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生殖と恋愛と分けたらどうか?

結局、恋愛純愛何とかかんとかと言っても、所詮「生殖」のための前口上に過ぎないわけですよ。 そこのところを切り離して、完全に「生殖」からかけはなれた「恋愛」はないもんでしょうかね? 恋がすなわち、人類存続の手段になっているなんて、馬鹿にした話だと思いませんか?

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noname#91067
noname#91067
回答No.4

ネット上だけの、ネット結婚というのがあるらしいですよ。 恋愛相手には出会いを求めてしまい、生殖してしまったり、結果人類存続の手段になってしまいますが、愛してても一生「出会わない」と誓い両者が了解をすること(結婚式?)で精神的な繋がりだけを目的にしたネット結婚。 ネット上ですから物理的な距離も邪魔になるような視覚も?超越してて非現実的な結婚なので現実に恋人がいたり、結婚してても法的に訴えられたりすることもないで気楽かもしれません。 そのかわり急病とか事故にあっても手を差し伸べることは出来ないのですけど。

garcon2000
質問者

お礼

こういうのは知りませんでした。それは新しい形態の「恋愛」でしょうね。まさにスピリチュアルプラトニックの極地です。つまり、「心」の恋愛の出現ですね。こういうものが人類を席巻するくらいにはやれば何か変わるかもしれませんね。

garcon2000
質問者

補足

種の保存のために、創造主(が仮にいるとしたら)は、生物の主体性を認めなかった。「子供を作ろう」でなくて、「合体したい」だから。それによって、結果として子孫を生じることになる構図だ。

その他の回答 (11)

回答No.12

garconさん。こんばんわ。11番です。 読んでくださってありがとうございます。 ところで、☆恋愛とは無関係な生殖、を望んでいるのですか? それとも、★生殖とは無関係な恋愛、を望んでいるのですか? ☆に関しては、 精子も買えますし、受精技術も発達していますし、 また受精や着床を防ぐ技術も発達していますし、 すでに、じゅうぶん可能になってると思います。 ★に関しては、う~ん。(-_-;) 物理的距離を保ったまま、交流を行う、 たとえば日本に住んでいる人とアメリカに住んでいる人が 電子媒体や紙に記された活字によってつながる、ということが わりと容易にできるようになりましたから、 これも、すでに、じゅうぶん可能になっていると思います。 >人間と動物、違って欲しい :う~ん。(-_-;) とりあえず、人間も、動物の一種で、 本能を持っていて、こころも持っていて、 無機物で作られた機械になることはできず、 このことをわたしは喜んでいて、 放棄するのはもったいないとも思っています。 しかし「分化」がむずかしい制度になってますね。 ツガイ男女の保険とか年金とか。

garcon2000
質問者

お礼

制度的にはいろいろ難しいでしょう。 問題は、人間はこのような仕組みで生まれてきてしまったということですね。生物の掟からは逃れられない。その中でいろいろ創意工夫をして、その生物的限界を乗り越えようという欲得の塊といえるでしょう。飛行機で空を飛んだりとか。すばらしいことです。

回答No.11

garconさん。こんばんわ。10番です。 毎回丁寧なご返信をいただきありがとうございます。 最初の回答をする前に、 わたしがご質問の趣旨を理解できていなかった可能性が高く、 また、今も理解できていないような気がするので この部分は同意・この部分は同意しかねる・他は「わからない」 というような、無責任で、ぶらぶらりんで、 迷子の途中のような回答になってしまいますが、 補足をいただいたので、それに関して少し話してみたいと思います。 まず、 「婚姻関係(目的として生殖も含まれる)」を継続しながら、 仕合せもする、というのが可能なのではないか、 というところは、3番さまや4番様と同感です。 これをしている方はすべてわたしの先輩で、真剣に敬礼したいです。 つぎに、 さまざまな形にみえる「欲」の扱い方や 受け入れ先の選択・確保手段などについて、 たとえば小学校の保健体育などの時間に 「子どもに説明しないのはなぜ?」 というご質問を以前garconさんがされていたのを覚えていますが、 それについては教育の質や量や与え方・求め方について 受けるほうも施すほうも野放しにしないで交渉して改良すべきと思います。 >外食すると「食事する」ということを主目的にしているのに、税金を取られます。 >主目的にいやおうなく付随した物がついてくる、という強制性 :う~ん。(-_-;) この現象に関しては、別の方向から眺めてみるとどうだろう。 ★「外食する」ことを選択し、実行する。 ★お品書きに表示されている金額を支払うことを了承する。 目的は「空腹を満たすこと」、血糖値や体温の低下を防ぎ、 カラダの機能を正常に保つこと。 しかし「>付随した物」として、 ☆調理や後片付けの労働から解放され、 ☆冷暖房が備わった快適な空間で過ごすことができ、 ☆場合によっては観葉植物や絵画などを愛でることもでき、 ☆場合によってはセロトニンやドーパミンを出してくれる音楽を聴くこともでき、 ☆おもてなしを受けることができ、 ☆ありがとうございました。(●^o^●) ☆場合によってはこれらを金額に応じて要求できる「意見箱」がある。 ここで、いったん★に戻ってみます。 「強制性」のために、 「お金を払う」という責任に対して、「得る」権利が少ない、と感じますか? >人間の「意志」の関与が希薄である。 :これも「責任や義務に対して権利が少ない」ことに不満を感じる、 と意訳してしまいそうなのですが、解釈に誤りがあれば訂正してください。 税金ですか。そういえば何にでも付いてきますね。 外食をするとその建物の固定資産税とか夜中だと深夜税とかも払うし、 外食をしないでカップラーメンを買うとしても消費税が付いてるし、 こうなったら野菜の種を買って、育った野菜を持って公園でメシだ、 ということにしても、野菜の種にも消費税はついてるし、 公園を作るのにも維持するのにも何たら税を使ってるだろうし。 とりあえず、払ったぶん、決められた範囲で、自分が仕合せになる使い方をして、 不足な部分を足してくださらんか、過剰な部分を捨ててくださらんか、 という交渉をする、ということで、だいたいの問題は解決しそうな気もするのですが、 交渉の通り道が詰まったり破裂しそうなときの脇道ぐらいはあってもよいかと。 ふたたびご質問のタイトルに戻って、 >生殖と恋愛と分けたらどうか? :すでにずいぶん分かれていて、道はたくさん用意されてる気もします。 問題は、まだ舗装されていなくて選択するのが現状では実際に困難であること、 あとは、「選択する」という権利がじゅうぶんに使われていないこと、など。 そういえば避妊具も進化しましたね。 女性が薬を服用してホルモン分泌を操作することもできますし、 子宮の入り口にシールを貼ることもできますし、 子宮の中に精子を殺すリングを埋めることもできますし、 こういった情報は求めなくても産院などから与えられます。 もしかしたら避妊成功率99.999%とかになるかもです。 ん?人体実験をして10万回に1回しか妊娠しないってことか? ちょっとこれは厳しいかもですが、 とりあえず「分ける」方向で進んでいるような気もします。 ふたたびですが、出生率下がりましたね。 社会が成熟し、成熟した社会との交わり方にはちょっと困惑しますが、 困惑しているだけかもです。

garcon2000
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なんというか、おっしゃることいちいちもっともですね。そして、結局人間社会や人間存在そのものって言うのは、おおいなるどうしようもない枠組みに組み込まれている、ということをおっしゃられているのだと思います。それによって、レストランの例も説明できます。必然的な付随物がある。これも妊娠と同じなのか? しかし、「子供を作ろう」とひどく冷静に、デスクに向かいながらでもできてもいいのではないかという考えを持ちました。この方が純粋だと思います。多くの場合は 「合体したい」≧「子供を」 の構図ですから。この「子供を作りたい」という純粋な意志をまず意志そのものを尊重したあり方と言うのはないものか、もちろんないのですが、その現実が悔しいじゃないですかと言う気持ちです。 人間と動物、違って欲しいと思うのです。

garcon2000
質問者

補足

生物的な生殖は、意志が関与しないわけですからしょうがないのですが、人間は意志がありますよね。なので、 「よし、生殖しよう」 と冷静に思うこと、そして、生殖器の興奮状態とか湿潤状態とかを必要とせずに、まったく普段のまま(もちろん服を着たままでしょう)、なにか人為的な意図的な操作をすれば妊娠が成立する、というような超自然的なことが現実になれば、それこそ、 「意志による生殖」 が完成したことになると考えるわけです。 ところが実際にはそうではない。多分に動物的な本能に踊らされて、やれその前に恋愛だ純愛だと騒いで、やっていることは動物の「意志の希薄」な生殖行為です。 もちろん避妊具はそれをコントロールしますけども、根本の「動物的操作」からはなれた「純粋意思的操作」で生殖しているわけではない。ここに悔しさがありますね。そういう質問の趣旨です。

回答No.10

garconさん。ふたたびこんばんわ。5番です。 分けてはどうかとgarconさんが提案しているのは、 「精神的境界侵入」と「物理的境界侵入」についてですか? 色欲肉欲保存欲親和欲の受け入れ先を分けるということ? インプット元、アウトプット先を分けるということ? ん~。ちょっと想像してみます。 おうちAと、おうちBと、おうちCがあります。 それぞれのおうちに排水溝がついていて、 その3つの排水溝から流れ出る水は同じドブにたどり着きます。 ドブの水かさを増やすために、 あるおうちAから流れ出る水を6倍にしてもよく、 おうちBでもよく、おうちCでもよいのですが、 それぞれのおうちから流れ出る水を2倍ずつにしてもよい、 かかる負担を分担して「ドブの水かさが増える」という同じ結果を得る、 そういうこと? 別の例だと、 二股試験管の開口部から出る湯気を増やすために、 どっちか片方に与える熱を倍にしてを加熱してもよく、 熱の強さをそのままにして両方を加熱してもよく、 どちらにしても同じ開口部からたくさんの湯気が出る、そういうこと? 欲を流す排水溝を分散しようではないか、そういうこと? これならわたしは不可能ではないような気もするんですが。 それとも「合体させられて」「子どもを造らされる」状況とは別に、 「合体して」「子どもを造る」状況を造ろうではないか、そういうこと? 主体的に精神的なり物理的なりの境界侵入ができて、しかも、 「合体させられずに済んで」「子どもを作らされずに済む」、 そういう状況を作ろうではないか、そういうこと? ん~。全部ちがう?

garcon2000
質問者

お礼

>色欲肉欲保存欲親和欲の受け入れ先を分けるということ? そういうことです。 たとえば(あまりいいたとえは見つかりませんが)、外食すると「食事する」ということを主目的にしているのに、税金を取られます。つまり、主目的にいやおうなく付随した物がついてくる、という強制性ですね。合体を目的にしているのに子孫がついてくる。 つまり、人間の「意志」の関与が希薄である。 創造者(仮にいたとして)の、種族保存の意思に、人間の本能は利用されている、その状況です。 >それとも「合体させられて」「子どもを造らされる」状況とは別に、 「合体して」「子どもを造る」状況を造ろうではないか、そういうこと? これに近いですね。 この、意思の積極的関与の有無が問題ではないかと思うのです。世の中、だんだんと意思を重視する風潮ですよね。それならその流れに生殖も乗ったらどうか?

noname#122427
noname#122427
回答No.9

お礼をありがとうございます。 何度も申し訳ありませんが、御邪魔致します。^^ 肉欲と恋(心の交流)と生殖。 私の個人的な経験は、 「肉欲の為に恋をして、肉欲の為に子を産んだ」と思っています。^^ (はあーーー酷い女だ。。。大汗) だって、そう(恋)しないと男だってちゃんと相手してくれない気もしますもん。 肉欲の支配を認識しても恋も愛も生殖も子育ても幸せも出来るのが人間の知性であり、不思議な(変な?)所かも知れません。

garcon2000
質問者

お礼

もっとも、人間のサガを言い当てているご回答かもしれないですね。多かれ少なかれ、すべての人に当てはまることだと思いますよ。私とて、そういう縁だったら、「肉欲」を価値観の最上位に持っていく人生になったでしょうね。

noname#122427
noname#122427
回答No.8

補足です。             人間の場合、「生殖」「熱い心の交流(=恋)」「肉欲」と三つに分けた方が考えやすい気がします。 更に細かい点を補足するなら、 ※「恋」と「愛情」の区別 ※「性欲」よりも明確に生々しい「肉欲」と言う表現 ですね。。。

garcon2000
質問者

お礼

>人間の場合、「生殖」「熱い心の交流(=恋)」「肉欲」と三つに分けた方が考えやすい気がします。 そう思います。しかし実際はそうではない。結局「肉欲」に支配されているだけですよね。そう思えなくても、それは錯覚です。 たとえば、「子供を作ろう」とか思って男女づきあいは普通しませんよ。しかし、高いところから見れば、結局愛だ恋だといっている動きと言うのは、そこに支配されていると言う構図です。これは全動物そうじゃないですか? 種の保存のために、創造主(が仮にいるとしたら)は、生物の主体性を認めなかった。「子供を作ろう」でなくて、「合体したい」だから。それによって、結果として子孫を生じることになる構図だ。

noname#122427
noname#122427
回答No.7

#3の者です。 そう言えば、と思い出して御邪魔致しました。 古代ギリシャではgarcon2000様のご質問通りだったそうです。 >男女間の恋愛というものがそもそも存在していなかったのだ。エウリピデスによると、「男にとって女は、子孫を残す為結婚せねばならぬ、避け難い災い」でしかなかった 。。。桐生操「やんごとなき姫君たちの寝室」角川文庫より。 これって 生殖→男と女(夫婦) 恋愛→男同士。。。。と言う事です。 >プラトニック・ラブと言う言葉は、いまは「純愛」などの意味にとられているが。本当は男同士の熱烈な友情のことだったのだ。。。同上より。 生殖を恋愛から切り離すと、恋愛はつまり「(熱い^^)心の交流」となりますから。 あ。。。ちなみに私自身も「恋は友情に含まれる心」と考えております。 肉に関する欲望はそれはそれ。 友情は愛情に繋がります。 でも恋が愛情に繋がるには友情の場合よりも強い意志と冷徹な視線が不可欠と感じます。 いかがでしょうか?

garcon2000
質問者

お礼

哲学まで踏み込むと、おっしゃるような高次元の議論になるのでしょうね。ただ私は、一般的な恋愛形態と言うのが、結局は本能のとりこになっている、そんなものを歌に歌うだのっていうことはなにか屈辱的ではないか、あるいは偽善性きわまるのではないか、と言う疑念を持ちました。

noname#78143
noname#78143
回答No.6

あーホモセクシュアルのことですか。質問者さん実はソッチの方? だったら馬鹿にして結構ですよ。

回答No.5

garconさん。こんばんわ。 いつもおもしろい問題を出しますね。 >生殖と恋愛と分けたらどうか? :そうですね。 今の日本の制度では難しいような気もしますが。 そういうのもアリだと思います。 どちらかというと賛成です。 国によっては合法的に精子が買えるようですし。 「家族の破綻」とも言えそうですし「家族の進化」とも言えそうです。 最近は、個人のプライバシーがどうの、ということで、 「家族」のような集団(社会)も、小さく、細かくなっています。 そうすると、その集団のメンバーひとりひとりの (時間とか空間とか金銭などの)権利も増えるのですが、 同時に責任・役割・負担も増えてきます。 >生殖と恋愛と分けたらどうか? :このように「つながり」を増やして責任を分散する というのもアリだと思います。 選択の結果、経済的協力など、捨てるものも大きいと思いますが。 哺乳瓶というすばらしく便利なものが発明され、 母親は1日に何度も何度も「母乳を与える」という仕事から「解放される」 ということを選択できるようになりました。 ミルク業者の人たちが頑張って研究して試行錯誤して、 ウシのお乳をずいぶん母乳に近づけることに成功しました。 ところが 「子どもを愛しているなら母乳を与えるべきである。 母乳を与えてこそ、愛情深い母親である。」というような運動が起こりました。 「進化している」にもかかわらず「昔に戻りましょう」「自然に帰りましょう」、 これはちょっと無理があるんじゃないかと思います。 そもそも「モノ」と「愛情」をつなげようってのも無理があります。 今は女性も遅くまでバリバリ仕事したいみたいです。 キャリアウーマンになって、気付いたら40歳。 でも自分の遺伝子を残したい、子どもを育てたい、 でもこれから相手を探してる時間もないし、 運良く相手が見つかっても、のんびり恋愛なんかしてるヒマない、 そんなわけで出生率も下がりますよね。 健全家族神話(?)みたいなのも、どうなんでしょう。 「家族のようなもの」の「恒常性」はある程度必要な気もしますが、 「安心して帰ることができる場所(母親のようなもの)」と、 「社会に【つなぐ】ドア(父親のようなもの)」があれば、 それなりに人は育つんじゃないでしょうか。 母親のようなもの=母親がやらなければならない、 父親のようなもの=父親がやらなければならない、 というわけではなく、「その役割」が「できる」人がいればよく、 また「したい」人がやったらいいと思います。 フランスは、戸籍制度が日本とずいぶん違うみたいです。 なんと新生児の母親の4割以上が未婚なのだそうです。 希望すれば居住地の役所から「同棲証明書」なるものが発行されるそうです。 「個人」に対して「権利」が与えられ、 与えられたぶん「個人」が「責任」を取っている、ということのようです。 しかし本能的に恋をして愛し合う、というのと、 この人の遺伝子を残したいと思う、というのは無関係ではなく、 人生を共有することに同意し合う、ということが、たまたま起こるなら、 それもいいかなあと思います。

garcon2000
質問者

お礼

新しい、人間形態と言うものを考えさせられますね。 ただ、一般的に、人間の情動が「本能」に踊らされていることが何か屈辱的ではないか?という変則的な考えが私の中にあって、それでこういう質問をしたのです。

garcon2000
質問者

補足

種の保存のために、創造主(が仮にいるとしたら)は、生物の主体性を認めなかった。「子供を作ろう」でなくて、「合体したい」だから。それによって、結果として子孫を生じることになる構図だ。

noname#122427
noname#122427
回答No.3

こんにちは、garcon2000様。 んーーー。。。 切り離したくても切り離せない、その「苦しい狭間」から人は「知性」を生み出し育てて来たのではないかな?と思います。 古くさい言葉ですが、 生殖、恋愛、愛、経済力、知性、感性、思いやり。。。 それぞれが「持ちつ持たれつ」なのだと思います。 適当過ぎる回答で申し訳ありません!

garcon2000
質問者

お礼

確かに、人間の本性と向き合うことで、知性を生んできた面はありますね。要は、人間は動物であることからはなれられないが、その範囲内でどうするかっていう問題でしょうかね。

garcon2000
質問者

補足

種の保存のために、創造主(が仮にいるとしたら)は、生物の主体性を認めなかった。「子供を作ろう」でなくて、「合体したい」だから。それによって、結果として子孫を生じることになる構図だ。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.2

生殖というのは、ある種の攻撃本能だと思います。 単に行為の形態のみならず、合体し互いに相手を自分に取り込む、ということでしょうから。 ところで、攻撃本能というのはタナトス(死の欲望)の顕われです。 タナトスとは安定、すなわち落ちつきたい、という欲望です。 精子なり卵子なりは、単独では非常に不安定な状態で存在するということになります。 この不安定さから脱却するために合体し増殖しようとするのだと思いますが、その結果として生じる新たな個体は、再び「生」という不安定な状態に突入することになります。 ただ、この不安定さは同時に可能性をも内包することになります。 それゆえのエロス(生の欲望)でもあるわけでしょう。 このように、不安定から安定を目指し、結果として不安定を生じる。 再び安定を目指す。 大雑把に言って、こういう構図じゃないでしょうか。 つまり、精子なり卵子なりを保有するので不安定さが生じ、それゆえに安定したいという欲求も生じる。 生殖の元となる精子や卵子が関与しなければ不安定は生じないでしょうから、自ずと合体したいという欲求、すなわち恋愛という現象も生じないでしょうね。 意図されているところの恋愛とは趣を異にするのでしょうが、 自我段階におけるエロスが愛情であったり友愛であったりするのに対し、超自我段階におけるエロスは慈愛となります。 とはいっても、超自我段階のみにおけるエロスの発揮というのは、バランスという側面から見ると偏りがあることになります。 それはそれで価値あるものですが、生殖機能の衰え(=自我的恋愛の要素の薄れ)とともに、慈愛が増していくという流れが自然だろうと思われます。 ご質問の意図に沿えていたかは不明ですが、このような感想を持ちました。    

garcon2000
質問者

お礼

確かに、生物的な安定、あるいは不安定の合理的存在理由はそういったところのにあるのでしょう。そう生物的に考えれば、恋愛は本能の一種であるという事実に甘んじることに何の疑問もないのです。

garcon2000
質問者

補足

種の保存のために、創造主(が仮にいるとしたら)は、生物の主体性を認めなかった。「子供を作ろう」でなくて、「合体したい」だから。それによって、結果として子孫を生じることになる構図だ。

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