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「小春日和」の解釈
先日 (2月中旬)、父が「今日は小春日和の良い天気だ」と言ったので、私は「小春日和って、秋くらいに使うんじゃないの?」と突っ込みましたところ、「小春日和は冬の季語だからいいんだ」と返されました。 それで「小春日和」を調べてみますと 「小春の頃の穏やかな気候。」 (大辞林第二版) 「小春の頃の暖かいひより。小六月。」 (広辞苑第五版) 「陰暦十月のころの(ような)よく晴れた暖かい日和。」 (新明解国語辞典第五版) とあり、確かに季語は「冬」です。 「小春」をみると、おおむね 「陰暦十月の異称」というようなことが書いてありました。 陰暦十月は、現在で言えば11月ころ。しかし、陰暦の十月は「冬」に属する (と私は記憶しています) ので、季語が冬なのは納得できます。 (私の感覚では、陽暦の場合、11月末ころ~3月初めあたりが「冬」だと思っています) 「小春」自体は、2月ころまでを含んで指す言葉ではないと思うのですが、「新明解」の解釈だと、「小春日和」を 2月に使うのもアリ? ととれなくもありません。 さて、この場合、「2月中旬の暖かい気候を『小春日和』と言い表す」のは適切なのでしょうか? 気象関係者、俳句をつくる方、国語に強い方からのご回答をお待ちしております。 よろしくお願いいたします。
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節分(2月3日)も立春(2月4日)も過ぎれば、2月中旬は暦の上では春のはじめであって、冬ではありません。ですから冬の季語は使いません。 それに、お調べになったとおり、「小春日和」は冬のはじめごろのことをいう言葉です。 百歩譲ってお父様がそう発言したのが節分前の2月1日(暦の上では冬)のことだとしても、冬の終わりですから、冬の季語だからといって「小春日和」を使うのは適切ではないでしょう。
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「小春日和とは」ウィキペディアより ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 小春日和(こはるびより)とは、晩秋から初冬にかけて、移動性高気圧に覆われた時などの、穏やかで暖かい天候のことである。小春(こはる)とは陰暦10月のこと。現在の太陽暦では11月頃に相当し、この頃の陽気が春に似ているため、こう呼ばれるようになった。 よって、俳句においては「小春日和」・「小春」は冬の季語となる。(陰暦の冬は10月~12月) なお、英語ではIndian Summerという。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー >さて、この場合、「2月中旬の暖かい気候を『小春日和』と言い表す」のは適切なのでしょうか? 不適切です。 「小春日和」とは、上記ウィキのようなことをいうのが、常識です。 日本語の「きまり」「約束事」といっていいでしょうね。 ですから、二月の暖かい天気の日に「小春日和」を使ったらいけません。 じゃあ、お父上はどう言えばよかったのかって? 「小春日和」なんて、難しい言葉を使わないで、普通に「もう春だね。」「まるで春のような暖かさだね。」でいいと思います。 凝った言葉、凝った表現には「使用上の注意」が必要です。 でも「小春日和」でグーグル検索をしますと、「二月の小春日和」がたくさん出てきます。誤用のオンパレードです。 こんなに誤用が増えてきますと、そのうちにそれが定着してしまって、誤用でなくなってしまうかもしれませんね。 言葉というものはそういうもんです。 「誤用の定着」が日本語を変えてきました。平安時代の言葉は、普通の日本人ではもう理解しにくくなっています(^o^)。
お礼
明解な解説をしていただき、ありがとうございました。 プリントアウトして、父に見せることにいたします。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答番号:No.4のお礼欄のお書き込みに: ☆:さだまさし-山口百恵の『秋桜』 ★:思想はあるようだが、私は所詮エンターテーナとしか見ておりません。家内がこの人の馬鹿ファンです。 で、仰せの歌を存じ上げませんがこの場合は連想と、リズムの別に問題はないでしょうね。入ってまいります。 確かに考証や厳密なことば意味では、許されませんね。 言葉の変化してく契機の一つなのでしょうね。 さだという人が小春日和なる言葉をどの程度知り、大事にしているかは問題が残りますが。 ☆>まさか中秋や晩秋、初冬ではあまり感覚に合いませんが。 ⇒すみません。ここで言われていることがよく理解できません。 ★中秋や晩秋、初冬ということばがあったり、その響きがvibrateしているような状況下では、この小春日和を使う人はいないだろうし、使うことは不適当であろう、という気持ちでした。省略がありましたね。 ★季語:その道の人は季語という概念や慣習、或いは使い方を無視されると、とても不快で、受け入れ難いでしょう。 私も専門のジャンルの言葉を違った使いかたされると、不快で、反評価します。 江戸びとの伝統工芸の職人にプロということを聞いたことがあります。 彼は百数十種というノコ、鑿、金槌をそれぞれの場で使い分けるようになって、プロといえる。と応えました。 ことばもそうです。 しかしことばも人間も、そして文化も時代の推移で変化し、変形し、堕落していきます。にごっていきます。 孔子がコというものを弟子に買いにやらせたら、人当たりいい、スマートな入れ物を買ってきました。 孔子は嘆いて、これコならず、どうしてこれがコなのか、・・・と。 弟子はたかが容器であるものになんだってこんなにこだわるのか。と判らなかった。 孔子は、なおもコとはゴツゴツかど(角)のあるという意味なのだ、これはコではない。といっていたそうです。 じゃ返してきましょうか?といきいたら、いやいい。単に容器にすぎないからな。といったとのこと。 俳句をきちんと遣っている方としては、季語の使い方はきちんとしてもらいたいでしょうね。 それを他の場面、俳句以外のところでも、きちんとつかいわけてもらいたいでしょうね。 変な使い方されては、不愉快だし、解釈、鑑賞がスムーズにいかずギクシャクするでしょう。 でも季語もことば全体の中から録ってきているのだし、その中で運命を歩むのですからね。 しょうがないですよ。動いてしまうことは。
お礼
>★中秋や晩秋、初冬ということばがあったり、その響きがvibrateしているような状況下では、この小春日和を使う人はいないだろうし、使うことは不適当であろう、という気持ちでした。 申し訳ありません。私には、回答者さんの文章を読解する能力がないものと思われます。 回答ありがとうございました。
補足
自分の書き方がへたくそなので、もう少しフォローしておきます。 お礼欄の「読解する能力がない」というのは「私」のことであり、回答者さんではありません。自分の文章能力のなさが情けなくなります。
- Ishiwara
- ベストアンサー率24% (462/1914)
季語は陰暦を中心に決めたもので、時として体感温度とは合わないこともあります。 季語は一種の「約束ごと」ですから、個人の感じで選んではいけません。 小春は「晩秋」の季語です。晩秋と温度が同程度であっても、2~3月に使うのはヘンです。しかし「いや、わしは俳句から離れて使っているのじゃ」と開き直られると困ります。 古池や蛙飛び込む水の音(芭蕉)---春の句です。 這へ笑へ二つになるぞ今朝からは(一茶)---春の句です。
お礼
回答ありがとうございます。 父は、単に例として「『小春』は、季語でも冬のものとして扱われているくらいだから」という程度のつもりで引いたのだと思います。 >俳句から離れて使っているのじゃ」と開き直られると困ります。 「小春」は季語という概念が出来てからの言葉なのでしょうか。既存の言葉を「季語」として採用したというだけなら、父の言いよう自体には問題はないと思われますが? 浅学にて、このあたりを理解しておりません。アドバイスをいただければ幸いです。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
【先日 (2月中旬)、父が「今日は小春日和の良い天気だ」と言ったので、私は「小春日和って、秋くらいに使うんじゃないの?」と突っ込みましたところ、「小春日和は冬の季語だからいいんだ」と返されました。】というご会話を契機としてのご質問ですね。 私も秋の気候を表現する言葉とは存じませんで、お父上のお言葉と同じことばを返したと存じます。 俳句などの季語というのは、いろんな分野から取り込み、それを季語とする見解、判断、そして慣わしなのでしょうね。 そして俳句の作句もあまりそれを無視することもおかしなことになりますが、その許容性については曖昧でも、幅をもたせていてもいいかとも存じます。 この“小春日和”も、本来の国語としては、冬のときの、春のようなのどかなぽかぽかしたひだまりのお日和なのでしょうね。 本来は気候の状況の言葉ではないですか? 季語とされ、そう数えられていますから、それは大事であり、理解や受け取りには重要なのでしょうね。 では気候としては、いつごろのどんな気候状況をいうか。それは季語ということを一旦、離れてことばとしてのことに目をむけたらどうでしょうか。気候の用語としての。 太陰暦、太陽暦の違いで、今月明日は太陰暦の二月一日だそうです。 そういうなかで、時期としては20日から30日くらいの、今昔の開きはあるでしょう。 太陰暦の二月に、“小春日和”はないでしょうが、太陽暦の十二月から二月の中旬kろまでは、“小春日和”という感覚は許容できないでしょうか? まさか中秋や晩秋、初冬ではあまり感覚に合いませんが。
お礼
回答ありがとうございます。 秋、というのは、私の覚え違いのようですね。晩秋から初冬、が適切な季節でしょうか。 さだまさし-山口百恵の『秋桜』で、なんか「秋-コスモス-小春日和」のイメージが私の頭の中に出来上がっています。 「気候の用語」であるから、「(例えば)陰暦十月ころ(のような)」という、新明解の解釈も成り立つというご回答ですね。 「初冬のような気候であれば、冬の中で幅を持たせてもいいではないか」とおっしゃっているのだと思います。 >まさか中秋や晩秋、初冬ではあまり感覚に合いませんが。 すみません。ここで言われていることがよく理解できません。 「陰暦十月」を考えた場合、「晩秋、初冬」は「まさに小春」だと思うのですが。私の季節感覚がおかしいのかな?
>「(太陽暦)2月中旬の暖かい気候を『小春日和』と言い表す」のは適切なのでしょうか? ↑ 間違いだと思います。 「小春日和」は、「陰暦」から来た言葉。 陰暦の場合、 春は、一、二、三月、 夏は、四、五、六月、 秋は、七、八、九月、 冬は、十、十一、十二月、なんです。 「少し、ずれてないか?」 と、太陽暦に慣れた人は思ってしまいますけどね。
お礼
ああ、良かった。陰暦の春夏秋冬の捉え方はあっていたようです。 どうやらこちらでも支持をいただけたようです。 回答ありがとうございました。
- mukaiyama
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>「小春日和は冬の季語だからいいんだ」と返されました… それ自体は間違った解釈ではありません。 しかし、太陽暦の 2月中旬は陰暦でいう「冬」ではありません。 父が間違っています。 >気象関係者、俳句をつくる方、国語に強い方からのご回答を… 俳句はともかく、気象の問題でも国語の問題でもありません。 暦の問題、天文学の問題です。 >「新明解」の解釈だと、「小春日和」を 2月に使うのもアリ? ととれなくもありません… そんな解釈できないでしょう。 無理ですよ。
お礼
確かに。現在の2月中旬は、季語の「冬」にはあたらないのでしたね。 私自身は、「小春日和」は晩秋~初冬の言葉という捉え方なのですが、新明解の言う >陰暦十月のころの(ような) は、No.4の方のような捉え方なのだと思います。 そして、それもあるのかなあ? と思ったので質問させていただきました。 回答ありがとうございました。
お礼
百歩譲っても「冬の終わり」だから、「小春日和」は適切ではない、ということですね。 ありがとうございます。 父に話してみることにいたします。