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第二次大戦でのドイツと中国との関係
3年前に読んだある雑誌の抜書きですが、ずっと気にかかっています。 中国を支援していたドイツ。日本が支那軍(原文のまま)から分捕ったピストルから戦車までほとんどすべてドイツ製。上海事変ではドイツの最新兵器に苦しめられる。日本はいったい何を見ていたのか疑問。 そこで教えて頂きたいのですが、 1. ドイツは日中戦争をどのように見ていたのでしょうか。 2. 当時、ドイツは中国に武器を輸出していたのでしょうか。 よろしくお願いします。
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ヒトラーは有名な「わが闘争」のなかで日本人を黄色いモンキーと表しています。彼にはゲルマン民族だけ世界に冠たる、未来に残るべき人種とみていたと思われ、単に日本、中国と言うのはロシアを牽制する道具に過ぎなかったのでしょう。 神道を誇る陸軍が、三国同盟を嫌う天皇をも無視して、協定を結んだのはまったく暴走です。陸軍と松岡外相のスタンドプレーです。 ドイツが1939年ポーランドへ侵入し、ロシアを敵視しているのに、1940年日ソ不可侵条約を締結したことはドイツには腹立たしいことだったでしょう。 日本もドイツもお互いに相手を利用しようと言うあさましい気持ちであり、怖がりなのに躁状態の陸軍と日本外交合作の茶番劇と表現してもよいでしょう。 武器の輸出の詳細は知りませんが、1940年9月27日の日独伊三国同盟以前はドイツにとっても、中国への輸出は戦費稼ぎの正当な貿易の範囲でしょう。むしろ第一次世界大戦では日本はドイツが勢力範囲としていた山東省を火事場泥棒のように占領しているわけですから、敵視感情があっても不思議はありません。
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- oska
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>ドイツは日中戦争をどのように見ていたのでしょうか。 アジアの「黄色い猿が暴れている」と不快感を示しています。 そもそも「中華民国は、ドイツにとって重要な国」ですから、「黄色い猿」の行動は「ヒトラーの怒り」をかっていました。 その事実を理解出来なかった外交音痴の外務省は、日独伊軍事同盟を信用してしまったのです。 日独伊軍事同盟によって、「ソ連の背後に日本軍が存在する」事が重要だったのですが、日本は「ソ連と中立条約を結び」真意とは逆の行動を取ったのです。 結果として「ドイツ・ソ連双方に裏切られた」のですね。 日本政府の外交音痴は、今も昔も変わっていないようです。 クリントン国務長官が一番に来日したと喜んで、直ぐに「米軍移転費用1兆250億円を差し上げます」と国際版定額給付金をばら撒きました。 クリントン国務長官は中国訪問時「アメリカと中国は、政治・経済・軍事で最も重要なパートナーだ」と述べています。 >当時、ドイツは中国に武器を輸出していたのでしょうか。 武器だけでなく、資金・軍事顧問団を送っています。 中華人民共和国「抗日資料館(反日教育資料館)」にある写真。 この中にも「野蛮な日本人に殺害される市民」の写真がありますね。 日本人将校とされる日本刀を持った人物の服装は、ナチスドイツ陸軍の服装です。近くにいる日本軍人が被っているヘルメットも、当時のナチスドイツ陸軍採用ヘルメットと形状が同じです。 昨年末頃。NHK特集でこの質問に対する内容を放送していましたよ。 写真内容については、外交を意識して放送をしていませんが・・・。
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>アジアの「黄色い猿が暴れている」と不快感を示しています。 そういうことですか。納得しました。 昭和15年ごろ、破竹の勢いであったドイツに熱い思いを寄せた日本は、ドイツも同じように日本を見てくれるはずだと勝手に思い込んだということですね。 ドイツは、もがき苦しむ日本など捨ておいて、さっさと降伏してしまうのも当然ですか。 NHK特集は見ていません。再放送があるかも知れませんので気をつけます。 ご回答ありがとうございました。
- k16399638
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1)東洋の遠い国の出来事。ただ、上海事変のときは、旧帝政ドイツの軍事顧問団が作った計画が、日本軍にことごとくぶっ飛ばされてるね、くらいですか。ドイツ顧問がデザインした塹壕陣地を、一次大戦をよく研究した日本軍が、ドイツとロシアが編み出した浸透戦術でことごとく突破してしまったので、絶望し自決するドイツ顧問もいたのです。ヒトラーにしてみれば、旧いタイプの軍人はダメだな、という印象をより強くしたのではないでしょうかね。 2)一号戦車なんか輸出していますし、モーゼルの拳銃は中華民国でも作られ日本軍も使っていました。国府軍のヘルメットはドイツからの輸入品です。日本が迷惑したのは、チェコ・スロバキアが輸出した軽機関銃で、日本側はこれを大量に鹵獲して、チェッコ式軽機関銃として自国装備にするほどでした。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「上海事変のときは、旧帝政ドイツの軍事顧問団が作った計画」について、検索して調べてみますと、下記の本を見つけました。 『秘史発掘「日中戦争はドイツが仕組んだ」副題:上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ 阿羅健一 著 小学館』 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/23952258.html この本の内容をそのまま信用するわけではないですが、(だいたい「秘史発掘」という言葉自体、胡散臭いと思います)こんな見方もあるのか、と思いました。 k16399638様のご回答のおかげです。感謝します。
- DieMeute
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下のウィキの「中独合作」をご覧下さい。1900年代のドイツと中国の関係がよくわかると思います。 「中独合作」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%8B%AC%E5%90%88%E4%BD%9C ドイツは中国と軍事的にも経済的にも結びついていましたが、ヒトラーが日本との同盟を重視するようになり、関係が切れました。 1938年に満州国を承認し、兵器の輸出も止め、軍事顧問も引き上げました。 後には、日本の傀儡政権と言われた「南京国民政府」を承認しています。 つまり日中戦争ではドイツは日本側に立っています。 簡単に言えば、以前は中国と仲良くしていたけれど、ヒトラーが中国よりも日本と仲良くする事を選び、関係を切ったと言えるでしょう。
お礼
Wikipedia「中独合作」は詳しくて、参考になりました。ありがとうございます。 「つまり日中戦争ではドイツは日本側に立っています。」 表面上はそうですね。
- Dxak
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日独伊三国軍事同盟 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%90%8C%E7%9B%9F を、よく見てみましょう 1932年 上海事変 1936年 日独防共協定 要は、協定、同盟後、攻撃を受けた場合、一緒になって防衛しましょうと言う話 それ以外は、何を行っても可 ですので、日本軍と支那軍が、戦争の最中も、ドイツは支那軍に支援していたはずですよ この同盟の話は、ドイツは対ロシア牽制が目的、日本は対アメリカ牽制が目的 ですが・・・日本がアメリカに宣戦布告したため、ドイツがアメリカに攻撃をかける義理も義務も無かった なのに、ヒトラーはアメリカに宣戦布告した これに、何の意図があったかはね
お礼
>要は、協定、同盟後、攻撃を受けた場合、一緒になって防衛しましょうと言う話 それ以外は、何を行っても可 なるほど、そう言われるとそうだと思います。 しかし、協定を結ぶ過程において中国への武器輸出を停止させるなどの交渉をしていると思うのですが、詰めがあまいのは、日本の外交とはその程度のレベルなのかなと、思っています。 ご回答ありがとうございました。
お礼
ドイツから見た日本について、いろいろ具体例をあげて説明してくださってありがとうございます。 具体例それぞれについて少し調べてみたいと思います。