歴史にもしもはありません。
しかしかりに「もしも」を考えることで、その時代の問題点が浮かび上がるのも事実です。
ですので、歴史学として「もしも」はタブーですが、温故知新を利用して自分の知識を広げる為に利用するのはとても有益だと思います。
で質問への回答です。
まず逆にいえば、なぜ明治維新が必要だったのか、ということが重要になってきます。
他の方の回答にもありますが、幕藩体制が残っていた場合、他国の植民地になっていた可能性が高いと思われます。
この時代の日本の問題点は内憂外患といわれるように、内にあっては農業経済(つまり年貢)を基本とした封建的経済制度が、国内貨幣経済の浸透により制御不能に陥り、商人を中心とした貨幣経済の担い手に冨が集中し、幕府や各藩がそれに借金という形で依存するという構造になっていた事(つまり権力の基盤である、税収と分配がうまく機能していなかったということ)
外にあっては、鎖国体制(学説に異論はあります)の日本に欧米列強が開国をせまり、幕府だけでなく薩長などの有力藩にも、交渉をしていたことという問題点があります。
幕府自体が借金まみれで色々な危機に対応できるだけの資金に乏しかったため、国内も外国も押さえることができない状態になっていたのが、幕末の状態です。
これにより幕藩体制維持派と尊皇攘夷派の戦いで明治維新になるのですが、どちらが勝ってもいずれ中央集権的な国家が生まれたはずです。でなければ、植民地になってしまうからです。
面白いのは、幕藩維持派でも攘夷派でも、本当にものが分かっている人たちは、中央集権国家体制をつくり当時の国際法に則って、他国から「国」として承認を得ないと、それも速やかに作らないと、外国の植民地になってしまうということを理解していたということです。
つまりほとんどの人は、幕藩ならそのまま、攘夷なら天皇を頂点に攘夷(つまり鎖国を続ける)体制だと思って行動していたのに、国の命運を握っている人たちは、「開国しなければ、植民地になる」ということを理解していたのです。
ですので、どちらに転んだとしても幕藩体制の維持は不可能であったでしょうし、逆に明治維新後、幕藩体制が速やかに解かれ、廃藩置県ができたのは、各藩がすでに行政力を維持できないぐらい疲弊していたことも示しているといえます。
ですので、江戸幕府が維持されていても、藩は解体して中央集権的な国家が出来ていた可能性は高いですし、そうでなければ植民地化されていた可能性も高いでしょう。それ以外の選択肢はほとんどないといえると思います。
もちろん、シナリオはいくらでもありますので、明治維新のトピックスだけ抜き出して考れば行く筋は2本程度でも、その後どのようになったかまでは分かりません。
その後の歴史や現代までになると、空想の世界を出ないものになってしまいます。