思い出しますね 昔 臨済宗妙心寺での 禅学の時間 昼食がすんでの
すぐの授業でしたので あのシーンとした禅堂での空間は 昼寝にはもってこいの環境でした 臨済は曹洞宗のように壁に向かって座はしません 学生同士向かい合って座ります もちろん 向こう壁とこっち壁にわかれて座しますので 距離はあります ですが 様子はわかります
座して10分もすれば あっちこっちでドサッという音がします
後ろにひっくり返った音です さすがに女子はおりませんでした
眠気との戦いはあきらめ うつらうつらの後のなんともいえない感覚は
単なる家での昼寝とは違うものを感じました
文字はいらず ただ己の仏性を刻む のはどちらもおなじです
セカイ インモトシテ コウカッタリ ナンニヨッテカ ショウセイ
リ ニムカッテ ヒチジョウヲヒス という禅の考案にあります
無門関38則にあります
意味は 世界はこんなに自由で広々としているのに なんで 鐘が
鳴ったといっては のこのこ 七条の袈裟を掛けて 飯を食べにいくのか といった 問題です
虎の巻もちゃんとありますが 自分で考えます 師家に自分の答えを
認めてもらうまで 座禅して答えをだすわけです
宗教学的なことの差異は意味がありません
ただ座れ という 覚悟です