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純粋な「ごめんなさい」を言っていますか?
「ありがとう」という言葉は素直に出てくるのに、「ごめんなさい」という言葉は、その場の雰囲気から逃げたくてとか、納得出来ていないけど‘とりあえず…’で使ってしまうことが結構あると思います。 「ありがとう」に比べて純粋な感じがしないというのが、私が「ごめんなさい」に感じていることです。 そこで質問です。 最近皆さんが言った「ごめんなさい」は純粋に言えたものでしたか?
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純粋かどうかを自分で言う事はそれ自体が純粋じゃない気がしますけどね。ただ、僕自身は周りを見ていて謝れない人間が多い気がするんですよ。年上だろうが年下だろうが悪いと思ったら謝る。その謝り一言があれば解決するのに、グダグダ理屈を付けたりつまらない言い訳をするから拗れてしまうケースを結構見て来ましたからね。 自分がそれをきちんと出来ているかどうかは難しいところですが、 もし何か自分に非があれば常に謝れる人間でいたいと思ってますね☆
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- tomban
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表題でおおっ!と思いまして…入ってしまいましたぁ。 >「ありがとう」に比べて純粋な感じがしないというのが、私が「ごめんなさい」に感じていることです。 ありがとうは「感謝」。 つまり自分が大きな「感慨」が無ければ簡単に口から出てこない言葉。 だから勇気もいる。 自分が相手よりも「謙る(へりくだる)」ように感じてしまうときもある。 …でもね、ありがとうは「自分が相手より下がるから」こそ…その距離の分「感情を溜めて」吐き出すからね「大きな言葉」なんですよ。 吐き出すのに力も要るし、根性もいるし、勇気もいる。 でも「すみません」よりもはるかに「強力な」エネルギーを宿した言葉だと思う。 店員さんは「ありがとうございました!」って言ってくれるけど、嬉しいよね。 あれは「エネルギーがあるから」人を慰めてくれるんだよ。 「心をこめて」って言うけどね、本当にそうだよね。 「ごめんなさい」は「ボールの壁あて」みたいなものさ。 自分が言った言葉が、そのまま帰ってくるんだ。 言われた相手は「非難」や「罪」から逃げたくて、すぐにでも「これ」を言いたくなる。 良い悪いの問題は両方にあるけど、「ごめんなさい」は状況を回避するためだけの「手段」になるのがほとんどだ。 でも本当に「ごめんなさい」を言いたいときは、相手が非難しなくても自然と出てくるもの。 それはなんでだかわかるかな?。 それはね…「感謝」だからさ!。 そう…つまり「ありがとう」と「ごめんなさい」は「双子の兄弟」みたいなものなんだよ。 笑顔ででてくるのが「ありがとう」。 涙と一緒に出てくるのが「ごめんなさい」なんだよ。 子供のときはみんな、きっと、そういう「涙」を流していたはずなんだ。 中島みゆきさんの「五才の頃」という歌がありますが、これを聞くと「落ち着く」のは自分が垢まみれになってしまったからなんでしょうね?。
- Ottiy07
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そうですよね・・・・ 私も純粋に言えたごめんなさいはそんなに多くないかもっと思ってしまいました・・・。 最近では旦那と大ゲンカをした際私が確実に悪く旦那にも悪い事をしたしその喧嘩を見た息子も寂しい思いをしたんで二人に心から謝った事ですかね・・・。 あの時の「ごめんなさい」は確実に純粋に謝れたものだと思います。