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青年、学生、若者におすすめの古典文学
車輪の下はある理由で学園生活に馴染めなくて退学した僕にとって非常に共感できるものでした。これを皮切りに文学作品を読み進めようと思うのですが膨大な数になる古典文学の中で中には読むと青少年に悪影響を与える本もあると思うのです。なので大半の若い人の心の中に秘めた若さゆえに持つ感情に悪影響を与えることなく感情を鼓舞したり若さについて考えさせてくれる文学作品を紹介した皆さまのアドバイス、または書籍かサイトを教えて下さい。
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まだお若い方にはピンと来ませんでしょうが、小説などのフィクションの類はどんな名著であっても、所詮人間の頭で想像できることが書かれております。一方、ノンフィクションの名著には、人間の想像力では辿り着けないような、途方もなく崇高な事績が書かれてあります。私は自然科学者ですが、科学の発見でも、我々人間んが前もって予測がつくような現象の中での発見は、大抵の場合第二級の発見です。偉大な発見は、殆どの場合、自分の狙った方向とは全く違った副産物として出てくるものです。したがって、たとえ古典であっても、フィクションはエンターテイメントとして頭を休める時に読む物と考えるべきで、それで人生を勉強しようなどと考えると、底の浅い人間にしかなれません。 若い方に取っては、多分西洋の古典で先ず外の世界を学ぶのが良いと思います。西洋の古典の専門家になる訳でないかぎり、外国物はもちろん翻訳で十分です。西洋の良い古典を読んで行くうちに、たぶん40才ぐらいの頃から、もう西洋は良い、日本はどうなのだ、と言う気持ちが自然に湧いてくる物です。その時に、日本の古典の名著を、翻訳ではなくて原文で読み始めることをお薦め致します。日本の古文は日本語だと思うから一見難しそう見えますが、それを外国語だと思えば、こんな易しい外国語はありません。 さて、西洋の古典で是非若い方に読んでもらいたいのは、ヘロドトスの『歴史』です。これは、若者に、自分たちが今考えているようなことは、すでに2千5百年以上前に殆ど出尽くしていることを教えてくれる点で、重要です。そんなことは、大人になっていろいろ経験するようになれば誰にでも分かることなのですので、この本を40才過ぎて読んでも余り価値はありません。ところが、40才前にはそんな当たり前なことが理解できていない方が殆どなので、若いうちに是非読んでおくべき本なのです。 西洋では、西洋人が自他ともに認める教養人になるためには、ギリシャやローマの古典、その中でも特に歴史関係の古典は必読なのですが、そんな昔の時代の本は現在余り残っていませんので、40才前には哲学書以外でのその時代の、多分ほとんどの古典を読み尽くすことが出来ます。私の経験では、『ソクラテスの弁明』や、エピクてトスやエピクロスなどのごく少数の哲学書を除いて、専門家になるのでない限り、哲学書で余り役に立つ本は無いようだと思いました。 それよりも、モンテーニュの『エセー』を読むと、例えばプルタークの『比較英雄伝』やツキジデスの『戦史』など、ギリシャとローマの古典のうちのどの本を読んだら良いかを教えてくれますので、この本は、その分野の適切な入門書だと思いました。また、モンテーニュの懐疑論に対する解答としてデカルトが出て来たとも言われていますので、そう言う意味でも『エセー』は重要な本です。さらに、『比較英雄伝』を読めば、誰だって司馬遷の『史記』を読んでみたくなります。このように、ギリシャやローマの古典から入って行くと、人から教わらなくても、ギリシャやローマに限らず、中国の古典まで含めて、次に何を読むべきかの基準が自ずから貴方の中に出来てくるはずです。そうすれば、近現代に至るまでの名著の中で、どれが貴方にとって共感が持てる本であるかも分かってくるようになります。貴方もきっと40を過ぎる頃には、自分でどれだけ多くの人類の名著を読んだかに気が付いて、驚くことでしょう。その段階で、いよいよ日本の古典を読んで、日本人の偉大さを満喫して下さい。 古典の読み方のコツですが、古典は決して抜粋を読む物ではなく、必ず全巻を読むべきです。そうしないと、いつまでたっても古典の専門家に太刀打ちすることが出来ず、自分に自信がつきません。良い読書とは、自分に自信が湧いてくる読書のことです。また、解説を読まずに、いきなり本人の書いた物を読むべきです。その古典は、解説によって有名になっている訳ではないのですから、解説は読書に疲れた時の暇つぶしに読むべきです。また、読み始めて最初の数十ページは、たとえ退屈でも読み進んで下さい。もし貴方の中に用意ができていた場合には、そのうちにその本に引き込まれて、読み止められなくなってしまいます。ですが、百ページ近くたってもまだ面白くなかったら、その本は今は読まずに、後でもっと他の本を読んでから帰って来るべきです。貴方の心の中に、まだその本の偉大さを理解できる準備ができていなかったのですから。
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恐れず、ご自分の興味でいろいろ読まれたらどうでしょう。本との出会いも人生に大きく影響しますよね!インスピレーションや無意識のほうが意識下の言語的思索より大きくて影響するものだそうです。 私は古典でもないし意地悪と受け取っていただきたくないのですが、「窓際のとっとちゃん」は夢があっていい本で大笑いできて大好きでした。難しいかなと思ったけど、メフィストフェレスが出てくるの・・・何だったかな・・・「神曲」ダンテかな、若いころ面白かったでした。パール・バックの大地とか。梅原猛さんの「闇のパトス」とか若い時分のエッセイも面白いでした。中学の頃はSFばかり読みました。バロウズの火星シリーズだの、アシモフのファウンデーションとか。 日本のは志賀直哉先生の短編が明るくて読みやすいですが、大人になってから読みました。芥川龍之介の短編のほうが読みやすいでしたね。 北杜夫先生のさびしい王様シリーズには馬鹿笑いしました。 一方で中国の思想家の本やジューベールなどの簡単に解説した名言集とかも好きでしたよ。伝記も、面白いですよね。 余談ですが中学の同級生で二人進学校に進学して中退されましたが、学校が合わなかっただけで勉強は好きだったので、すぐ大検を受けて立派な資格など専門学校でとられて、堅い仕事につかれて、大学進学の子より早くお嫁さんももらって幸せそうですよ。
お礼
エンデのモモはあらすじを聞いて読みたいと興味を持ったので読みました。大当たりで自分の欲求に従って読んだ結果心の財宝の一部になった小説です。 とっとちゃんは自分も少年時代読みました。ちょっと変わり者ですがあの自由で快活なとっとちゃんの面影を黒柳徹子は今も残しているように見受けられますね。 梅原さんの小説とSF小説は守備範囲外でした。自分は中学の頃は恋愛小説ばかり読んでいました。読んでいた割には今でも恋愛下手です。 志賀直哉はその人柄に似て作品も良識的な小説が多いみたいですね。小僧の神様は自分も読みましたがどんなお話だったか忘れてしまいました。思い出す意味でもまた読もうかな。思い出すきっかけを与えてくださって感謝です。 メフィストテレスがでてくるのはゲーテの「ファウスト」だったと思います。二冊分けで一冊一冊が分厚いので未だに読み切ってはいないのですがこれは万人におすすめできる作品だと思います。それより問題はファウストの世界観に僕の理解力が追いついていないことなんです。どうでも良い私事ですが。 受験競争で落ちこぼれた自分にとって回答者様の同級生のような人生の成功談を聞くのは励みになります。今は未だに挫折感から抜けられなくて苦しいですが自分も温かい家庭と持ったり人への思いやりをもてる人間になりたいものです。アドバイスありがとうございました。
- blazin
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サリンジャーの「キャッチャーインザライ」は一度読んでおいた方が良いでしょうね☆
お礼
村上春樹訳だとキャッチャーインザライでしたっけ?一つ前の世代の訳のライ麦畑でつかまえてを積読しています。 ジョンレノンを殺害した熱狂的ファンの愛読書でもあったそうですね。 それだけ聞くとちょっとマイナスのイメージを持ってしまいそうですが よく若者向けの文学として薦められているので読んでみたいと思います。 が人によってはくだらない読むべき本ではないと批判する人もいたので僕の肌に合うかドキドキします。読んで価値観が歪まないといいな…推薦ありがとうございました。
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お礼
一人の文学に関心のある青年がどういう書物を読むべきか有益な書物を明示し、その後どういう世界観を求めて別の書物を読み、 さらにはその結果どれくらい豊かな心を兼ね備えた成人になるかの回答者様の体験を踏まえながらの具体例を示してくださってありがとうございます。 40歳になった大人とは親や親戚以外ほとんど話してこなかったし、ましてや40歳の大人の持つ共通感覚や世界観については若輩者の自分には初めて教わることばかりです。 自分は文学して生きていくきっかけとして一時流行ったあらすじで読む世界文学シリーズを買ったクチです。 確かに小説を要約されたり抜粋された物語を読むことと実際にその小説を読むことには大きな隔たりがありました。 卑近な例で例えるなら行列のできるラーメン屋名義のカップラーメンを食べて(要約、抜粋を読んで)そのラーメン屋に実際に行って食べてきたような(小説を読破したような)錯覚でした。 でも絶対カップラーメン(要約)だからと言って全部美味しくない(読めたものではない)わけでもないとも、思います。 せっかく2500年以上かけて築いた人間の英知を若さからくる未熟さのせいで共感もできないのに詰め込み式に吸収して頭でっかちな人間になって宝の持ち腐れにならないよう機が熟すまでは書架に眠らせるべき小説もあることを再確認しました。 自分が40歳になるであろう将来への楽しみが増えました。 たとえ本を読むのは人の自由なんだからどんな小説をどんな読み方で読んで己の血肉にするかにきまりはないとしても古典文学の読み方との付き合い方のいろはを教わった気がします。 自分はその道で数をこなしてきて流儀を見出したベテランのかたの意見 も聞きたかったので一意見として大変参考になりました。ありがとうございました。