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ピストル販売の広告
1911年(明治44)8月31日付「朝日新聞」に出ている広告です。 「この物騒な世の中でもピストルがあれば安心して居られます」 「米国最新式ピストル六圓半より・・」 前年1910年に公布された鉄砲火薬類取締法で 民間人の銃所持は原則として禁止されているのですが、 こんな広告が出るということは当時はそんなに物騒な世の中だったのでしょうか。 象徴的な大事件があったのでしょうか。 教えてください。
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普及率そのものは明治のほうが低かったでしょうが、士官の拳銃は自弁という状態は変わってません。 そして1911年ともなれば、二度の対外戦争も経験していますし、ピストルを護身に持つというのは一般化していると思います。 護身用に拳銃を持つというのは、日々の護身ではなく戦場で乱戦に巻き込まれた場合の護身という意味で、第二次大戦まではその必要もなかったかと思います。 要は軍人は、武士が脇差をいつも持っていたように、自分でいつも銃を携帯しておきたいものなのです。
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- jkpawapuro
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戦前の士官は護身用に拳銃を持っている姿が一般的に描かれていますが、実際一般的ではあったのですが、あれは個人所有で軍としての装備ではないんです。 軍としては仕官の護身用として軍刀を与えています。 (実際には役に立ちませんが) とはいっても、士官になったら自弁の拳銃を持つのが一般的だったので、戦前には万単位の拳銃の需要があったわけです。 なお、機関銃手など、拳銃を装備する必要のある下士官以下の兵には、制式拳銃が支給されます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私の場合、戦前と言えば昭和時代を想定するのですが、明治末でも同じように考えてよいのでしょうか。 「士官が護身用に拳銃を持っている」ということは、軍隊内部の治安もよくなかったと理解してよいのでしょうか。
- pri_tama
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1911年といえば、前年に「大逆事件(幸徳秋水事件)」という明治天皇を爆裂弾で暗殺しようとした企みが発覚した年(判決は1911年に出ています)ですから、国民にアナーキスト(無政府主義者)に対する不信感と世間の不穏感を抱いていてもおかしくは無いと思いますが…。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E5%BE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6 まあ、そんな事無くても警察官や軍人等は普通に個人所有(士官学校を卒業した人にお祝いとして拳銃を贈るのも普通だった)していましたし、警察署で許可さえ取れば、国外旅行や狩猟用目的などで所有できましたから、広告が出ていてもおかしく有りません。 (まあ、現在でもエアピストル4段で警察署で申請すれば、空きが有るので所有[護身には使えない]できるみたいですが…。)
お礼
「士官学校を卒業した人にお祝いとして拳銃を贈るのも普通だった」 なるほど、そのような用途もあったのですね。 ご回答ありがとうございました。
- k16399638
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詳しくないですが、戦前、拳銃販売の広告はよくあります。 一般人も軍人も、舶来のブロウニング拳銃とか買っていましたし、満州などの市場地図みると欄外の広告に、拳銃○○商会 大陸のお供にぜひ、なんてあります。弾丸も売っていました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 満州の地図の欄外に拳銃の広告が出ているのですね。 ということは、それだけ治安が悪かったということでしょうか。 「満州は豊かで治安が良かったから人口が爆発的に増えた。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない」と論文を書いた航空自衛隊幹部の人がいましたね。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 武士の脇差と同じ心構えですね。 自決用にもなります。納得しました。