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ソロモン・ニューギニア戦線と石油確保という目的の関係は?
日本の太平洋戦争の目的は(アメリカのイラク戦争同様?)石油確保だったとよく耳にします。しかし、石油とは縁のなさそうなソロモン(ガダルカナル等)やニューギニア(ラバウル等)で激しい戦闘が繰り広げられたのはどうしてでしょうか。ガダルカナルは太平洋戦争の中で日本軍にとってもっとも悲惨な戦地になったとききますが(本当ですか?死者の数ならパラオとかのが多い?)、どうしてそこまでしてあんなに遠いところで戦争したのでしょうか。そもそも日本は実際南方に攻めていってどこから石油を調達したのでしょうか。背景事情も含めて教えていただけるとありがたいです。
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可能なら世界地図(アジア近辺)を開いてからご覧ください。 まず、石油の話とソロモンでの激戦は事情が多少異なります。 日本の近くで石油が取れるところというと、スマトラ・ボルネオあたりです。実際にそこらは占領したはずです。 さて、実際に戦争するとなると石油だけの確保をしても勝てません。そこで、アメリカとオーストラリアを分断しようとしました。 つまりアメリカとオーストラリアの間、例えばニューカレドニアあたりまで占領すればオーストラリアが降伏、もしくは好意的な中立になるかと考えました。 そこで、トラック諸島に海軍を、ラバウルに空軍(正確には海軍の基地航空部隊)を集結させました。 一方のアメリカにしてみれば、そう簡単に占領されては困るので、その妨害を試みました。そのぶつかった場所がソロモン諸島となったわけです。と、同時に、まだ日本軍にある程度は兵力があったため、激戦になりました。そして、その激戦で兵力-特にパイロットを消耗したため、その後は激戦にすらならず負け続け…というのは余計な話かな。 ガダルカナルが悲惨な戦地と言われるようになったのは、戦死者の数ではなく戦死理由にあると思います。 アメリカが大兵力で反撃にしてきたので、日本軍はジャングルに逃げ込んで反撃を試みました。 しかし、彼らに十分な食料を届けることも、薬品を届けることも出来ませんでした。 当然、餓死者や病死者が続出しました。そのため、日本『軍』にとって(戦わずして死んだ兵士が多いので)悲惨な戦場と言われるようになりました。 ただし、日本にとっては、住民を巻き込んでしまったサイパン・沖縄のような戦場、あるいは兵士が戦って全滅したアッツ島など、「もっとも悲惨」かどうかはわかりません。 以上、簡単ですが。 (下記urlは世界地図です)
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- been
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簡単に言えば、本丸を防衛するため出城が必要なように、産油地帯(スマトラ・ボルネオなど)を安全に保持するためにはその前方(敵側)に勢力範囲を広げる必要があったのです。もっとも、これは海軍の理屈です。 ガダルカナルが有名なのは、そこからアメリカの反攻が開始されたことと、ガダルカナル島=ガ島=餓島という表現が現すように、アメリカ軍の猛攻に対して満足な補給も受けられない日本軍は飢餓状態で絶望的な戦いを繰り広げ、多くが餓死したためです。
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簡潔かつ適切なご回答誠にありがとうございます。「本丸を防衛するため出城が必要なように、産油地帯(スマトラ・ボルネオなど)を安全に保持するためにはその前方(敵側)に勢力範囲を広げる必要があった」という海軍の理屈は本当に馬鹿らしいですね。多数の死者を出した→激戦地では必ずしもなく、日本の作戦ミス・一人まけという感じですね。日本から遠く離れたソロモンニューギニアには多くの人命を掛けて守るに値するものがあったと思っていたので、真実を知ってショックを受けました。どうもありがとうございます。
お礼
早速のお返事ありがとうございました。石油確保という目的は、南方戦線一般に妥当するのではないようですね。おっしゃるように、ソロモン・ニューギニアあたりの作戦は、米豪遮断であることを川出書房の「太平洋戦争」という本を買ってきて確認しました。また、食糧不足で戦わずして死んだ者が多いという点も良く分かりました。2万人の死者のうち、戦死者はわずか5ー6000人で残りはすべて餓死者病死者だそうです。アッツ島など、初めてお聞きしましたが、「玉砕」とはこういうことを言うのですね。勉強になりました。どうもありがとうございます。