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道祖神の知識を深めたい
初めまして。お暇な時に書き込んで頂けると幸いです。 道祖神の知識を深めようと、書籍などの参考文献を探しています。特に東北地方は人形を【信仰の対象とする偶像崇拝】みたいな民間の信仰形態(持論と云いますか、独断です)が多くあるようなのですが、道祖神と云う表現になると情報が激減します(飽くまでネットの検索上は)。 ネットで調べると、出典に用いたらしい古い書籍などの情報は出てくるのですが、古いが故に内容にまで言及しているページは殆どありません。道祖神の定義が曖昧な部分もありますが、知識を深めるのに役立つような書籍などの情報を教えて頂けると幸いです。 それに伴って東北地方の、精霊信仰、祖霊信仰など土着の信仰を調べるのにも役に立つ書籍もあれば教えて下さい。お願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
道祖神には、さまざまな呼び名があります。 塞(さえ)の神、障(さえ)の神、幸(さい)の神<、賽(さい)の神、道(みち)の神 岐(くなど)の神、久那斗(くなと)の神、船戸(ふなと)の神、衢(ちまた)の神、道俣(ちまた)の神 八衢比古(やちまたひこ)・八衢比売(やちまたひめ)、道陸神(どうろくじん)、道六神(どうろくじん)、手向け(たむけ)の神 などです。 また、一説によれば様々に形を変えていて、どんど焼きを賽の神と呼んだり、荒神や庚申と一緒になっていたりもします。 ネット上ではこの辺で検索してはいかがでしょう。
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- 666protect
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質問者様の独断ではなく、人形を祭祀対象とする道祖神信仰は東北地方に(関東の一部にも)実在します(「カシマ様」「ショウキ様」などと呼ばれることが多いようです)。 最もくわしい文献は、神野善治『人形道祖神』(白水社・1996年)でしょう。古本屋では現在も入手可能ですが、1万円以上と高価なので、図書館で探されてはいかがでしょう。 また、萩原秀三郎『目でみる民俗神(3)境と辻の神』でも、41~7ページにかけて人形道祖神がとり上げられています。こちらも新刊では入手不能ですが、さほど大きな図書館でなくても置いてあることが多く、手軽に参照できます。 またこれは未見ですが、網野善彦『日本歴史民俗論集(7)海・川・山の生産と信仰』(吉川弘文館・1993年)にも、「東日本の人形道祖神」という項目があるようです。 余談ながら、『宗像教授異考録』という漫画の4巻第1話にも、人形道祖神をはじめとする道祖神信仰がとり上げられています。興味がおありなら読まれてもよいかと思います。
お礼
お返事、ありがとうございます。 『人形道祖神』(白水社・1996年)は既に注目済みですが、手に入れるのは難のようです。 『目でみる民俗神(3)境と辻の神』や『日本歴史民俗論集(7)海・川・山の生産と信仰』に関しては初見ですが、後者の書籍は目録が載っているようなサイトはないみたいです。残念です。 人形、ないし道祖神ではなく、民族神を置き換えた、代替物として偶像を利用した・・・と考えるがやはり調べる手法としては適当なのかもしれません。 となると東北の歴史や文化を扱ったモノも目を通さなければ、東北地方の道祖神は理解(出来るような気はしませんが・・・)を深めることは出来ないようです。
補足
質問者です。 一通り情報は出尽くした感がありますので、書き込みの方を締め切らせて頂きます。また、簡単ではありますが、この質問に答えて頂いた皆様に、まとめてですが、改めてお礼を述べさせて頂きます。 一応、資料に関しては入手出来ないモノも多いので、読んでないモノが殆どですが、皆様の返事から、私がこのような結論を得ました、と云う事を明記させて頂きます。 もし、この質問を見て何かの参考になれば・・・と云う事で、自論ですが、纏めさせて頂きます。
- tanuki4u
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いろいろ他でも見てみましたが、学術的にはブラックボックスですね。 無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和 これが1978年網野さんの著作で、 『中世の風景(上・下)』(中央公論社[中公新書], 1981年) 阿部さんとの共著がこれ。 網野さんの中世史が能登の時国家など、どっちかというと西日本が多いですし、阿部さんとのコラボレーションが西欧=日本そして日本の中での東日本・西日本とかに進めば、東北地方の道祖神にも進んでいたかもしれません。 里の国の中世―常陸・北下総の歴史世界 という本がありますが、これが面白いかな・・・読んでないけど。
お礼
お返事、ありがとうごいざます。 やはり、道祖神は単独で伝播していった文化ではないのかもしれませんね。 本格的な道祖神の研究書籍を読んだ事はありませんが、東北のそれは純粋ではない可能性が強く感じます。 東北における道祖神の展開は、歴史の経過と共にどのような文化が広がっていったのか?を注目する必要があるようですね。
補足
自分の質問に、自分で応えられないので、補足と云う形で投稿させて頂きます。最新のA.No.07から順に補足を呼んで頂ければ幸いです。以下は、その続きです。 東北地方に於ける道祖神の展開は、文化的な背景を伴うモダンな信仰であるものの、その源流は以下のようなプロセスを経ていると思われる。 中部地方を中心に展開した神話や文化(有史として纏められ、テキスト化され、何らかの資料が確認できるような大衆文化)の広がりに伴い北上して行った大衆的な(メジャーな)宗教(信仰形態)が、ひとつの要素である。 それらは、アイヌの文化(アテルイor悪路王などを鑑みて)と、既に東北で定着していた土着の民族信仰(非偶像。恐らくアイヌなどに見られる事象の神格化などの精霊信仰、祖霊信仰が元かと)と東北で融合し、人形と云う偶像を得て、現在の道祖神と云う解釈で括られているのではないかと。 つまり、東北に於ける道祖神の展開は、北上した大衆文化(宗教も含む)と、南下したアイヌ文化が、東北と云う土地に落ち着く為に融合し、変化したものである。 故に当時の大衆文化と、アイヌ文化、東北の民俗信仰を個別に理解したうえで、現在の道祖神(人形道祖神)の展開を理解する必要があると思われる。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
すでに他の方が指摘されていますが、道祖神の原型の一つとして さいのかみ さいは さえぎる であり、日常世界である村落から、旅などで異界に行くときに越すポイントです。 なので、斎場でもあります。 京都で言えば 鳥辺野など http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shi-bu/kyoto.rekishi/sandaisousouchi.html 小集落では 辻 道祖神をまつる場所となっています。 異界への旅立ちのポイントは、異界から来訪する場所でもあるので、来て欲しくないモノには、結界を結んで防ぐ必要があります。 防ぐときに、伝承として力のあるモノを連れてくる必要があり、東北地方におけるその力あるモノの一つとしてアテルイ(=悪路王)があるのではないかなと思うわけです。 悪路王の 悪路 自体は当て字ですが、当て字をするときに「悪」=強いというのは理解しやすい当て字です。悪源太など、人間とは思えない強さを発揮するものに当ててます。では 路 はなんなのか? すでに道祖神とある程度の融合が行われていたのであれば、路を当てるのは当たり前と推測されます。 まぁ上記の考えは、すべて思いつきで、学術的背景はありません。学術的検討の範囲外であるということもあります。
お礼
お返事、ありがとうございます。 どうも歴史的な部分が絡んでくるとどうも理解力が落ちてしまうので申し訳ありませんが、悪路王について持論をちょっとだけ展開しているページがありました。 http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/tohoku/kaen.htm どうやらアイヌ語の【アコロ(われわれの)】という意味が重要みたいです。もちろん、このページを作られた人の見解ですが。 ・・となると、道祖神と関わっていると云うよりは、【強い奴がやって来た】的な意味合いで悪路王と当てたのかな?と思います。 寧ろ私は今までの意見を聞いて、アイヌの信仰形態が、中部などで発展した神話と、東北で融合した結果のそれが東北地方の人形道祖神の原型になっていのかもしれない、と感じました。
- goo-par1732
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東北で思いついたのは「オシラサマ」です。 姿・形は次のURLを開いてください。標準的なオシラサマの写真が載っています。 布を巻きつけたり、着物を着せたりしたオシラサマもあります。 加藤敬著『イタコとオシラサマ』学研。 http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f51536530 Wikipediaでは、「おしら様」で養蚕や農業の神となっていますが、異説も多いです。 例えば、梅原猛著『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る』では、アイヌの神が原型と されています。 道祖神や石仏の写真を趣味で撮っていますが、東北と限定されると詳しくは知りません。 いつも利用している「歩き旅サーチ」の中に「テーマ歩き・石仏巡り」というHPがあります。 この中に「道祖神」をテーマにしているHPがいくつかありどれも写真が豊富です。 HP作成者とMAIL交換できますから何かヒントが得られるかもしれません。 http://japan-city.com/aruki/ 道祖神という呼び方は、中国からきた漢字をそのまま訓んだもので、日本の古俗では「サエノカミ」と言われていました。 「サイノカミ」「セイノカミ」と呼ぶ場合もあります。 元は、塞ぐ、遮る意味で、自分たちの集落へ悪霊が入り込まないように村境に祀ったものです。 昔からの道が残っている田舎の村へ行けば見つけることができます。 道路の拡張工事でとんでもない所へ移っていることもしばしばあります。 自然の石そのままであったり、石に道祖神と彫ったり、さまざまです。 道祖神がいつ頃「性神」に変貌したのか、今のところまだ不明らしいです。 自然の丸石をそのまま置いた初期の姿から、いつしか石の形を選ぶようになり、造形するようになったと考えるのが自然ですね。 男女の双体道祖神は江戸期に出現しますが、本来の「塞ぐ」という観念はなくなってしまっていますね。 被写体としてはよいですが・・。
お礼
お返事、ありがとうごいざます。 アイヌの文化については全く詳しくないのですが、現象を神格化した上で敬い、共存する、精霊を重んじると云った印象を、私個人は持っています。 幾つかの意見を聞くと、寧ろ東北の道祖神の定義は不確かと云うよりは、不適切なのかもしれないと思えます。 何れも黄泉(異界?)との境界を明らかにすると云った趣の強い道祖神の役割ですが、古事記なんかに登場する辺りが道祖神と云う現在の認識の源流になっているかな?と感じています。 だからこそ東北地方は中部とかを中心に展開した神話の延長にないのかもしれないと。歴史的な背景は苦手なので、東北がどのような辺りから文化的(よりモダン)になっていったのかは分かりません。 しかし、現存する東北の道祖神は多くの不純物があるのかもしれません。そもそも道祖神と云う側面から理解しようとするのは間違っているのかも・・・などと思考が迷走しています。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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古くて庶民の生活的、だからこそ習合も進んでいるのかもしれませんが、興味の尽きない内容を私も期待しております。 あることろで眼にしたのは、黄泉との境目におられるとか。そうすると、民話・説話などの異界や、この地上人生から旅立ったときにも出会いそうな気もします。 一里塚のようなものではなく、道祖神とはそういう境界的な性格も多分にありそうですね。
お礼
お返事、ありがとうございます。 賽の神を改めてネットで調べた時に黄泉との境――賽の河原みたいな所と関係もしている、みたいなページもありました。 賽銭と賽の河原と、賽の神の、確か漢字の成り立ちからアプローチしつつ、解説しているページもありました。 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1356/kuru/FQA/ANSWER37.html ですが、敢えて捧げ物としての意味合いのある【賽】を当てた背景が気になりました。供物としての意味と個人の罪穢(ザイエ)を祓(ハラ)い清める意味・・・と云った儀式もあるようで。 となると先に指摘されたように、結界の意味合いは結構強いのかもしれませんね。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
読んでませんが 呪術探究〈巻の3〉忍び寄る魔を退ける結界法 (単行本) 結界からアプローチはどうでしょう? あるいは東北独特なものとして 悪路王伝説と結びついているかもしれません。
お礼
お返事、ありがとうございます。 道祖神が結界を作っていると云うのは初めて聞きました。 寧ろ、自分の知識のなさを気付かされましたが、やはり東北は独特なようですね。 早速、ご指摘のあったキーワードからアプローチしてみたいと思います。
お礼
お返事、ありがとうございます。 障の神(【さえ】ではなく、【しょう】と読んでいました)や、道の神は何処かで目にした事もあるような気がします。 しかし、こんなにも多くの別称があるとは知りませんでした。 名前が多様化していると云う事は、詰まる所、地域ごとに変容している事の表れなのでしょうか。オリジナルからの変容なのか、それとも土着の神仏となる過程で精霊みたいなモノ(民間で信仰されるような怪異)と融合したのか・・・。 疑問は尽きませんが、ご指摘のあった名前で改めて調べてみようと思います。