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ニューギニア戦線と蛍
ニューギニア戦線での話だったと思います。制空権もなく、補給も断たれ、ジャングルの奥深くまで追いやられた、とある部隊。もはや戦闘遂行能力は皆無であり、任務続行不可能と判断した部隊長は玉砕を決意し、各隷下部隊長に対し最後の突撃命令を下達する。集結地は一本の大木。その周辺は身を隠すこともできる深い草に覆われ、集結地として最適な場所だった。当然、昼間は移動することは出来ないので、夜間に集結地に向かうが、米軍の圧倒的な火力網を突破することは満身創痍の各部隊には不可能に近かった。集結地の大木。戦友に肩を貸し足を引きずりながら現れる者、這うようにして現れる者、到着後、息を引き取る者、集結地に辿り着けた者はごく僅かであり、五体満足な者など誰一人としていなかっという。時間になったが、部隊長はもう少しだけ待った。午後8時(時間は曖昧です)、点呼を取った。数える程しかいない。これ以上待っても誰も来ない、そう判断した部隊長は突撃発揮位置まで前進しようとしていたその時であった。将兵は神秘的な体験をする。蛍である。無数の蛍。一本の大木。数えきれない蛍がその大木めがけて飛んでいく。あちらからもこちらからも。やがて幹や枝は蛍で埋まり、明るく幻想的に大木を照らしている。将兵はここに辿り着けなかった戦友が、蛍となって現れたんだ、と涙目でその光景を眺めていたという。 私はこの話をテレビで見たのか、誰かから聞いたのか覚えておりません。戦争悲話としての創作なのか、生存者の手記を元に制作されたものかもわかりません。長々とすみません。戦史や戦争文学等に詳しい方、このエピソードに関して知っていることがあればぜひ教えて下さい。
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- toro321
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回答No.1
お礼
回答ありがとうございます。私の地元も多くの方が南方に出征され、その殆どの方が戦死されています。ですから実家に帰省し墓参りに行った時には軍忠碑にも手を合わせるようにしています。 ご自身のルーツである祖父のことを精力的に調べられているところに深い感銘を受けました。回答ありがとうございました。