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恵比寿はもとは蔑称の夷?

恵比寿さまは民間信仰の対象になっていますが、夷という字はそもそも甲殻類をあらわす単語だと思います。なぜそもそもが蔑称の単語が、崇拝される対象としての存在を表す単語に選ばれるのでしょうか?

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noname#80116
noname#80116
回答No.1

 次のように推測したことがあります。  《東夷》という考え方を使って 西日本の日本人が 東日本に住む主にアイヌ人のことを指して言ったのだと推量します。  東夷は 中国のいわゆる中華思想から借りたものでしょう。東の方の未開人というような。  異族や野蛮に対して 軽侮の念を持つことは 転じて 恐れや或る種の敬いを持つことにつながるようです。稲荷神社では狐を祀っています。めでたい神さまに成り変わったのだと考えられます。  蝦夷の蝦は 《えびす》の《えび》にちなんで持って来たのでしょう。  では なぜ アイヌが えびすであるのか。  しろうと推測ですが ご批判にさらすように 述べます。  次の語の語源を推測するかたちをとります。    蝦夷・毛人=    ・えみし(愛瀰詩)    ・えびす(恵比寿)    ・えぞ(外国人の文献で yezo )  ところで アイヌは アイヌ語で《人》を意味する語ですが その発音は アイノとも聞こえます。  また 神は 日本語で カム(加牟)ともカモ(加茂)とも表わせるし発音できる《 kamoe 》(*)だったと思われ これを受け容れたアイヌは カムイというかたちで用いたようです。    * オともウとも発音する例     ○ 己(おの・うぬ):己(オノ‐れ)・自(ウヌ)惚れ     ○ 拭(のご・ぬぐ)う  恐らく末尾のイは むしろ日本語で 《事》を意味する《イ》 つまり《或る・イ・は》のイで これを 《神》の語にも つけたのではないかと考えられます。そのカム‐イ・カモ‐イは やがて カムィ・カミとなった。《 コ・ク=木》が やはりいまのイをつけて クィ・キ=木となるようにです。〔木(コ)の葉・木(ク)だ物=果物〕。  とすると アイヌ(アイノ)という語にも このイをつけて日本人は アイヌイ・アイノイと言っていたかと疑われます。〔銭(セン)→ゼニ; 罰(バツ)→バチなどの例〕。これは 発音上 経済性の法則で さらに →アイヌィ・アイニへ変わり そしてさらに →アェ二・エニとなったと推測されます。〔絵=カイ(これは そのままですが)・フエィ→ヱィ・エ〕。  簡略につづけますが 漢語の《文(ブン)》が 《フミ(文)》に 《簡(カン)》が 《カミ(紙)》になったように アイノイからのエニが エミとなった可能性が考えられます。/ n /→ / m /。  ところで 沖縄では 本土の日本人を 大和人(やまとひと→)=ヤマトンチュウと言うようです。そこで エミと名づけたアイヌ人のことを エミ‐人(ひと)と呼んだと まづ思われます。そうするとこれが エミンチュと転じたのではないかというところまで たどりつきます。沖縄で 海‐人→ウミンチュというようですし 日本語でも 秋‐人(あきひと)→アキンド(商人) あるいは 狩り人→カリウド 夫(をひと)→オットという類いです。  恵比寿の寿(ジュ)が スに転じたように けっきょく エミンチュが エミンスと成りえたと考えます。《寂》を サミシイとも サビシイともいうように このエミンスが さらに エビンスにも転じるのは たやすいことです。《ン》は 消えうると考えます。そうすると ここから さらに 例のイを付け加えて エビス‐イから エビシ あるいは エミシという発音に落ち着いたと推測するものです。〔蘇我蝦夷(エミシ)〕。  あるいは アイノ‐イ→エニから エニ‐人(ひと)を作りこれは エンド・エンチュへ変わり さらに エンゾ・エゾへ推移するという線も同じようでしょう。この場合は さらに例のイをつけてはいないのですが。  アイヌとは 壮絶な戦いもあったようですね。  試みとして参考までに。

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  • kigurumi
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回答No.2

昔は日本は統一された国ではなかった。 各地にそれぞれグループがいた。 一つの強力なグループができた。大和朝廷。 周りのグループを取り込んで大きくなっていった。 蝦夷とは、大和朝廷に服従していないグループの総称。 ギリシャでは異民族は別の言語を喋るので、その喋ることがバルバロみたいに動物の鳴き声のように聞こえるので、自分たち以外の集団をバルバロイと呼んだ(バーバリアン)。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%88%E3%81%B3%E3%81%99 『えびす神の漢字に戎や夷などが当てられている事は、中央政府が地方のまつろわぬ民や東国の者を「えみし」や「えびす」と呼んで、戎や夷の字を当てたのと同じことで、いずれも異邦の者を意味している。』 『記紀神話の中の国譲りの項で、天津神からの国譲りの要請を受諾するかどうかを大国主神の使者が事代主に聞きに行ったとき、事代主は釣りをしていたとされ、その海で釣りをする姿とえびすの海の神であることが結びつき、同一の神とされるようになったといわれる。』 地方で信仰されていた神と事代主が習合していますね。 夷。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B7 『中華思想に基づく、異民族の呼称には、夷のほかにも、蛮や狄といったものがある。字面を見ればよくわかるように、蛮は虫がついており、狄はけものへんになっているなど、異民族は動物扱いされ、真っ当な人間ではないとされている。しかし、夷という字にはそういうものがなく、そこに東の優位性を見出そうという考えが生まれた。』 東京。 京の東、京から下った場所とさげすまれていたが、今では日本の首都になっている。 昔は日本は中国の一部と考えられていた。 倭国。中国より下という意味を含んだ。 今では和国という文字を当てている。 えびす。商売繁盛の神として奉られているその銅像を見ると鯛を釣った姿。 海老で鯛を釣り儲かるって意味なのでしょうか。 いずれにせよ、日本は中国とは違う別の国という認識が起こりだし、中華思想と決別したのではないかと。 決別するまで幾多の困難があったでしょうけど。 それまでは中国にあこがれており、中国で旗をあげることを夢見ていたようです。 地方の人が上京して旗を揚げたいという願いと同質なものだったのでしょう。 夷という漢字の語源を探したのですが辞書に載っていませんでした。 ですが、漢字は多くが象形文字ですよね。 これも象形文字だとしたら、蛇を表しているのではないかと。 蛇といえばジョカ、、、出てきませんね、変換できず。 えっと、、、あった 女媧。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E3%82%AB 『女媧は中国少数民族の苗族が信奉した神と推測されている。』 日本のイザナギ、イザナミと同じような概念を持つのが女媧と伏羲。 これを聞くと何故古事記で、イザナミとイザナギが柱の周りを回り天地創造をしたとなったのかわかるような・・・。 まっ 中国の強い勢力からしてみれば、ミャオ族はバルバロイなわけですね。 あっち方面からも日本に渡ってきたのかもしれない。 その人たちが持つ民話が日本の民話になったのかもしれない。 海彦 山彦の話とそっくりなのが中国にもありますから。 で、日本列島のあっちこっちに異なる民族がそれぞれ住んでいて、そのうち強い勢力が支配範囲を伸ばしていったが、それに同化しなかった人々は東に追いやられていき、最終的に捕囚され土地に閉じ込められた。 かなり強くてなかなか服従しない集団もいて示しがつかないと思ったのか、坂上田村麻呂が討伐し俘囚とした。 これが現代にもつながる部落差別の起源でもあると思えます。 部落とされる人は土地から出れないような風潮にしてしまったでしょ? 部落の人が外に人と結婚できないようにしたし、部落出身者だとわかると破談になっていますでしょ? どうして差別するのか知らなくても、部落出身だとわかった途端、破談になるでしょ? どうして差別があるのか、大和朝廷を奉ろわないと、子孫永代まで祟ってやるってことでしょうか。 異民族っていったって、日本に住む人は同一民族じゃない。 いくつもの民族が混じっている。 でも一つの国家というか集団を奉ろうことで、メジャーというグループに取り込まれていったんだと思えます。 恵比寿ってのは、もともとは大和朝廷を奉ろわなった集団の守護神だったのかもしれないですね。 しかし、いつのまにか商売繁盛としてメジャー集団に食い込んで奉ろわれている。 習合することで生き延びた貴重な七福人の中の地元信仰出身の神。 他の神は外来なんですって。

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