球状の電子が原子核の周りを回っているとはなっていないと思います。しかし金属の特性や性質を説明するのには高校レベルで習う解釈で十分説明できるのは解るのですがそれを既に間違いと解っていながら原子核の周りを球状の電子が回っていると教える所に問題があると思います。 素人にはそれで十分と言う考えからそう教えているのかも知れませんが、やはり一言、実際の構造は現代の物理学では違うが取り合えづそう解釈していてもさほど影響しない。と一言付け加えるべきだと思いますし今解っている事ももしかしたら違うかもしれないとするべきではと思いました。 apple-man様の言われるようによく光は電磁波の一種、電波も電磁波で周波数が違うだけと当たり前のように書かれていると思います。 もし違う物であれば簡単な概要だけでも記入すべきと思いますし、もし同じものなら初心者向けならなおさらその事も記入してほしいと思います。 > つまり、日本の本の書き方、日本語のWEBサイトの書き方に問題があるんです。 海外の書物などはもっと違った説明をしているのですね大変参考になりました。 日本では、「愚民思想」が前提なのでどうしても説明不足な書き方になってしまうのでしょうか?この辺にとても問題があるので初心者が物理学を学ぼうとすると難しい学問がさらに理解出来なくなるように思いますしSF的な発想で解釈しようとしてしまうのだと思います。現代の物理学は完全ではないと一言付け加えるだけでかなり大きな違いがあると思いました。 とても解りやすい説明をして頂き誠に有難う御座います。 マクロな世界とミクロな世界を扱う公式が何故違うのかなどがとても受け入れやすくなりました。
- ichiro-hot
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○#11さんのおっしゃること・・・ もっともです。挙げてあることはすべて有名な事実ですね。特にりーさんの議論好き、というより他人のコキオロシとか有名ですね。そういう人もいるな。 ただ、今年ノーベル賞をもらった小林・益川両氏の理論提唱はもう35年ぐらい前のことでしょう。若いときによい仕事をしている。もう現役引退と思ってたのに突然大舞台に引き出されたって雰囲気、生々しかったですね。でも、それが非常にうれしかった。特に自分は坂田昌一氏が大好きでしたから、その指導の下で育った二人の業績が認められたことが非常にうれしいです。ここでもう一度氏の仕事が実ったみたいでそのことも合わせて喜んでます。本当に物理学が好きという雰囲気は、わかりますね。でもその後かなりの逆風にさらされてきたのではないでしょうか?理論の発展、自然認識や、法則についての理解などについての坂田昌一氏の「階層構造論」とか、もう今では著作も手に入らず、日本人の物理学者にこのような人がいて、そのようなことをおっしゃってたことなど、今の若い人には受け継がれないのかな? 本当に残念なことです。この質問にも十分に答えてくれていると思うのですが・・・。そのような研究者を大切にしなかったから、日本の物理学のよき伝統も引き継がれなかったのではなかったのかな?現役のかたがた、いかがでしょう? たしかに研究者の人間性もかなり重要ですね。ただ、物理学そのもの、その正しい理解という面と、それを扱う研究者の人間性という面とは違うでしょう。これは物理学じゃなくてもすべての分野にいえることでしょう。 今年は物理分野が脚光を浴びましたが、次は名大-阪大蛋白研あたりに日の当たる日が来るといいな。。。外から見てて、そんな「熱さ」が伝わってくる時期が有ったと思うのですが・・・結構、研究者の人格も大切で、エネルギーに満ちて輝いているときは、結構短いのかも知れませんね。だから時間を大切に、人との交わりを大切にというのも歴史の教えるところかも・・・。
お礼
ご回答頂きまして誠にありがとう御座います。 >「科学が何故正しいのかを理解してもらう事」 私もとても大事な事だと思います。pullmandsg様の言われるように前提にこれがありませんと過大解釈すら出来てしまいインチキなもっともらしい理論を造りインチキ商法が反映してしまいます。現に物理まがいな理論のような事を書き訳の解らない商品が販売されているのが現にあると思います。 >「限定された範囲では正しいという事を理解させること」 限定された現象では少なくとも正しいので、その現象を理論的に理解させる上では多少の簡素化した説明も必要になる事も大変解りました。 ただ色々な解説方法があっても良いのではとも思いますし、それがあっても構わないとの解釈も出来ました。 また一方で簡素化した説明でも取り合えず正しく理論付けて考えらればそれでも良いかな?。とも思っております。詳しく解らなくとも現在わかっている事、少なくとも今までに例外がない事を納得してもらえば正しさが理解されますし、インチキ商法も出来なくなると思います。 簡素化(近似値)して説明するのも間違いではありませんし、”本当は少し違う”的な解説を付けても間違いではないと思います。あとはどう正しく物理学を理解してもらうか?、レベルに合った方法とは?、と本題からかなり外れた議論(皆様のご意見)になってしまいますね。 今回のご質問で物理学の考え方の方向性は解りましたのでとても参考になりました。自分は物理に対し素人ですが少しでも理解を深めたいとより一層思いました。誠にありがとうございました。