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近代文学で逃避行
今古典文学を勉強しています。 古典の作品の中には、身分違いの恋やそれによる逃避行といった展開が結構あります。 そこで思ったのですが、近代小説でそういった展開の作品はありますか? もしあれば是非読んでみたいので、教えてください。 宜しくお願いします。
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- d-drop
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こんばんは。 tomoe17さんがイメージしておられる“逃避行”とは違うかもしれませんが、 『門』(漱石)は如何でしょう。 いわゆる“不倫”の末、一緒になった夫婦の話です。ふたりとも、そのために払った代償は大きく、親族や知人とも遠ざかり、ひっそりと暮らしています。そのかわり夫婦の結びつきは強く、ある意味理想の夫婦です(ここの夫婦の描写は、近代文学屈指の名文とされてます)。ある日、夫人の元の夫(不倫の被害者です)が現われるという噂を、夫のほうが耳にして……。 ふたりの不倫の顛末は、『それから』という作品に書かれています。あわせてお読みになるといいと思います。 ちょっと理屈をいいますと、「近代」という時代は、歴史でいうと、「個の自覚」が現われるのと並行して、「国家」が「個人」をいろんな方面から統制しようとしはじめる、そして、その二つがせめぎあう時代、というふうに捉えるのが普通です。 つまり、近世以前のような「体制から逃げる」ということが、とてもできにくくなってゆくんですね(近世もそうですが、それ以上に)。「体制」を離れての、「別天地」がなくなってゆくんです。 だから、この『門』の夫婦のあり方は、近代的な意味での「逃避行」といえなくはないか、と思うんですよ。「体制」のなるべく隅に、息を潜めて暮らすというような。 あと、私は、個人的に、『それから』と『門』が大好きなんですよ。読み応え充分です。読んでおいていい作品かな、と思います。 以上、なんだか理屈が多くなりましたが、ご参考になれば。
- luune21
- ベストアンサー率45% (747/1633)
けっこう難しいですね。新感覚派前までを近代として考えてみました。 広津柳浪『今戸心中』吉原心中 樋口一葉『にごりえ』無理?心中 小泉八雲『赤い婚礼』少年心中 青田米松『煤煙』平塚雷鳥との逃避行(心中未遂) 少し違うかも。すみません。