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最近の数学の参照書について
指導する立場からです。 最近、学生に数学を教えていて、参考書に疑問を持っています。 というのは図解してあって、(なかにはキャラクターまで使用して、親切?にもいろいろアドバイスを書いてあるものまで) 一見、「解りやすそうだな」と思うのですが、私は「ほどほどにしてほしい」と思っています。 それは「生徒自身が、頭の中で思考する分まですでに図解されてしまっている」と思うからです。 数学のような勉強は、自分で図を書いたりして理解していく勉強だと思っています。 それなのに・・・・キャラクターなんだか知りませんけど、生徒の考える能力をあんたが邪魔しているっ!と思います。 私が感じていること、どう思いますか? みなさんのご意見聞きたいです。 とくに同じように指導する立場の方など、よろしくお願いします。
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- YAMADAni
- ベストアンサー率32% (25/78)
分かりにくかったら参考書ではないのでは? そもそも学校の授業では満足いかないから参考書に奔るのです。(理解・スピードの面で) 対面授業に比べて本を読む方が明らかに学習効果は低いはずです。図解する過程は大事だというのは理解できますが、そこをゼロから組み立てるのを教えて練習させて定着させるのは学校(のはず)です。殆どの生徒は図で理解するなんて発想ははじめは持ち合わせていませんから。学校で学習しているはずなのに対面授業以下である参考書に目が行くのは明らかに授業力不足でしょう。やつあたりに見えてしまいます。 学校教育の質が上がって、生徒全体のレベルが上がるならばそのような参考書に向かう人は少なくなりますし、もっと高度な参考書も増えると思います。
- chie65536(@chie65535)
- ベストアンサー率44% (8741/19839)
>みなさんのご意見聞きたいです。 生徒には、参考書を見ない自由、見る自由、どんな参考書を買うかの自由があります。教師が口を出す事ではありません。 「参考書があれば、つい、自分で考えずに参考書を見て済ましてしまう」という自覚がある子は、参考書を見ません。 教師には「今まで通った学校で、自分で考える能力を身に付けさせてもらえず、参考書を見ないと、今の授業についていけない子」から参考書を奪う権利はありません。 学校の教師は、決められた単元を決められた期間に授業します。基礎が出来てない子が居ても個別指導をしている暇は無いので置き去りにします。 そういう「基礎が出来ていなくて置き去りにされた子」は「授業が理解できてないのにどんどん先に行っちゃう教師の代わりに、懇切丁寧に基礎から解答まで全部教えてくれる参考書」に頼るしかありません。 >・キャラクターなんだか知りませんけど、生徒の考える能力をあんたが邪魔しているっ!と思います。 この考えは「今までの教育環境で、考える能力を身に付けさせて貰えなかった子」を完璧に無視した、独り善がりな考え方です。 「すべての子が、考える能力を持っている」と思ったら大間違いです。
- phyonco
- ベストアンサー率38% (47/121)
おっしゃる通り、数学を学ぶ上で、文字や数式を脳内でビジュアルな イメージに変換するという作業は、食物の咀嚼にも似た非常に重要な 動作ステップだと思います。私もそのように理解して育って来ており、 数学的実体を把握する上でその行為が本質的かも知れないと思う程です。 しかしよくよく考えてみると、重要なのは脳内に形成された数学的 イメージそのものであって、この咀嚼というか変換動作はこれを得る のに非常に効果的であることは確かだが、そこに至る唯一の方法で あるかどうかはわかりません。自分はそのようにして来て、それ以外 の方法を身につけていないので、学生には自分の知っているその方法 をなぞらせようとしている自分に気が付きます。ですが、最近の学生 は良くご存知の通り、文字情報に対する感受性というか、咀嚼力が極度 に低下しており、少なくともきっかけとしてビジュアルな情報を与えない と受付けません。我々には彼等の能力が低下しているように一見思える のですが、その一方で、彼等のビジュアル情報に対する感受性、感応力、 受容力が我々の世代よりも勝っていることも事実です。私は彼等の中に、 情報をビジュアルで取り込み、それを映画やビデオを編集するように 脳内で手を加え、精緻化することで目的とするイメージを形成し、それを 定着させるという、我々の知らない新しい方法で数学を学ぶ者が出始めて いるのではないかと期待しています。そのような理解の仕方の流れの中 では、数式を文字ではなくてビジュアルに属するものとして与えてやる ことが出来れば効果的だと思います。そんなことが出来るかどうか模索中 ですが、もし出来るとすれば、脳内ではビジュアルな要素でロジックが 形成され、ビジュアルベースで計算を行うという数学のやり方をする 者が出て来ると思います。 教師は、自分自身をなぞらせるものではなく、自分を越えさせるもの ではないでしょうか。