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満州やブラジルへの移民について
歴史について、ほとんど勉強しておらず、情けない質問になることを承知の上質問させていただきます。 満州への移民など、過去に日本人が幸せな生活を求めて移民した歴史がありますが、結局現地にたどり着いたら全く予想していた希望の地ではなかったんですよね。 そこから日本に帰国したい、、と願う人々も多かったようですが。。 これは、今で言う、「おいしい話」に乗せられてしまった人々・・という形とはまた違うんでしょうか。 「ここに行けば幸せな生活が待っている」と、こういうふれ込みが広まったけれど、結局、富裕層の人にしか行けない現実とか・・・。 行ったら全く違って、、騙されてしまった、、というような現代でいう「おいしい話」とかというわけではなかったのでしょうか。 確かに現代と時代背景が違うので、今の話と一緒にしてはいけないことはなんとなく分かります。 自分の祖先が満州に行っていたので、知人に話すときに安易に言っていいものなのかどうなのか、考えてしまったのです。 失礼な質問になっていたら申し訳ありません。本当に歴史の背景が分からなくて質問させてもらっています。 ブラジルの移民も同じような感じなのでしょうか。
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- hukuponlog
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実は,私の祖母(1895年生まれ)も戦前に満州に行った経験者です。祖母は「一旗」組で,満州に行けば良い暮らしができると思い,「建国」と同時期に移住したそうです。現地で旦那さんと死に別れ,理由は不明ですが,子供(私の父と叔父)を連れて昭和16年に内地に戻ってきています。 祖母は,まぁ,女給頭(要するにホステスの管理)みたいな仕事をしていたようで,60年代(私が子供の頃)自分が満州では「いかに良い暮らしをしていたか」ということを繰り返し自慢げに話していました。例えば,「人力車に乗って,目的地まで着いたら金なんか払わない」 「色々文句言うけど,プヨ(不要?)プヨで手を振れば平気なんだ」 「しつこく付いてくると,日本人が来て,チャンコロを殴ってくれるから,向こうもあきらめるんだ」 そういう話(本人は罪悪感など無いですから)を聞いていますから,私は満州国の「五族共和」など実態が嘘っぱちだったということは知っています。また,ブラジルの場合とは違い,「だまされた」という意識は少なかったようです。そもそも満州国には国籍法が無いそうで,日本人は自由に行き来をして移住ができたのだそうです。 貧しい者が,より貧しい者に対して高圧的になるというのは,今の時代も同じ(派遣労働者への批判など)ようで,なんだか悲しいですね。
- cobamax
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すべての移民の背景には日本の過剰労働力があったようです 中南米への移住は民間の組織により行われ、農家の過剰人口が 応募したようですが、実情はそうとう苦しかったようです 一方満州は国策のより1936年より政府の大々的なキャンペーン のもとおこなわれましたが、時代背景としては 昭和恐慌による地方の農村の疲弊はひどく、農家の人々の 強い移住志向と国策がマッチしたようですが、実情はかなり厳しかった ようです、終戦により終了しました http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%BB%E6%B0%91 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E8%92%99%E9%96%8B%E6%8B%93%E7%A7%BB%E6%B0%91 詳しくはサイトで
お礼
詳しいサイトを教えていただき、ありがとうございます。 過剰労働力の結果の国策なんですね・・・。 何か現代の問題と似たり寄ったり・・・なんですね。 自分は歴史をあまり勉強してなくて・・・安易に「満州に先祖が住んでいた」とやっぱり言えないんでしょうかね・・。 昔は、農民=貧困層=弱者みたいな構造があったのでしょうか。 それとも同じ農民でも、裕福な人たちとそうでない人たちが存在していたのか・・・。 色々考えさせられますね。 ありがとうございます。
- nishikasai
- ベストアンサー率24% (1545/6342)
昔、ブラジルに移住しました。17年間住み今は日本に住んでおります。 ブラジルには大成功した人もいますが、移住地に住んでがっかりした人がほとんどでした。 1.割り当てられた土地は荒地だった。 2.農奴みたいな生活でいつまで経っても夢である農場主なんてなれそうになかった。 3.わたしの場合、サンパウロ市に住みましたのでそういう悩みはなかったのですが、後進国というのは予想もできなかった面で後進国なんですよ。わたしが愕然としたことを列挙します。 (1)お札が汚かった。触るのが汚らわしいと思うほど汚かった。日本人に見せてあげればびっくりするほど汚かった。今ではそれほどではありません。当時はオランダでお札を印刷してもらっていたので貴重品だったのです。 (2)こじきが多かった。ちょっと小奇麗なストリートを歩いても乞食がいた。しかも乞食の多くは奇形児だった。暗い気持ちにさせられた。 (3)車がぼろかった。第二次大戦の頃の車が大手を振って走っていた。 (4)蚤がいた。バスにのると蚤を移された。 (5)トイレの紙は日本と同じように見えるけど水に溶けない。したがってトイレの紙は備え付けの籠に捨てなければいけなかった。後進国ってのはトイレットペーパーが水に溶けない! これには驚きました。いろんな点で後進性を見てそのたびに(自分が一生住む国がこんなとこでいいのかな)と暗澹とした気持ちになりました。
お礼
細かく記述いただいて、ありがとうございます。 土地は荒地がほとんどだったんですね・・・。 成功した人とそうでない人が分かれたんでしょうか・・。 その違いってなんだったのでしょうか。 今の日本の生活では考えられないですが、雇用問題などが取り上げられている最近、どこか日本の歴史についても似たような問題が過去にあったのではないか?そして「移住」の問題も、今の雇用格差の問題とほんの少しだけリンクするところがあるような気がしてならなくて・・。 色々考えさせられました。 ありがとうございました。
お礼
細かくお話いただいてありがとうございます。 うちの祖父も回答者様の祖母様と同様のようなことを言います。 どちらかというと、裕福だった・・・みたいな言い方をするんですけど、、本当にそうだったのか。 当時日本は戦争だった。厳しい状況だったから満州に平和を求めて行ったんだ、楽園を求めて私たちは行ったんだと・・・。 ここ最近まで全く疑わなかったし「ふーん」くらいにしか受け取っていなかったんですが、自分自身、あるいは親のことについて振り返ってみる機会があって考えてみたんです・・・。 そして、今の不況問題。。全く違う出来事だけど、何か歴史は繰り返しているっていうか、そんな気がしてなりません。 ありがとうございます。